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#ぼやきか?自分がどんどんシンプルになっていく感覚。夏至翌日の朝は大雨。

書きたいことがあり過ぎる。
最近自分の反応が過敏になっているのか?
何にでも反応したがるwww

でも、どんどん研ぎ澄まされていく感覚がある。
反応も過敏であるけど過剰ではない。
そして、常に同じところに還って来れてる。

これをブレないと言うのだろうか。
そして、今朝においては自分がさらに違う視点にいることに気づいてきたし、大きく包み込んでいるようにも思う。

自分が人に優しくなった気がする。
うずまきの棘が取れた?

うそーん、あんた人を傷だらけにしてるっっ!やめれー

とかも聞こえてくるかも🙄
ま、それは受け取り次第だから。
しらねー。

夏至の仕業か?w

昨夜から次のターン入った次女が実家暮らしを再スタートで帰宅していた。

ブラックな彼女の仕事。
大きな「ひとやま」を超えた彼女は疲れ切ってはいるが、元氣である。
今回の山場に来る前に一月半ほどそうでもない期間があった。
その間休息したのか?という問いの流れで、チームの人との会話を聞かされた。

お母さん知ってる?
子供の日には菖蒲湯やねんで、夏至はたこ食べて冬至はかぼちゃ。
そんなん初めて聞いた、うち「七五三」した?節分した?

とか(笑)
ま、うちは夫がクリスチャンで(父親が牧師だから抗えない2世)、そう言う日本的なことをしてないんだなー、でも保育所で色々したよ。
それはそれでありがたかったなーとおかん回想。

日本には中国から来た二十四節気という季節の考え方があってね、人の体変化を戒めるというか、自然の中で生きていてその通りに進むんだよってことを教えてくれるものがあるんだよ。
昔、小さな頃に命を落とすことが普通だった頃、その年齢に達するだけで「祝い事」だったんよ。
だから、いちいち「生きてるだけで祝う」という喜びを表していたのだよ。
神社行って、着物着て、千歳飴食べるイベントじゃないよ。
お風呂に菖蒲やゆずを浮かべて遊ぶイベントじゃなくてそうすることによって、体をデトックスしたりする、つまり体内に冬の間のとか季節による「溜まり」ができやすいから、抜くという意味でそう言うことをしていたんだってこと。

生きていくための工夫であってビジネスのためのイベントではないんだよー。

そーなんや。
節分で恵方巻き食べるの大阪だけやってー
冬至でかぼちゃも大阪だけとか。

そうやって、うまいこと商売に結びつけるのが上手いのが大阪なんやでっwww
↑これは昨夜の返し。
今これ書いてて思ったのは、大阪は内陸だから運ばれてきたものは時間の経過したもの、だから新鮮さにかけるので大体加工されているのだ。
これもまた人の工夫。
だから、いかにダメにせずしっかり最後まで食えるように保存して食うための工夫の賜物が巻き寿司なんでないか?と思うわけだ。

それも遊び心でやっちゃうwww
それを余裕と言うのか?
分からんけど、みな必死で生きてきてその命をバトンしてきたんだなーって感心しますね。

この会話の中で次女の言い間違いに爆笑したのにすっかり忘れちゃったよ!!

2人以上になると、
めんどくさそうにする夫氏。
でも、確実に娘の滞在は楽しいんだなーって。

昨夜は早い時間の帰宅だったから「ご対面」。
いつもは寝姿しか見ない。
どっかの会社員みたいな話だねーwww

わたしは傍で見て感じさせてもらってる。

このドラマの結末はもうじきでる。
終わらないものはない。
変わらないものもない。

今日は大雨。
昨日に農作業しておいてよかった。
これも地球が「こうなさい」と教えてくれたからかも。

必ず、いいことしか起こらない。

次女もそんな違う視点に出会うタイミングに入ったんだなーって、ぼーっと観察。

スポンジのような時期。
頑なに跳ね返す時期。
岩戸がすこーし開いてきた時期。

色々辿る。

この山を超えたら彼女はどんな感じだろう。
実はわたしには視えているwww

あーまた、タイトルが分からん。
何にしようかなー。

そう、プリンよ。
めっちゃ甘かった(泣)

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