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ガンになりたくなければコンビニ食をやめろ!/アメリカの策略によって日本の伝統医学は抹殺された

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■軍医の外傷に特化した医療技術としてアメリカから急激に普及された西洋式医療技術


明治時代になって日本では西洋式の軍隊が設立されたが、軍医は当初、旧来式の漢方医が採用されていた。ところが1877年の西南戦争時、負傷した政府軍の兵士たちに対して漢方医療法が施されたが、満足な効果が得られなかった。

これは当然の結果で、東洋医学は慢性疾患に対しては非常に強い効力を発揮するが外傷の治療には適していないからだ。戦場における医療とは外傷の治療が主な役割だ。

その事実を受けて、当時の明治政府は西洋式の医療技術をアメリカから取り入れるのを決定した。当時のアメリカは日本が西洋化するように画策していたから積極的に技術を伝えたのだ。その結果、日本では多くの人物が軍医として養成された。

後の日清、日露戦争で日本軍が多大な戦果を挙げるのに成功したのは、軍医の適切な治療が大きな要因になったというのが吉野さんの持論だが、そのような意見を唱える専門家はほとんど存在しない。


■日本の伝統的な口中医を追いやったアメリカの西洋式の医師免許資格


明治時代以前の日本の医師の区分は、当初は4種類で、整骨医、眼科医、産科医の他に、現在の内科医と薬剤師、鍼灸師と漢方医の役割を担い、加えて歯や舌など口内の部位の治療をする「口中医」が存在していた。

口中医は「医疾令」の教育内容の中に耳、目、口、歯の治療を1人の医師が行なうという指示が存在したことに端を発するもので、安土桃山時代に確立した。江戸時代には総合治療医たる口中医が朝廷や幕府の侍医になった。

当然ながら大半の病原体は口内から侵入する。危険性の高い食品も口から入るわけだが、口の中に病気の原因が入るのを防いで全ての病の発症を防ぐというのが口中医の役割だった。口中医を現代の医療従事者に例えると、複数の治療を一手に引き受けている状態だった。

しかし1883年に西洋式の「医師免許規則」が布告されて以降、医師という職業は「医師免許保持者」と「歯科医師免許保持者」に分断されてしまい、それどころか、鍼灸、漢方薬の効果まで否定されたことで、口中医の概念が抹消されてしまった。

その後、鍼灸、漢方医の地位が復権するのは1975年前後まで待たなくてはならなかった。

当時のアメリカは日本に対して積極的に西洋式の医学を伝えて、背後では日本古来の医療技術を消し去るという目的を実行していたのだ。

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