和の心コズミックスピリット㉔
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■自然を壊す農耕と自然と同居する狩猟採集
農耕は自然を壊すところから始まります。自然界と人間界とに境界を設けるところから社会がスタートします。
農耕に頼らない縄文の定住は、自然そのままをより豊かに手助けすることで過度な労働を必要としない社会を実現しました。前者と後者とでは自然界への認識は当然違ってくるのです。
食料を確保し、自分の身は自分で守り、生産性を高めるという観点による農耕の定住は、労働に頼らざるをえなく、そこからは権威的組織性が生まれます。
シャーマンのもつシャーマニズムも西洋の学者たちがビジョン化するような、何かの定理を強く希求する自己保持的呪術要素が濃厚となるのは当然でしょうし、時にその呪術と呪術はぶつかり合ったことでしょう。
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■祖先・自然界への感謝が基本の日本の狩猟採集時代
農耕は自分で作った作物を食べますから、自然界からの恩恵をいただくという思いより自力で手にするという観点が濃厚になります。
それに対し、狩猟採集の食生活はすべてが自然界からの恩恵です。日本の森は少し歩いただけでも食料の宝庫です。移動せずとも成り立つほど豊かな狩猟採集生活は、日照りなど天候変化に左右される農作物と比べ、多種多様な食料をベースにしているので自然界の変化に強いのです。
そこではことさらに何かの成就を念ずるような色彩は農耕社会ほど強くならず、祖先への感謝や自然界への畏敬の念が主体のアニミズムとなるのも当然の流れと言えます。
また、シャーマンや教祖のような特別者ではなく、みんなが共に成立させる色彩の強い宗教文化となることも当然です。
西洋の協議主体の宗教文化と日本の型主体の精神文化の差異は、このあたりから既にスタートしていたと考えられます。
前にふれた世界のスタンダートと言える一人の人間を信奉する社会が一つになる『教え』型の宗教の社会的機能は、同じく一人の人物の特異性を頂点とする権威的シャーマニズムの社会的機能性とよく似ています。
一人物よりも型主体の日本の精神文化が、同じく型主体の縄文の原理と酷似しているのも偶然ではないのでしょう。
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■どんなものもみんな仲間だとどこかで思っている日本人の世界観
日本人の世界観は一元論的傾向が強いと言われてきました。一元論とは存在の大本が一つであるととらえる世界観です。
この世界は対立的、分立的なのではなく、一番深い本質では一つのものであるととらえる傾向が日本人は潜在的に非常に強いと言われます。
神社にもお寺にも行き、クリスマスも祝うというように、どれが正しいという見方ではなく、可能な限りを営みとして受け入れようとするのは、どんなものもみんな仲間であるとどこかで思っているからです。
もちろん受け入れるべきでないと思われることには拒否をする性質も日本人は一方では持っています。
ですがその拒否をする場合も、全体を乱すとわかるときに発揮する傾向があり、拒否さえも一元論的傾向が見られます。
この日本人の性質を培ったのは何だったのでしょうか?
他の民族においては、民族の精神は経典など、言語によって伝達されるのが通常です。ですが日本においては世界観の伝達の主体は『型』なるものなのです。
大自然を代表する木という存在は営みのバトンタッチで成り立ちます。最初の細胞たちの営みを新しい細胞たちが引き継ぎ、その新しい細胞たちは古い細胞たちを大切に自らの内に包み、今度はまた新しい細胞たちに同じ営みをバトンタッチしていきます。
この連綿と続く『営み』が一つの調和された『型』を作り上げます。日本人の世界観や社会観念はちょうどこの木のような伝達性で伝えられてきたように思われます。
(続く)
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■過去記事
続きものになっているので、興味がもてた方は最初から読むとより面白いかと思います(^-^)
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■関連書籍と記事の紹介
ガイアの法則
これからは日本の淡路島、明石の東経135度線が世界の中心となる…。これは世界、宇宙の法則であるスピンにそれが証明されているという千賀一生さんが実際に体験したチャネリングにより記された一冊です。
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日月神示解釈本:中矢伸一
千賀一生さんを紹介していた、主に日月神示の解釈本を書いている中矢伸一さんの書籍です。今の感染症の時代を予期していたかのような内容が書かれているのが興味深いところです。
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