「自信」は落とし物箱にも交番にも届いてないのよねw

雨様
振りすぎですわ。。。


「自信なくした」と言いますよね。
自信は他所からやってくるもんではなくそもそも自分の中に在るもんだって潜在意識で持ってるわけですよね!

だから、落とし物箱にも入ってないし
交番にも届かないし
その辺に転がってるもんでもない。

まさしく、自分の中に備わっているもんなんだ!
自分の中にしかない。

だから、思い出すだけでいいのさ。
それが結構人生のテーマになりがち~
本来の目的はそこじゃないけども、なりがちなつやつね。

でね。。。
その自信を無くしてる「時」って
実はめっけもん。

自信を無くしてる時って、それが自分の世界の全てだって思い込んで必死にもがくじゃん?
わたしはもがいてきた。振り返るとね。かっこ悪かったとしても、すべて丸っとみてとれたらね、全部もがいてた「かわいいわたし」なのよ(笑)

自信を取り戻したい!
もっと、堂々と生きたい!とかってさ。
その時って無意識やけど「自信を無くしている自分」を認識してるからのことなわけよ。

無意識でなく自覚してるともっときっと早く脱出できるのだろうけど、そこは「体験こそが人生」やから、結局「無我夢中」でそれが世界の全て的に思い込んでことに当たるのだわw
これは、そういうもんだって認識だわ、わたし(笑)

で、その時に一生けん命に行動することは「宝物」なんだわさ✨

って、この年になって気がついたわけよ!!

これまでは、余計なお金かけて、時間もともに無駄にしてきた~なんて心のどこかで思ってきた(自己否定系ね)のだよ。
でもね「経験こそが人生」だとしたら、その経験しか語れないのよね。

いくら本を読んだり誰かの話を聞いて感動したり涙したりしたとしても、実際「自分の身体を使って」行動しなければ、それは「絵に描いた餅」でしかないのだ。

ただの「誰かの体験」でしかない。

机上の空論で人のもので、わたしのものではない。
聞いた話ほど誰の心も打ちません。
自分が体験して臨場感たっぷりに話すからこそ
そのストーリーに心が動くのだよね。

もがいてもがいて行動したことは必ずのちになって「財産」になるのだ。
それはそれは素晴らしい「経験という宝物」のなるわけよ。

何もせずにただ、じっとしていて脳みその中でこねくり回して
誰かに「助けて」と誰かの体験を当てはめてみたところで何も変わらないのだ。

やってみて手ごたえないとか、失敗やとか思ったとしても
その時に行動したことは「勇気」であって「すべて正解」なのだ。

つまり、みんな「勇者」なのだ。

何をやったかではなく、
やった結果でもなく、
やったという行動そのものが「宝物」なのだ。

病院行って、診断もらって、薬飲んで、、、
言われるとおりに何かした。。。。としても、これも行動よ!

全てが「勇気に基づいて行動した」時にそれは財産になり
その結果を得られたのは、その行動をとったからなのだよ。

結果がよく出ようが悪く出ようが、それは自分の解釈だからね。
その行動がなければ「その結果」は得られない。

つまり、次の未来への行動をどうしたらいいのかを得られたということになるのだ。

じっとして何かを見出そうとしているときも同じ。
「思考する」と言いう「行動」だ。

何もせずに「生きている」とは言わないのだ。
自律神経は勝手に体を生かしてくれている。
細胞たちは休むことなく移動し分裂を繰り返している。

わたしの
意識の外でね。


つまり、「わたし」と言う「意識」は何もしていないと思っていても、立派な自律神経はしっかりと「行動」していて、生きているのだ。


なので、それも「行動と言う財産」なのだ。


わかるかい?


君は
わたしは
あなたは

もれなく「素晴らしい未来に向かって歩いている」と言うことなのだ。
どんな状態であっても、だ。


大まかに言うと、そういう時期なんだということ。

でね、言いたいことは
体を動かすと、抜け出すのには早目かなってこと。
それも選択だし、自分で描いたシナリオだからどうもこうもないんだけどw

今回ね
自覚・無自覚を自覚する

ウォーキング

7号食

と来てね、マジでいろんなことに
気づき始めたのだ。

物理的に「わたしは今生きている」といことの奥深さって言うのかな。

そもそも、何かの命をいただきながらも「体は存在」していて
その体内の細胞たちは休むことなく、わたしを生かしてくれていて
それはわたしがコントロールできない「自律神経」であるわけよ。

わたしは「生きよう!」と思って生きているのではなく、
大いなる「自然の理」の中で「生かされている」でしかないのだって。


完全に完敗!

わたしはこれまで
あーしたい
こーしたい
こうなりたい
あーなりたい

とかなんとか「夢」と言われる誰かの幻影によって
イメージしてきた「夢の中」にいたんだなー。


もう既に、完璧なままに「わたしと言う命」は誰かに営まれているのですわ。

あーしようとか
こうーしようとか

思わなくても
常に自動的に「未来」へ押し出されているってこと。


なんちゃらとごちゃごちゃ書いたけど
つまり「自己の命、存在を肯定」するということが「自信」そのものなんだってこと。

で、そういう「自信」をすっかり忘れていたのだ。


これをひとたび思い出したなら
もう迷うことなく
自分の人生がすべて肯定にひっくり返り

未来に居る「わたし」をワクワクして感じることができるのだよ。



取り戻すのではない。
だって、誰にも奪われてなんかいないもの。

一人一人の中に「在る」からね。
間違いないwww

思い出すだけ。
そう、信じて。

あなたを
わたしを
君を

信じてあげれるのは「当人」だけだから。




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