「もう、治らへんのや」からの破壊とん。

ふぉーーーーあいたたたたたっ

50肩のわたし。
たまに忘れて両手を上げて伸びをする。
魔女の一撃を喰らう瞬間だね😎

そんな光景な朝の食卓で、夫が言う。

「もう、治らへんのや」


彼の肩はもうずっと前から不都合らしい。


ふーん。
わたしの50肩はじゃあ治らんのか?と聞いた質問の答えだ。


上手にお付き合いされていると言えばいいのかしらw

そう、モノの見方って千差万別。
色んな視点や観点があると色んなものを生み出せるのよね。

ワンウェイではなくエニウェイ。
猫ウェイ🐈ウニウェイもあってもよい笑

カタナカおもろいね笑

意味のないこと
くだらないことと思われることにこそ
面白味ってのが隠れてるよね〜


そんなことを楽しむ余裕とか自由度を持って遊ぶように生きる。

生きることのために犠牲を払うことが「土の時代」だったのだろうな笑
珍しくそんなスピ様方の言葉を書いてみた笑

色んなこと制限してるんだもん。
わざわざ反発してタナーって。
制限は何も生まない。
結果みんな縛られるものね。
めんどくさい。
制限って、自分たちの都合が悪くなるから作るんだよね。
で、自分たちも苦しくなる。

いらねーじゃん笑

ジャワ島のこども達は3ケツでバイクに乗ってたよ。

大人も3ケツ。
交通量の多い交差点でも、事故なくスイスイ。
出会ったゲルトハウスのオーナーは「ポリシー」、つまり警察官。

ルールなんてあってないようなバイクの世界で事故はないのか?と聞いてみた。

あっても当人同士で解決する。
僕らはそこにいるだけだって。


怪我して困るのは当人達。
だから、お互いに怪我しないように思いやって互いに守り合う運転になるそうな。


日本ではあり得ないよね。

どっちの責任だ
あっちが悪いんだ
自分は正当だ!
保証は保険会社、
成敗は警察で。
事故で損得。

怪我したら、暮らしに影響するんだから守り合う彼らとは全く正反対。

自分の人生を「自分のもの」として生きれない人たちはなんでどうやって形成されるのか。


ジャワやバリにいたひと月はわたしにとって「人として」「アイドル」でいられたとっても幸せな期間だった。

もちろん「¥」を求めてよって来た人もいたよ。
日本円はとても貴重だったみたいだからさ。

だとしても、それを超えて「大切」にされていたねー。
言葉が通じない分、エネルギートークがてきる、そしてそれは「相手を知ろうと努力」に繋がるのだろうな。

何を言わんとしているのか
助けを欲しているのだとしたら、何をすればいいか?


直球でここに当たる。

その繰り返しだったねー。
言葉が通じないこその素晴らしさがあったのかもしれない。


ここに、心の制限はなかった。
だからだろう、心地よくて大好きな空間だった。


日本に帰るにつれ、目が合わなくなっていき、とうとう「わたしの世界に入ってこないで」の空気感に帰った。そこは日本だった。


悲しくなった覚えがある。
でも、そのうち馴染んで忘れてしまうのだ。


環境とはそういうもんで
「みんなそうだから」
「昔から決まってる」

同調圧力すらもう感じなくなる。
マスク圧怖かったー、今もまた圧ってくる人増殖してきてるよね(笑)


環境破壊はいけないって地球ほじくり返して地下資源使い放題にしておいて言うわたしたち。

今こそ?もうずっと前からそうだろうけど。。。

その「箱」、破壊するべきなんじゃないの?


内側からの破壊。
世の中を変えたければ自分を変えるのが先。

植え込まれた制限に気づいて取り払う。
うーんと外して来たつもりでも、まだまだ在る。

在る?
これもまた疑おう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?