なぜ「建築」だったのか

今年もまた桜の季節がきて、いつの間にか大学3年生になっていた。自分の限界が少しずつ見え始め、焦りも感じるようになる中でこの世間の状況。こんな中で少しでも今できることをと思い、たどり着いたのがnoteだった。

これから、見に行った建築や課題を通して考えたことについて思いつくまま書いていきたいと思うけれど、今日のところは初心に還る意味でもどうして僕が建築を学ぼうと思ったのかについて書きたいと思う。

物心ついた頃から、工事現場や解体作業の様子をただ眺めるのが好きだった。幼稚園から帰ると鞄を放り出して、毎日飽きることなく現場に出かけていた。最初は危ないから近寄るな、と注意してきた監督さんは途中で諦め、これかぶっとけとヘルメットを渡してくれた。それが嬉しくてまた次の日も現場に通った。

高校生になっていよいよ進路を決めなければならなくなり、自分が本当にやりたいことはなんだろうと考えたとき、幼い頃に感じた好奇心を再び自然と思い出していた。社会性なんていうのは二の次で、建物やその施工についてもっともっと知りたいという単純な思いだった。

大学受験は近年の建築ブームと自分の努力不足があいまってうまくいかないことの方が多かった(この話はまたいつかゆっくり書きたい)が、1年の浪人を経て漠然と憧れていた「ケンチクガクセイ」になることができた。

そしてそれからさらに2年がたち、大学で優秀な人に圧倒されたり、逆に周りの空気に流されて建築を放り出したくなるときもしょっちゅうだ。けれど、そんなときには初心を思い出して心を奮い立たせる。いつか限界は来るのだろう。それでもせめてあと数年は夢を追い続けていたいと思っている。




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