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「治る」って凄い🌟

全てのものは変化するもの。
あり続けたり
変わらないものは、ない。

左まぶたの傷はずいぶんと癒えた。

とはいえ、長患いですが。


鼻と瞼の間に「パチンコ玉」サイズの塊ができたのは先々週の金曜日。
翌土曜日に病院にいって抗生剤を貰えば、三日もすれば?長くても1週間で何にもなかったようになるだろうと思っていたら!!

なんと、現在で12日目。
腫れを見つけた翌日には左顔面が腫れ上がり、日曜日には体内ではどうやら発熱していて、節々が痛み目も開けられない。

わたしのさまざまなやる気を奪い(笑)
土日であったおかげで、ただただ生きているだけのわたし。

ハンモックで動画見てうつらうつらする日々だった。

そこまでいけば浮上するだろうと考えていたが、甘かったね(笑)


外出は控え(眼帯するのが鬱陶しいから&出かけるのが億劫)て、家の中でゴソゴソする日々。
Googleのメールアカウントの容量が超えてしまっていたのでメールや写真を削除。
意識が漫ろなままやったおかげで必要なものまで削除(笑)

結果!色々不要なんだよって。。。ね。

いえ、消したことによる対策をしなくてはならず面倒です(笑)

動けない時は動かないこと!!ですな(笑)

ドクターによると、膿は出すほどに治りが良くなるとのこと、痛みの範囲も狭くなっていき、患部を押すことができる。

それなりに痛いけれど全然まし!

昨日あたりから、つまむことができるのだもの。

腫れのひどいとき、すれ違うひとは「見てはいけないものをみた」ように合った目を少しづつ逸らすやつ。

それなりに引いてきたら「あら、どしたの?」と。

いえ、それ、めっちゃ治って来てるんですよーな顔。

人の反応が私の変化を表してくれているねー


腫れてる本人としては、大きな変化で快方(開放・解放)しているのだが、経過を知らない人から見たら、見たその時が「今」だからそれしか見えないし、その反応しかできないのだ。

つまり、あんたなんかにわかるもんかい。

ってなことの連続で、それぞれの反応なんて気にしなくていいのさってこと笑笑

みんな自分のことで精一杯なのよ。
誰かがどうあってもそれは他人事よ。
それはわたしも同じこと。

自分に起きる出来事も思うことも「自分の範囲は超えない」、超えることはできないのね。

だから、気にしない。
フォーカスしない。

そして、どんなことものも「変わらないものはない」。
必ず変化して「治る」のだ。

ほんと凄いよねー
治癒するって。

大丈夫
だいじょうぶ
ダイジョウブ

日々、自然の理(ことわ)りの中で生きてるわたしたちは植物と同じ。
太陽のリズムで月のサイクルで生きてる。
意識せずとも細胞たちは光の方へ向かっているから。

それは「わたしの意志」ではなくて、大いなる自然の引力であってコントロールできるものではないのだ。

光の方へ向かう細胞たちに任せて
「大丈夫」と根拠なく信じて。

それがわたしの「あり方」かな。

きっと、それが「機嫌よく居る」ことなんだと思われる。

機嫌よく
心地よく
したくないことをせず
したいことで居る

これらはノウハウで

信条は光の方へ向かう細胞たちに任せて
「大丈夫」と根拠なく信じることだったんだ。

いくら、表面上機嫌よくいたとして
なんかそう言い聞かせている気がして違和感だった。
それは奥底のわたしがちゃんと感じていた心地悪さだったんだ。

書いていて辿り着いたね。
いや、実は知っていた。

「信じて 待つ」

ここまで辿り着く「わたし・自分」をじっとわたしは待っていたんだね。

書くことで向き合うと辿り着く。
面白い。

確か、、、、タイトルは「治る」ことだったよね(笑)

入り口はそこでも
出口が素晴らしい。

ね、自分の奥底と一致することで
自分の平安をもたらせる。

大丈夫。
信じて待ってみて。


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