「うまい」と褒められてもうれしくない
演奏がうまいと褒められても全くはげましにもならないし、別にうれしくもない
演奏の上手な人というのは上手になるように、コツコツと努力を重ねてきた人
だからうまいのは当たり前
そりゃあうまくなるためにこっちは必死でがんばってんだからうまくなきゃ困るぜっていうはなし
そしてその「うまい」の一言でその努力はまるでなかったかのようになり、あたかもその人にもとから内在していたもののようにされてしまう
ちがう
それは絶対にちがう
めっちゃうまくてヘラヘラして、ほらこんなん簡単だろっていう人も、話をきけば小さい頃に血のにじむような努力をしているもの
個人差や外れ値はあれど、ふつう、音楽、楽器において努力なしでうまくなることなど絶対にない
楽器がうまいですねなんていうのは、日本人に日本語うまいですねと言っているようなものでぜんぜん励ましにもならない
そしてその言葉によって、演奏のごく一部の要素にすぎないテクニックにのみ焦点をあてられてるような気がしていやな感じがする
なぜならそういううまいだけの演奏にならないように1番気を使うから
ただうまいだけのおもんない演奏ほど嫌悪感をもよおすものはない
でも、あなたの音が好きです、あなたの音楽はすてきですねだったら大歓迎
自分の演奏で人に喜んでもらえるときほど嬉しいことはないからね
まあこんなことにいちいちいちゃもんつけてるのは自分だけだろうし、いい音楽だという意味でみんなうまいと言ってくれるのだろう
しかし気に障ってしまうものはしょうがない