人生の目的とは、小さな喜びを喜びと受け止めれることではないかいな。

3日分の晩御飯を仕込んだぞ。

今朝のウォーキングで気づいたこと。
それは、、、

「喜びしかないこの世界」


を発見することが「人の幸せ」なんじゃないかしらってこと。


歩く、移動は「食べ物を獲得するため」と言う人がいる。
動物として生きるために食べ物を確保するために移動するという基本的なことだから、それは本当にそう思う。

で、獲得して「満ち足りる」のだろうか?
と考えたわけ。

お腹が満ちて
嗚呼しあわせって思うよね。
でも、それ以上でも以下でもなくて、またお腹が空いたときのために食べ物を確保する旅に出ないといけない。

準備準備な日本人考え方かもしれないけどもw


お金が目的の人も、結局いつまでも求め続ける。
あっても心が満たされないくて「しか」としか思えないとか。

満ちることを目的としたら、それは」ずっとかなわないんだろうね。


でね。
歩いてて思ったわけ。

歩けてる
安全に
体が動くし
その時間も作れている

目の前に猫がいる
今日はワンちゃんと目が合った
見えるし
可愛いと思える脳みそがあるなー

何があっても
何事も全部「喜び」なんじゃないか?

その一つひとつに意味はなくて
丸っと喜びそのものなんだろーなって。

風が吹いた
頬を撫でた
ぬるいと感じた
葉っぱが落ちた

何事も全部丸っと喜び。

その全部を「喜び」と感じられる「わたし」で存在することこそが
自分が存在する「喜び」なんじゃないか。

それを喜べるわたしって、今超絶幸せだわ。


幸せは探すものでも手に入れるものでもない。

感じる心を育てた先に「見出すもの」なのかもしれないね。

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