完成されたWAの中で

 2021年11月1日。
 V6は26年目の誕生日を迎え、同日に完結した。

 最後のコンサートは、地元でV6ファンではない友人に付き合ってもらい配信を見た。
「介護するから、大丈夫だよ」と友人は言ってくれていたが、涙は出なかった。途中何度も目頭が熱くなったけれど、涙を流すことはなかった。
 最初から目を潤ませていたメンバー。
 でも、笑顔で締めくくろうと決めていた彼らは笑ってステージを去っていった。
 笑っていてね、でも無理はしないでね、と6人はスクリーンにメッセージを残した。
 マスクはしてね、と付け加えるのがV6らしくて、自然と笑ってしまった。


 V6に興味を持ったのは20年前。
 ネバーランドというドラマがきっかけだった。あらすじで興味を持って見たが、ドラマ自体はあまり好みではなかった。(すみません)だけど、主題歌が耳に残って気になった。
 『出せない手紙』その曲を歌っていたのがV6だった。
 アイドルに全く興味がなかった私は、V6のこともよく知らなかった。メンバーが6人いることは知っていたが、森田、三宅、井ノ原の名前しか知らないくらい疎かった。曲の記憶は『愛なんだ』で止まっている。
 出せない手紙で、こんなにいい曲を歌っているんだな。ジャケットもセンスがいいな。
 そう思っていたタイミングで、ネットで知り合った遠方の友人から「深夜にやっている面白い番組があるから見て」と録画した番組が送られてきた。
 それがカミセンが深夜にやっていた「オトセン」だった。
 3人で曲作りをするというその番組は、好き勝手やる剛健に振り回される岡田くんというシーンが多く、深夜らしくまったりとした番組だった。
 衝撃を受けた。
 この人達すごく可愛い!と思った。
 ヤンキーのイメージが強かった剛くんのチャーミングな所も、健くんの可愛さの中に潜んだ針も、岡田くんのマイペースさも、全てが可愛かった。
 見たことのないV6がそこにいた。
 そこから先は坂を転がるようにV6に落ちていった。
 トニセンのラジオを聴いては、アイドルらしからぬグダグダとしたくだらないトークに笑い、コンサートで見せるダンスのキレに驚き、愛なんだ以降の知らなかった名曲たちに聞き惚れた。
 

 それからは毎日が輝いていた。
 毎週あるレギュラー番組を見ては、遠方の友人たちとメールをしあい(ちなみに私に番組を勧めてくれた友達が、私を含め三人沼に落とした)初めてアイドル雑誌を買い、ジャニーズショップでブロマイドを買った。
 そして、東京に遠征してコンサートにも行った。
 それまでバンドのライブには行ったことがあったが、アイドルのコンサートは初めてだった。
 うちわも、ペンライトも、MCで座ってと言われることも、お手振りをしながら花道を歩いてくれるのも、全部が初めてだ。
 最初のコンサートはアイドルの文化に慣れずV6に向かって手を振るのが恥ずかしかったが、夢中になるのはあっという間だった。
 その中で出会った先輩ファンたちも、皆さん優しかった。
「今、ファンになってくれて嬉しい」と昔の切り抜きを見せてくれたり、古いグッズを譲ってくれたりした。
 一度しか出会わなかった人も大勢いるが、皆さん親切に新規の私を受け入れてくれた。

 毎月2万円を来年のコンサートのために積み立て、一年がV6のコンサート中心に回っていた。 
 遠方の友人たちと年に一度代々木へ集まり、コンサートを見て、ついでに観光をしたりV6の番組で紹介されたグルメスポットを回ったりした。
 V6のおかげで、私の世界は広がった。
 メンバーが出る映画や舞台の原作を読むようになり、初めてミュージカルや舞台を見てその素晴らしさを知った。
 芸能人の名前にも詳しくなった。
 
 V6は全員が少し人見知りで、自分から前へ出るタイプではない。
 仲がいいことも、歌とダンスがすごいことも、コンサートに来ないとわからない。
 それをとても勿体ないと思っていたが、同時に私はV6の良さを知っているぞという優越感もあった。
 
  
 そんなV6中心の生活も、年を重ねると徐々に緩やかになった。
 V6は個人活動が増えコンサートは2年に一度になり、私や友人たちも他の趣味ができたり生活環境が変わったりで、ファンになりたての頃に比べたら落ち着いたファン活動になっていた。
 それでもCDを買ってコンサートへ行くことは続けていた。
 コンサートは、V6に会えるのと同時に友人たちと集まれる場所でもあった。


 V6の6人も生きている人間だから、ずっと変化を続ける。
 30代になった当初はよく「疲れた」と言っていた坂本くんは、次第に疲労を表に出さなくなり元々素晴らしかった歌やダンスが進化していった。
 長野くんは食を究めいつの間にか調理師免許まで取り、ファンもメンバーもどこに行くんだと突っ込んでいた。
 井ノ原くんは日本の朝の顔になり、V6の好感度と知名度を引き上げた。
 剛くんはあれほど興味がないと言っていた舞台にどっぷりハマり、演技に磨きをかけた。
 健くんは個人の仕事を続けながらも、ますますファンと向き合ってくれるようになり、V6とファンを繋いでくれた。アイドルを愛し、アイドルとはなんたるかを健くんが一番示してくれたように思う。
 岡田くんは線の細かった美少年から、筋肉がつきすぎて腕を真っ直ぐ下ろせないほどムキムキになった。日本を代表する俳優として、V6ファン以外からの知名度も高くなった。

