#自分と向き合うシリーズ「体・痛み・喜び」
明け方、右手人差し指がちくっとした。
なんだろ?
虫かな?
いや、神経痛のような痛みだから、内部からの反応だな。。。
痛みの箇所に手を当てた。
右腕を動かそうとすると、50肩が起動する。
肩のソケット内部の癒着から肩甲骨や小胸筋、僧帽筋やらが硬くなり、筋膜がそれぞれ張り付いて「自由なき肩周り」を形成している。
なんで、わたしは「固くなる」を選んでいるのか?ここになんのメリットを持っているのか?
体を硬直させることを喜びとしている理由があるのだ。
一つ感じ始めると、
体のあちこちから話しかける声が聞こえてくる。
蝉がいきなり飛び立って驚いて首をすくめてイタタとなる。
庭の階段が恐ろしい(笑)
そろそろ慣れてくれよと自分に言う。
その度に、首と肩に痛みが走る。
体のあちこちから話しかけてくる「痛い」って。
一つひとつ聞いていこう。
甘やかすでもしかるでもなく、ただ聞いて。
「のびやかさ」を示してはいけないと自分と約束してしまったメリットはなんだろう?
答えを探し出したら、きっとまた過去に戻ってしまう。
実は過去にその答えはないのだ。
「今」この時点にあるのだと思う。
そして、その答えさえもどうでもいいと思ったりするのだ。
あら、そこにメリットはないわよ。
辞めていいんじゃない?
そんなことで解決するんんじゃないかな。
もしかしなくても、頭の中で呪文のように唱え続けてるのは明らかに「自分」なのだから、やるもやめるも自分次第。
誰も手出しはできないのだもの。
痛みを感じられる体があるんだ。
わたしは今生きてるんだ。
「あなた、あなた、わたしはここにいるわよ、気がついて」って言ってるとしたら、
あなたならなんて答える?
整体に来た人がよく言う
「この痛みのせいでやりたいことが出来ない」
「この膝がもう少し動いてくれたら、あれこれするのに」
「治ったら」。
わたしがその時言えたことは
「ここまで来てくれてありがとう。足が体が動いてくれたから来れたんですもんね」。
あるバイクのレーサーをしていた方はこう話してくれた。
「事故をして足がぐちゃぐちゃで、あちこち折れて、今生きてるのが不思議なくらいの事故を起こしてね、それ以来足が痛くて、お陰様で人生ぐちゃぐちゃ。嫁さんにも愛想尽かされて。。。」
この方の時、その言葉を聞いて悲しくなってきてね、、、、
体は一生懸命に「生きる」を選択して、細胞達が一生懸命破壊と再生を繰り返して「今」わたしの前にその体を使って来れた、あなたという意識が「そうしたい」と思ったから、体は叶えられるように痛くても頑張ってここまで来た、だのにその言われ方はないんじゃない?
一番のパートナーは「自分の体」だよ。
ありがとうを伝える一番最初の相手だよ。
あなたが痛いとか気持ちいいとか「思ったり感じたり」出来るのは体があってのことじゃない?
上辺だけじやなくて、本当に心から「あの時死なずにいてくれて生きてくれてありがとう」って抱きしめることが出来た時、奥さんのことも進むかもしれないね。
自分と言う1番のパートナーを大事に出来ないのに、他人を愛することは出来ないなって、その時強く感じた出来事だった。
体が悲しいって言ってた。
今思うと、わたしへの言葉だね。
上辺で「ありがとう」って言っても細胞達は見抜く。
どんな状況下であっても、
いま、わたしは生きているって言うその喜びが溢れてくる時、ありがとうを超える感謝になっていくんだ。
アンネフランクみたいになってきた。
彼女のような獄中でもなく、食べるものも住まいも、自由もあるのに、勝手に囚われた気になって、閉じ込める呪文を吐き続けてるのだ。
なんてこった。
なんてこった!
なってこった🌟
素晴らしい気づきじゃないか。
体が動くうちに、そんなことが出来るうちにって言う呪文を自分にかけいた。
この前提は「年をとって動けなくなる日が来るから」なのだ。
これこそ、コマーシャル効果。
老いるからこれ不足するよ。
刷り込まれてるね。テレビ見ないわたしでも、日常に刷り込まれている。
ここまで生きてきた中で見てきた光景そのままみんな「嘘」だ。
ほんとに、映写機で映し出されている他人の映像そのままを真実だと思って映し出し続けているのだ!!
公園の寂しく折れ曲がった老人達を探してt見ているのは、まさしく「自分」で、そうでない年を重ねたかっこいい人たちもいるはずなのに。
わざわざ、動きが鈍くなっていく人たちを選んで映し出してるんだ。
なんてこった。
なんてこった。
なんてこった🌟
素晴らしい気づきじゃないか!
自分が
見たいもの
感じたいものまでも、誰かのフィルターで見ていて、選んでいたんだって。
選び直そう。
自分の中のデフォルトを破壊出来た。
今日、生きて、生き物から命を貰って、活動出来るなんて、なんて素晴らしいことなんだ!
吸って吐いて
呼吸できるなんて!
感じてかんがえて、今文字にしてタイプ出来てるなんて!
この両手が動いてくれてるなんて!
自分の気持ちを感じることが出来るなんて!
それを表現できるツールがあるなんて!
なになに!!!!
全部、素晴らしいことじゃん!!
奇跡でしかない。
ずっと文字でしかなかった。
言葉をどんなに書いたとしても
心の中は空っぽだった。
真実、上辺でしかなかった。
今これ書いてても書き終わって、日常に戻った時、また上辺に戻るかもしれない。
でもでもでもでも!!!
なんだろ!
とうとう、抜けた!!
そう、生きてることが素晴らしいって
ここまで、わたしを生かしてくれた全ての命に感謝出来る!
そんなわたしでいてくれたことを祝福出来た!ってことをまた祝福して抱きしめられてる!
どこまでも、ありがとうって感覚になってる。
🌟
朝起きて
なんでまた、一日生きないといけないんだって思い続けてきた。
「朝起きてまた同じ一日を過ごさないといけないのか?なんで目覚めるのか。」
この一言を発したのは、2015年9月4日。
全てが喜びなんだってこと、忘れて?
いゃ、知らなかったのかも。
そんなこと、誰も教えてくれなかった。
早く早く、日常をこなす事ばかりで何よりも時間・人の作ったレール・ルールを優先する社会に「乗り切らないと」と焦らされて生きてきた。
乗ってしまえば、楽。
考えることも手放して
全てを放棄して
おまかせしていたら、楽。
いえいえい、細胞達は
次の時代へと突き進むために常に「交換と助け合い」をして進化し続けてるんだ。
おい!
自分!!!
しっかりしろ、生きるぞ!!!
ってね。
素晴らしい気づきとなりました。
きっと、すぐに忘れてしまうから、何度でも向き合うのだとおもわれます。
でもね、今日ほど気持ちよく文章が書けた日はないってくらい、スッキリしてます。
吐き出し完了しない(笑)
きっと多分、わたしはわたしという素晴らしいおもちゃを大切にして遊び尽くすんだと思う。
「自分」を追求して生きてきた。
ほんと、わたしがわたしであることを「実感」したかったんですね、わたし(笑)
最高に気持ちいい。
ライオンゲートは明日。
変わりない1日を過ごすにしても、全てがキラキラわたしに話しかけてくれる🌟
赤毛のアンみたいな心境よ(笑)❤️
感謝🌟
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