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神宮寺寂雷と言う男について


※ 声優方と俳優方、各方面の神宮寺寂雷の話をしています。拘りのある方はブラウザバックをオススメします






これは、LepLivesideMで鮎川太陽さんが造り出した “ 神宮寺寂雷 ” と8thライブで速水奨さんが創り出した “ 神宮寺寂雷 ” が余りにも差分がなく、もしかしてこれは “ 神宮寺寂雷は生きている ” と言うお2人からの時間を掛けてぶつけられた心からのメッセージなのではないかと、妄想のような幻想のような空想のような仮想を追い求めて死にきれずにいる、愚かなオタクの戯言です。解釈とは無限だ。だからこそ、この解釈を私は愛したいと思う。



私は確かに、この2人を通した神宮寺寂雷に命を燃やしている。それだけが今、私を何処までも深い所まで潜り込ませる。ああ、何て幸せな泥沼。ずっと此処に居させてくれ。



兎にも角にも、先ずはヒプマイと言う摩訶不思議なコンテンツに感謝を述べたい。この強烈で熱烈な2人を、そして神宮寺寂雷と言う鮮烈な存在を生み出してくれた事、心の底から感謝しています。ありがとう。速水奨を、鮎川太陽を、神宮寺寂雷を、引き寄せ、出会わせ、交わらせてくれてありがとう。この3人に、この3人の命の手綱を握らせてくれてありがとう。



彼等を三位一体にしてくれてありがとう。



少なくとも私は、ヒプノシスマイクと言うコンテンツがなければ神宮寺寂雷は生まれなかったと思う。とは言えこれは卵が先か鶏が先かの話なので、どちらが先でもきっと正しいとは思うけれど。それでも私は、やはり【ヒプノシスマイク】が原点であって欲しいと思う。そしてその延長線上に2人が居る事こそが私にとっては堪らなく幸せな事なのだ。ああ、セロトニンは既に致死量。私はきっと、死ぬ前に笑う。死ぬ前に笑える。そういう出会いをしてしまった。



思えば、速水さんのまるで寂しく笑い、静かに怒り、優しく諦める、儚さと強かさを共存させた鼓動のような声色と、鮎川さんのまるで持て余している熱を、鮮度の保つ懺悔を、開いたままの掌を、沈黙こそ優しさだと残酷なまでに自己犠牲を働く血脈のような動作を、この身一つで解釈しようとすれば引き摺り込まれるのは当然の事だったのかもしれない。濃度が濃過ぎるのだ。余りにもコレは、頭にキてしまう。低気圧にすらまともに太刀打ちできないような頭では処理も理解も時間が掛かってしまう。その酩酊にも似た思考の低迷こそ、私に神宮寺寂雷と言う一人の男を解釈させ、生き物して捉えさせたのだと思う。全く、これが精神干渉じゃないなら何だと言うんだろう。2人共、マイクを武器に闘ってるじゃないか。そんなの、彼と一緒ではないか。ほらもう、私は彼らが彼で在る事を疑う事すらしていない。病気じゃないかこんなの。治療してくれよ。








8th。The Champion。ハートポーズ。情報過多。



一つずつ整理したら日が暮れるやん…と思っていたら年を越してました。日が暮れる騒ぎじゃない。因みに未だにあの熱は私の内側に篭っているし、速水さんから、木島さんから、伊東さんから勝手に奪い取った熱が私の中で渦巻いて容易くあの日に戻させるので、きっと来年の年末も私はこの気持ちを大切にしていると思う。タシュケテ…って喚き散らしながらこのライブを語り継ぎます。アーメン。