 ファンは長く応援している人が多くなり、丸くなっていったように思う。
 若い頃は飛んできた色紙を奪い合い千切る光景なども目にしたが、今では飛んできた銀テープをみんなで配り合う姿を見るようになった。
 友人がトニセンのディナーショーを見に行った時に、同じテーブルに20代の坂本くんファンがいたよ!と報告してくれた。
同じテーブルの長年のファンたちで「たくさんアイドルがいる中で、ここへ来てくれて嬉しい」と伝えたという話を聞いて、自分がファンになった頃優しくしてくれた先輩ファンたちのことを思い出した。


 V6も私たちも時の流れの中で変わっていっても、コンサートに行けば変わらない空間があった。
 生で見る坂本くんはテレビで見る坂本くんより一億倍カッコいいし、いつでも笑顔で優しい長野くんは全方位にお手振りくれるし、井ノ原くんは日本の朝の顔ではなく、ヤンチャでお調子者の井ノ原くんだった。クールなダンスを見せる剛くんも、キラキラしたアイドルスマイルとメンバーに対して自由に振る舞う健くんも、マイペースな岡田くんも。
 集まれば飲み屋でビール片手に喋っているんじゃないかと思うくらいダラダラくだらない話をして、笑い合っている6人がいた。
 そしてそれをキラキラした顔で見守っているファンがいた。
 この場所が好きだった。同じグループを好きな人達とステージの上のかっこいい6人を見られるのは、至福の時間だった。
 こうしてずっと、30年、40年と続いていくんだと思っていた。
 アイドル界のTHE ALFEEになるんだと信じ込んでいた。
 坂本くんと健くんの結婚をお祝いして、坂本くんの還暦もお祝いするつもりだった。

 そんな風に考えていたから、今年の3月に発表された解散のお知らせは本当に寝耳に水だった。
 
 ショックで泣いている中、V6はとても真摯に向かい合ってくれた。
 新しいアルバムを出し、コンサートを開催すると決め、たくさんのグッズを準備してくれた。
 真珠や香水をプレゼントされるなんて思わなかった。(自腹だけど)
 25周年の時にファンからの「ずっと一緒にいよう」のメッセージを、喜ぶよりも噛みしめるようにして聴いていた6人は、すでにこれから先のことを考えていたのだろう。
 
 始まったラストツアー、セットリストは新しいアルバム曲とこれまでの曲を半々にしたものだった。
 最後だからと言って昔を懐かしむ構成ではなく、新しいことを見せようという攻めの姿勢が感じられた。
 だって、最初が『雨』だよ?!そんな構成をここでやる?!


 MCも相変わらずグダグダしていた。居酒屋に集まったおじさんたちの会話だった。
 コンサートに集まった私と友人たちも相変わらずだった。いい年をしたおばさんになっても、V6と過ごしている時は若い頃に戻っていた。この友人たちとずっと付き合いが続いているのも、またV6が残してくれた宝物だ。

 
 11月1日の本当に最後になるコンサートでも、26年間を振り返ってどうだったか、なんてMCは全然しなかった。
 最後に感謝を伝えてくれたけど、それ以外はいつもと変わらないV6だった。
 本当に解散するのかな?また来年には青い封筒が届くんじゃないの?
 そんな風に思ってしまった。

 最後まで、笑顔で。

「俺たちがV6!」

 そう宣言した彼らは、最後の最後まで『楽しもう』をモットーにしたV6だった。


 

 コンサートの直後には新作映像の配信があり、健くんはインスタを開始しインスタライブを開いた。
 V6ではなく個人の三宅健、と聞いて心臓がぎゅっとなったが、井ノ原くん、長野くんが飛び入りで参加し、解散したはずの仲間が半分すぐに揃ったのを見て泣き笑いしてしまった。

「俺たち死んだわけじゃねーから」
「剛のこと抱きしめてきた。大好きだよー!って」
「健も俺たちのラジオに来て」

 なんだよ、V6。
 みんな変わらず仲良しじゃん。
 全然ファンのこと離す気ないじゃん。
 V6から新しくトニセンと健くん、岡田くんのFCに入った人たちには記念品まで届けられた。
 V6を忘れなくてもいいんだよ、と言われているような気分だ。
 本当にファンファーストな人たちだ。
 でも、最初からこうだったわけではない。
 26年間、ファンと一緒に繋いできた絆がこの関係性を作り上げたのだ。

 

 1995年11月1日。
 6つの点から始まったV6は、26年かけて美しい円を描いた。
 途中からでも、その過程を見守れたことは本当に幸福だった。
 トラブルがなく優等生のグループと言われているが、ファンはそうではないと知っている。覚えている限りでも、トラブルはいくつもあった。コンサート中のMCでぎこちない雰囲気が伝わってくることもあったし、インタビューなどで不安になったこともあった。
 6人の間にどんな葛藤があったのか、こちらからは伺い知れない。
 26年という長い歳月は、平坦な道のりではなかっただろう。
 それでも6人はできてしまったヒビを繋ぎ合わせ、ここまで歩んでくれた。


 6人が描いてくれた円の中で、私は生きていきます。
 こんなに素敵な人達を、好きになってよかった。
 V6を見つけられてよかった。
 まだ心の中にぽっかり穴が空いてちゃんと泣くこともできないけど、寂しくないようにとV6が残してくれたたくさんの物と共に少しずつ前を向きたいと思います。
 6人と、6人を愛した人たちみんなが笑って過ごせますように。


 ありがとう、V6。


 世界を広げてくれてありがとう。
 一生付き合える友人をくれてありがとう。
 コンサートや演劇の素晴らしさを教えてくれてありがとう。
 今までも、これからも、人生を鮮やかに彩ってくれてありがとう。


 ずっとずっと6人が大好きだよ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?