「自分責め」のメカニズム(わたしの場合ね)

自分を責めて攻めて責めまくってきたわたし。

それが「自分責め」だと思ってもなかった!!

ここで、一つ言っておくが「わたしのこと」ですので。
他の人のことは、知らね(笑)

大きく一つ目は
「反省」だね。

これが曲者でね、反省と言えば聞こえはいい。
しかし、この反省の中身は「自分の正当化」でね。
ほぼ、言い訳😆

外側から見た「自分」がどうあるかにしかフォーカスしてないってのが、おおすじやったかなぁ

どうすれば、それは改善できるか?

と言う視点で考えたとしても

どうして、あの時、あーしなかったのか?
どうして、あの時、こーしなかったのか?
言えなかったのか
言い過ぎたのか

これはただの「後悔」なだけよね。

でもね、ほとんどこの思考が頭の中を占領していて、ずーっと反芻。

もうすでに終わったことで、どーあがいても事実なのだよ。
この後悔の中身こそ「自分への見え方」にのみ注視しちゃってる自分。

前にも後ろにも動けない。
自分責めの正体は「それらができなかった自分」をなんで出来ないんだ!と罵ってること。

本来,向き合うべきところよりも、自分の見え方しか見てないから、なんにも解決しないのね。


だから、何がいけなかったのかを探すと果てしなく自分を追い詰めてしまう。


で、大体の現象は「成るようになるもの。成さないものは整わない、自然の理の通りになる」のだ。

つまり、なにごとも、常に、最善なのだ。

振り返ると必ずそこには「やっぱりそーだったのか」的なことが隠れている。
「おかげさま」とも言う。

いい・悪いの世界にいると見えにくいけども、どっちも存在していて、自分が見るポジションでどっちかに偏るだけなのだよ。

なので、いけなかったことはそもそも存在してないのも同然であるのだ。

悪いと偏って、それを改善するとイメージし続けると、そうなるし(笑)
よいと偏って、ラッキーと思うだけで、それはラッキーに勝手になっていく。

過去に目をやって、いつまでも見続けてると、結局そこにい続けることになるのだ。

それでいいならそれでいい。


わたしの場合、ラッキーを無理クリ思おうとしてみたけども、性根で逆のこと思ってるから、ラッキーにはならず(笑)
それをまた意識するから余計にまた、出来ない自分を責めるのだ笑笑


このループから抜けたのは

感情のベッドの法則

あ、これはうずまき博士(わたし)の発見なのですよ(笑)

完全な持論です。

長い間、どうやって自分を大切にするんだ?とよくわからないままだったけど、この感情のベッドを発見してからめっちゃスムーズに「自分責め」から抜けたかな。

ま、人の頭の中なんてわかりゃんと思うから難しい!に感じるだろーけど。

ほな〜

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