何と言ってもThe Champion。現地行った人達が続々と 「 死んだ 」 と言うレポを見て、生きて帰って私達にそれを伝えてくれてありがとうと思った。ありがとう。無事生還してくれてありがとう。画面越しにそれを見ていた私はこの日の仕事をすっぽかしてでもツイッターに張り付いてたいと思いました。全部を投げ打って可視化された同じディビジョンを愛する人達の熱を受け止めていたかった。まあぶっちゃけ張り付いてはいたけど…。いやでも仕事しなきゃな…って思えたのは多分麻天狼がどのディビジョンよりも “ 仕事を疎かにしない ” を全うしてるからだと思う…だってそんな事で仕事をサボったりしたら例え次の日がどれだけ憂鬱な仕事でも釣りを楽しむ観音坂独歩に顔向け出来ないし…。まぁ向こうはこっちを見てはいないので現実はそんなもんですが。無慈悲。ともあれ、The Championを今の彼らが歌ったと言う事が何よりも大事で。そもそも 「 初代王者 」 たる彼等にとって今のシンジュクが歌うThe Championは多分また違った意味になっていて。ディビジョンも増えて、関係性も変わって、良くも悪くも彼等が見ている世界が目紛しく移り変わって行って。私は、麻天狼だけはずっと裏と表の話をしている気がする。光と影を、内と外を、白と黒を。二面生を大切にしているし、二面生に苦しめられる。どんな自分も自分だと思えるようになるってのは凄い勇気が必要で。認めたくない自分の過去も、見過ごしてしまいたい自分の弱さも、未練がましい未来への渇望も、全てを飲み込んで前に進む事が二面生を理解する事なら、その途方もない歴史の積み重ねを涼しい顔してやってのける彼等に何を渡せば笑い返してくれるのか。本当は辛いのではないかと、本当は苦しいのではないかと、本当は誰よりも貴方達が救われたいんじゃないかと、足りない頭で何度も何度も想ったって貰ってる分の幸せは返せそうになくて。だからこそ、と言うと凄く綺麗過ぎて嫌になるが、だから彼らを初代王者に、チャンピオンにしたあの時の全ての人達が彼等と共に勝ち取った 「 The Champion 」 を聴いて涙を流して今を生きた。死んでも良いと思える日が人生にそうあるとは到底思えないが、きっとあの日だけは死んでも良いと思った人が多かったんじゃないだろうか。 「 もう死んでも良い所に居る 」 と言うのは 「 死ぬ迄此処で生きていたい 」 の同義語だ。だからこそ言える。私は、もう、死んでも良い。心の底から “ 俺らがナンバーワン ” なんですよ。

そして驚いた事にこんな熱を持ったまま速水さんはハートポーズをした。意味が分からない。理解追い付いてない。置いてかれてる。は〜〜〜〜〜いや〜〜〜〜〜可愛過ぎんか?マジで。成人男性の方のハートポーズを 「 可愛い 」 なんて安易な言葉で表現するのは申し訳なくて気が引けるんだけどでもそれ以外の表現方法が無いと言うか。愛らしく、愛しく、愛でたい。これに尽きる。と言うか速水さん、ジャンプもしてたんだよな。もう分からない。元気過ぎん?良い事だけど、元気過ぎん?????後のインタビューで 「 意外と飛べましたね!楽しかった! 」 みたいな事言っててひっくり返りましたよ。ライブってそれこそ生き物みたいな感じだから、出てる人が楽しんでるかどうかって凄い影響受けるんだけど多分誰よりも楽しんでたな…好き…。ツイッターには大量の絵師さんが居るわけですが、現地に行った人達や配信を見ていた人達が麻天狼を麻天狼として描いていて、つまりそれは速水さんのハートポーズは神宮寺寂雷のハートポーズとして描かれてるわけで。そう言うトレースが可能な世界線が凄く好きで。速水さんの行動一つが、事ヒプマイになると神宮寺寂雷としての行動になる。それは多分、こちら側の都合の良い解釈で、見たいようにしか見てないからだと言われればそれまでの気持ちが悪い一方通行かもしれなくて、正しさや優しさなんかこれっぽちも存在してなくて、本当にただひたすらに自分にとっての神宮寺寂雷と速水奨を重ね合わせて満足してるだけで。それを嫌だと思う事、きっとあるのかなあと思ったりもする。速水奨と神宮寺寂雷を切り離して考えて欲しい時がきっとあるんだろうなと思う。だって神宮寺寂雷の心臓は速水さんしかありえないけど、速水さんの心臓にはもっと沢山の人達が居るから。そう思うからこそ、あの時速水さんが 「 麻天狼のライブ 」 でハートポーズ繰り出し、楽しそうに飛び、The Championを歌い切った事は凄いわけで。悪い言い方をするならあの瞬間を切り取られ、勝手に解釈され、世に出させてしまう事を避けられない訳で。現に避けられてはいない訳で。それを分からないなんて事ありえないと思うからこそ、選んでくれた全ての行動をただ愛しいと思う。神宮寺寂雷の心臓を高鳴らせるのは速水さんの低く優しい声だ。でもその高鳴りを心電図のように可視化させるのは速水さんの限りなく深い “ 神宮寺寂雷として ” と言う大きな愛だ。時に残酷な程に重ね合わせ過ぎる私に、速水さんが 「 今日だけは 」 と言ってくれたようなそんな気さえした。確かにあの時、私は愛のおこぼれを頂けてると思った。そしてそれは多分、多くの人達にも共鳴していたんだと思う。だから生まれた色が、線が、愛があったように思う。熱の連鎖が確かにそこには在った。

