和の心コズミックスピリット⑰
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■民間の文化というものの大部分は形も残らないものである
日本や北アジアには、棒状のものを大地に立てて祭祀を行う宗教文化があります。これは権力者の祭祀よりもむしろ民間の祭祀が主体になって維持されてきた文化です。
例えば日本の農家では都市の初めに畑の中央に立てて、大地の神さまへの挨拶と豊作のための祭祀が行われてきました。このような祭祀は行われていても物的証拠は何も残りません。
祭祀が終われば竹は取り去りますし、残されたとしても腐ってしまいます。民間の文化というものの大部分はこうした形の残らないものです。それが時代とともに大がかりなものとなったとき、はじめて形に残るようなものが生まれるわけです。
こうしたことも考え合わせると、円形集落が形として形成された旧石器時代には、すでに中心軸的世界観の原形が形成されていて、それによって円形集落が形成されたと考えるのがむしろ自然ではないのでしょうか。
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■日本は中心軸的世界観を生み出した最古の国
旧石器時代の磨製石器や円形文化は他国に伝わった形跡はありませんから、長い間日本列島では独自の円形集落文化が熟成されていたのは間違いありません。
その形成年代の圧倒的な早さを考えると、日本列島での中心軸的世界観の成立は、他のアジア地域よりも格段に古いと考えるのが妥当です。また、世界の中でも韓国以北の中国大陸極東部、すなわち、日本列島よりのアジア地域に中心軸的世界観が濃厚に見られますが、これらを考えると大陸から日本列島へ伝播したのではなく、日本列島で熟成された中心軸的世界観が、古い年代に大陸に伝播したか、または日本列島から大陸に渡った人々がそれを維持したからであると考えるのが自然ではないでしょうか。
もちろんそれ以降の時代においては、逆輸入的に中心軸的文化の一部が大陸極東地域から日本に入ってくる流れもあったことでしょう。
文化というものは大陸から一方的に来るものと、とかく島国である日本人は考えがちです。しかし少なくとも、中心軸的世界観に関しては、日本がその最古の発信地であった可能性が極めて高く、この事実への認識は私たちの心の世界を知る上で重要であると思います。
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■歴史上最古の文明は日本である
歴史の常識はこれまでに何度も書き換えられてきました。縄文土器の年代にしてもそうです。戦後、放射性炭素年代測定により、縄文土器が当時の常識から見るととんでもなく古いものであることを示す判定が出てきました。
しかし、日本の学界はその後もそれを否定し続けました。それは人類文明の発祥の地はメソポタミア文明であり、土器というものはそこから伝わってきたものであるという常識が根強かったからです。
メソポタミア最古の土器は八千年前とされており、日本に伝わる年数を考慮に入れて、縄文土器は四、五千年前のものだろうとされ続けていたのです。もしも放射性炭素年代測定を認めてしまえば、土器の発祥の地はメソポタミアではなく、日本ということになってしまいます。
そんなばかなことはありえないと、日本人自身がそれを否定し続けました。しかしその後、放射性炭素年代測定以外の様々な鑑定方法も生まれ、それらを使ってもその結果は疑う余地がないことがわかり、否定できなくなってしまったのです。
日本の縄文土器が人類文明発祥の地と言われたメソポタミアよりも古いことは、今や世界の常識です。日本列島には人類最古の文明と言われたメソポタミアよりも古いことは、今や世界の常識です。日本列島には人類最古と言われたメソポタミアよりも七千年以上も前から土器文化が栄えていたのです。
(続く)
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■過去記事
続きものになっているので、興味がもてた方は最初から読むとより面白いかと思います(^-^)
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■関連書籍と記事の紹介
ガイアの法則
これからは日本の淡路島、明石の東経135度線が世界の中心となる…。これは世界、宇宙の法則であるスピンにそれが証明されているという千賀一生さんが実際に体験したチャネリングより記された一冊です。
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千賀一生さんを紹介していた、主に日月神示の解釈本を書いている中矢伸一さんの書籍です。今の感染症の時代を予期していたかのような内容が書かれているのが興味深いところです。
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