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わたし、うずまき🌀さん、大好きや🌟続おかんのぼやき

ふーん
タイトル決めて、タイトル画も最初から決めて書くのかあ

わたしには無理だな(笑)

多分、最後まで書いてから決まるでーウンウン


さいきん「わたし」と書くと違和感があるのはなんでだ?

「うずまき🌀」には無理だな(笑)

うんうん、これだな。しっくりくる。
小さな頃、家族が自分を呼んでくれる名前で「〜ちゃんなぁ」と喋っていた。
そのまま「○○ちゃん」とは恥ずかしかったみたいでちょっと音を濁して「〜ちゃん」と。

でも、いつしかそれを「恥ずかしい」と感じて辞めてしまったのだ。

それ以降「わたし」と一般的になっていったんだね。
これにどんな問題が隠れているのかはわからない。でも、note上自分を「うずまき🌀と言うようになってなんともほくほく☺️とするこの感覚は間違いなく「心地良い」。

と、どうでもいいことを描いている(笑)


桜の季節が早々と終わり、大好きな葉っぱが緑緑する葉月にはいり、最近では公園の桜の木に「さくらんぼ🍒」が成っている。
赤いものもあれば、ブラックチェリーのように真っ黒のもある。

どっちも食べてみた。
わんこを待たして。
うーん、美味しくないなー

しかしなんで、いーーーっぱい花が咲いたのに、さくらんぼはチョロっとしか成らんの?

記事を書くために、お一つもいできた。
これもまずいのかな。
そしたら、食されるために並んでいる奴らは、どんなにか丁寧に色々と手を尽くされて並んでいるのだろうか。

果てしない作業に乾杯。

これもまあまあ、どうでもいい話だな(笑)


うずまき🌀今、50肩。
「老い」って凄い。
そうならないと「気づかない」。
どんなことも、そうだと思う。
んでもって、
思い知らされて、やっと自覚する。
うずまきはだんだん賢く成って(笑)、
最初から受け入れるようになったw

諦めると言えば、あれだけどー
争う時間をワキに置いて、あらそーふーんと早い時点でそーなのねーと受け入れちゃえる。

軒なみ跳ね返していたのに🧐
そのエネルギーどこいった?

どこどこ?(笑)(c" ತ,_ತ)

求めなくなるって書くと、無欲なのか?ってなる?
でも、ちゃんと欲しいと思うものはあるし、手に入れようとする。と思う(笑)

でも、どうだろ🧐
もうほとんどのものは持ってると思うのさ。
物質も、そうでないものも。
うまく表現できないけど、、、、

「ない」と思うことそのものが、マヤカシ、幻想、嘘、投影、東映うずまさ。

え?なんだって?
わたし、うずまき🌀中身はくらげ🪼です。

ま、逆も言えるかな。
「ある」と思うことも「仮想現実」なのかもね。

何者かが造ったフイルム🎞️を映写機📽️が回ってスクリーンに映し出す。
現実ってなんだろうか。

人の集合無意識で自然発生的に「ブーム」的な流れが起きて、ほぼ同じような「モノ」で暮らしている。
ほぼ同じような「食べ物」で命を紡いでいる。

猿の芋洗いみたい。
見えない電波で伝染してる。

まあ、だからなんなんだ?!の話でやっぱりどうでもいい話(笑)


今年に入って「自分は生きづらかったのか」と気づいたところからの違和感は、わざわざそういうルートを自ら歩いてないか?と言うことを思わされてないか?

お?なんだこのシナリオは!

なんてクソ面白くない(笑)



そうそう、気づいたことはこれだった。
「みんなママごとしてる」ってこと。

何やっても、それは手探りで、答えのないまま見切り発車。
先なんて見えないし、予測したとてそれは予測を超えない。
事実はその時にしかわからない。
そしてそれも一瞬に思い出に変わる。

何故にその一瞬に思い悩むのか。
苦しいと思っていることで、なにがメリットなのか。
必ずそこにはメリットがある。
いや、メリットしかないと、言えるかも知れない。

事実、たらればは存在しないからね。
もし、それを選ばなかったとしたら、、、

いつも「押せるボタン」は一つなんだ🙄

意識が感じていられる「世界」は一つだけってことか。

どのボタンを押すのかは各人の好きに任せられている。

同時にいくつもの世界を持つわたしたち。
細胞の数だけあるかもね。

ふー

これもなんのこっちゃなどうでもいい話(笑)


やっぱりタイトルは「おかんのぼやき」に決まりやね(笑)

プロフィール書かなあかんねんけど、このnoteのわたしの自己紹介が秀逸すぎて、自分で書いて何度読んでも新鮮で面白くて笑うのん。

変かな?

これ書いてもいいかな?(笑)

わたし、うずまき🌀さん、大好きや🌟

あ、タイトルこれにしよう✌️

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