私はもう新宿と言われたらシンジュクになるようになっているし、摩天楼と言われれば麻天狼を思い出すようになっている。そういう魔法のような洗脳を受けてる。そしてそれを心地良いとすら思っている。不思議な程に、この甘くて美味しい一瞬を永遠に捉えている。まさに私は 「 瞳孔を開いたままで今も夢を見ている 」 んだろうなぁ。毒が侵攻するように、夢を信仰している。そんな事が起こりうる。それをさせたのは紛れもなく速水奨と言う一人の人間が起こした努力と理解の賜物だ。大きな感謝を此処に。








LepLivesideM。新曲。演劇。生存確認。

声優方の単独ライブを引き摺ったまま迎えた俳優方の単独ライブ。このご時世で単独ライブを両方面から観れると言うのは何たる贅沢者だろう。嬉しい限り。有難い限り。と、実は既に書いている途中でヒプステキャスト全員の卒業が発表されました。つまり、私がこれから書き連ねる鮎川太陽さんが導き出した神宮寺寂雷は確実に終わると言う事である。本当に贅沢な話だったんだと、分かっていた筈なのに突きつけられてしまった。終わらないで欲しい。まだ居なくならないで欲しい。置いて行かないで欲しい。そうやって泣きじゃくってしまいたい気持ちもあるが、一方で、だからこそ、やはり単独ライブを両方面から観れると言うのは “ ナマモノ ” である以上とてつもない奇跡に近かったのだろうと思わずには居られなくて。鮎川太陽さんが演じた神宮寺寂雷が、新木宏典さんが演じた伊弉冉一二三が、井出卓也さんが演じた観音坂独歩が確かに生きていた事、それを肌で感じられた事、会場で愛を叫べた事、3人が確かに私達を観て楽しそうに笑ってくれていた事、その事実が、きっと全部だと思える事。私は、人生の宝は皆さんに出会えた事だと胸を張って言える。そういう宝物を貰ってしまった。返しきれない恩があります。皆さんの “ 仕事 ” は私の “ 人生 ” でした。本当にありがとうございました。

