血の轍
「血の轍」17巻完結
押見修造
この作品は、押見修造が自分の救済のため、母への復讐のために描いた私小説。
テーマは「毒親」。
もちろんフィクションを交え、物語として昇華した一つの作品ではあるものの、そこに映る感情はまさしく作家の自意識の底を覗くような、極めて個人的な物語。
しかしそこには、読む人それぞれが自分の物語として引き込まれてしまうような普遍性があります。
親との関係、確執に悩んだ経験がある人は多いでしょう。
読むのはとても苦しい。
感想を書くのでさえ、何を言ったらいいのか、何が言えるのかわからない。
そこには、自分と、まだ生きている家族や関わる人たちがいるから。
でも、作家はそれを描かずにはいられない。自分が自分を生きる為に…
それが作家の性なのでしょう。
最終巻のあとがきで、押見先生は何度も謝っています。
しかし、ここまで描き切ったことに賞賛の拍手を送りたい。
🩸🩸🩸
押見先生の作品は、「悪の華」「ぼくは麻理のなか」「おかえりアリス」など読んでいましたが、「血の轍」は毒親の話と聞いて、胸糞系の話はリアルに腹が立ってしまう方なので避けていました。
しかし、漫友さんのオススメや、インタビュー記事など読んで、ガロ系つげ義春マニアからの押見ファンとしては読んでおかねば!と、遅ればせながら手に取りました。
12巻までが静一子供編、13巻から最終17巻までが静一大人編になります。
以下ネタバレあり感想です⚠️
楽しい話は一個もないので…押見作品に興味がある方のみチラ見でもしてくだされば幸いです🥺
👾👾👾
子供編の静一。
毒母、静子に溺愛と精神的虐待を繰り返されるという執拗な揺さぶりを受けて、次第に心の箍(たが)が外れ狂わされていく。
子供だから抵抗する術もなく洗脳されて。
中学生になり、同級生の女子と密かに付き合うようになって、母との関係はおかしいということに気づくけれど、抗っても抗っても執拗に注入される母の毒。
読んでいるこちらは、静一なんとか逃げ切って自分を保って…と祈るけれど、蜘蛛の巣にかかった虫のごとく、もはや抗いきれず自らも狂気に堕ち、やがて取り返しのつかない事件を起こしてしまう。
優しいようで何もしない、無関心を決め込んだ父の罪もまた毒母と同様に重い。
優しくて賢かった静一少年の人生は決定的に狂わされ、奈落の底へ突き落とされてしまった。
大人編
事件後、母とは訣別し、死んだように生きる静一。
高校を卒業すると、
「今まで見て見ぬふりをしてくれてありがとうございました。」という言葉を投げつけて父の元からも去り、一人暮らしを始める。
何もかも忘れたい静一だけど、視界が歪むほどの幻覚を見せるまでに、母の呪縛は強く静一にこびりつき、いつまでも消すことができない。
大人編はひたすら静一の心象世界の描写が続く。
大きなコマ割りで、線が多くてぼんやりした人物のアップ。セリフは少なく、表情や、線の細さ、濃淡などのビジュアル情報全てが、
現実を生きながら自分の心の中の風景と行き来する静一の混濁した世界を表現している。
母の顔や体がドロドロと崩れていったりと、おどろおどろしい絵。
こうした内面の描き方はつげ義春やガロ漫画の影響を感じる。
最終巻、母の介護をする静一。
自分を地獄に引き摺り込んだ母。放棄することもできたはずなのになぜ…
はっきりと母の肉体の死を見届けることで、自分の精神を縛る観念としての母を完全に抹殺してしまいたかったんだろうか。
あるいは、私が今親の介護をする身で感じることなのだけれど、老いた母のことを「母だった別の人」と思えてしまう。
老いた母を見て、今までとは違う感情が湧いてきた自分のことを観察したい気持ちもあったのかもしれない。
衰弱していく母を看ながら、自分の中の母と対話をする静一。
愛して欲しくて必死だった
死ねよクソ親
あなたを愛していたよ
あんたの子供じゃなくなれて良かった
ここを何度も読んでしまう。
子供は親に愛されたい呪いにかけられてるんだと思った。
こんなシンプルな言葉でも、言ったら楽になると分かっていても、子供には言えないもの。
やっと解放されほくそ笑む静一。
この言葉を突きつけて作者自身の呪詛を解く為に、この長い物語が必要だったのだと思った。
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