成功はあなたのおかげで、ミスは私の責任よ。

この境地に達することが「成功者」だなって感じたこと。


これって子育てにも当てはまるよね。
あ、全てにあてはまるなー。

総じていうと「信じて待つ」なんだよねw


任せたことには口を出さない。
その結果にミスが生じたとしても、それは伝えたほうに何か不足や不正解があったのだという理解、ポジション。

そもそも、採用したのは「見抜く力がなかったあなたの責任」ってことだね。

野球の監督の采配みたいなもんさ。
全ては監督の責任なんだよね。

そのコマをどう育てたか
どう使うか。


まして、
自分を棚上げしてその人のせいにするなんてもってのほかだな。
経営者として、人が離れていく現象をはっきりと見させてもらった。

同時に、どうあれば経営者として人材を育て事業を循環させていけばいいのかをみたね。


何を学んでいるのだ?🙄


わたしは何か立ち上げて経営し始めるのか?
いや、そうしたいから働きながら学べる場所に突入したんじゃないのか?


うーん
どうだろう。

ま、人を育ててみたくはなった。
肉親のこども育てはもう終わったからねー。

一人の「個人」として接してきたわたしの子育ては間違ってなかったな。
でも、今回目の前で親子喧嘩するのを3日間通してみてきてね、思った。

ちゃんと意見してくれるのは「子」。
それを受け入れないのが「母」。

つまり、他人はそこまで言わないし、嫌われることなんか怖くないから言えること出会って、大切に思わないならそもそも、めんどくさいから言わないでしょってこと。

言ってもらってるってことは「大変に喜ばしい」ことであって、感謝なんだよ。

それを「奪われる」とか「言いなりにしよう」と感じて完全拒否する様子を見て口を挟みたくなった笑笑


でも、わたしにとってどうでもいいことなので、言わずにいた。が、きっとどこかで言うと思うね🤣

それを言うためにここに突入したんだと思うし🤣

こうも、過去の栄光を起点にして裸の御王様になっていては、その王様すら生かすことができないじゃないか。


やっぱりね。

大切なのは

自覚です。

どんな状況が疲れていてもその種を作ったは「自分」です。
誰かにやらされているのでは、ない。

疲れていて頭が回らないからと言って、誰かのせいにしたり
自分を棚上げしていい理由にはならない。

まして、誰かの仕事の後のゴミ箱を漁るなんて、絶対にしてはならない。

嗚呼、今すぐやめる方が良いんじゃないか?と思えたね。


人を信用できないって、自分を信用してないってこと同じ意味なんだよね。


基本理念は「信じて待つ」ってことが重要だね。

必ず、いいことしか起こらないのだから。

そのいいことが起きるのは「あなたのおかげ」であって「わたしの手柄」ではない。
もしミスが起きたとしたら、それはわたしの伝え方の不備で、次回改善するための単なる学びなんだってこと。つま知るためのタイミング。

そんなこんなを体験していたら
誰かを育てたくなってしまったうずまきでした🤣

俯瞰してみてると人間って面白いね。草。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?