思い返せばあの神宮寺寂雷が再現出来るなんて凄い話で。正直、アニメだから許されるビジュアルを生身の人間が再現してるなんてどんな話だと思う。キャラの解釈は人によりけりなので今から私が羅列する “ 鮎川さんが演じた神宮寺寂雷の成分表 ” はあくまで “ 私の中の鮎川さんが演じた神宮寺寂雷 ” でしかないが、高身長で、顔が良くて、声が限りなく速水さんに近くて、ラップが出来て、ちょっとお茶目で、実の所人の話なんてあんまり聞いてなくて、ちょくちょく医療従事者っぽい事言って、指の先まで自分の体の使い方を分かっていて、白衣や髪の毛の靡かせ方までもを上品に物騒にこなして、最後に舞台に向かって一礼する神宮寺寂雷は、確かに私の前で息をしていた。ありえない話に聞こえるし、ありえない話だと思うが、確かにそこに居た。生きていた。どんな話だよ、を、こんな話だよ、と笑って突き付ける鮎川さんが居た。私は舞台に向かって一礼をする神宮寺寂雷が凄く好きなんですけど、それはきっと “ 全てを救いたい ” 彼の深淵の部分を見せられてる気がするからなのかもしれない。この世で唯一神宮寺寂雷を存在させられるのが速水奨なら、この世で唯一神宮寺寂雷を証明させられるのが鮎川太陽なのではないかと思う。同時に、きっと最も神宮寺寂雷を愛しているのは鮎川さんなのだろうとも思う。そこを争う気も起きない程の熱量に魅せられてしまった。

愛は呪いに近い。だから余り全力を投じたくはない。受け取る側も渡す側も適量を守れなければ苦しくなってしまうモノを、板の上に立っているからとお客様精神でどっぷり渡すわけにはいかない。境界線が曖昧になりがちな世界だからこそ線引きはしっかりしておかないといけない。………ように思う。けど、その線を飛び越えるかのように視界に入る全ての人にファンサを送る鮎川さんを見てしまうとどうしても “ こちら側 ” の愛情を渡す瞬間が出来てしまう。そういうの、怖いなぁと思うんですよね。怖いです。いつか此方の好きで鮎川さんをとても傷付けてしまいそうで怖い。それなのに受け取ろうとしてくれる姿勢にとても惹かれる。そんな矛盾してる気持ちを抱えたまま神宮寺寂雷の背中を追い掛ける日々でした。

速水さんがハートポーズをしてから鮎川さんはファンサでハートポーズをするようになりました。それは速水さんから受け継がれた “ 神宮寺寂雷として ” と言う大きな愛だと思う。何をするにも原作をリスペクトする鮎川さんだから出来る “ 神宮寺寂雷として ” のアンサーなように思う。速水さんがやらない事は、原作がやらない事は、決してやらない。そう誓っているからこそ 「 やる 」 事が 「 愛 」 になる。そんなとびっきり甘ったるい公式を成立させるだけの敬愛を鮎川さんの神宮寺寂雷からはひしひしと感じた。あの神宮寺寂雷を血の通った人間にするだけの優しさを、弱さを、儚さを、鮎川さんは板の上で燃やしてくれた。強い事は孤独である事を、1人で居る事は独りではない事を、生きる事は痛い事を、ちゃんとその身一つで伝えてくれていた。途方もない旅だっただろうと思います。どう演じたって万人には認められないだろうから、正解を探すようで不正解ばかりが目に付く事もあったかもしれません。それでも、麻天狼を此処まで連れて行ってくれた。神宮寺寂雷役 : 鮎川太陽として最多出演で走り切ってくれた。感謝をしてもしきれません。ただただ本当に、本当にありがとうございました。

まだ私は 「 おかえりなさい 」 を言う勇気を持てないから 「 行ってらっしゃい 」 を言えないし、おめでたい事だとも思えないから 「 卒業おめでとう 」 も言えないけれど、これだけはどうか言わせて下さい。

鮎川太陽のさんの演じた神宮寺寂雷に出会えて良かったです。生きている神宮寺寂雷に、生きているうちに出会えて良かった。この先もずっと、この幸せだと言う感情一つが私の背中を押してくれると思います。

改めて今一度伝えさせて下さい。

4年間、 「 神宮寺寂雷役 : 鮎川太陽 」 を守り切ってくれてありがとうございました。お疲れ様でした。





願わくば、この最高が未来につながりますように。





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2023.09.15 74


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