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「矛盾を受け入れる」また湧いてきたやつ。

困ったねー
ちょっとおしゃべり収録してたら、また出た。
収録すると「瞑想」するのか?
新しいなあ(笑)

特に話の内容とリンクしているわけでもなく、いきなり口をついて出たのが「矛盾を受け入れる」だと。

自分を邪魔扱いしてるからやーんと昨日叫んで、うーん邪魔扱いせーへんのってどうするんかな?と全くよく分からず(笑)。
仕方ないので、放置。

で、今日またほどほどに出来ずに一生懸命片付けしてたのね。
せっかくお灸で楽になった腕を、動くじゃん!っていい気になりまして、ドタバタと作業(笑)

とうとう、うずいてきてやっと停止。
デスクに座ると「ほどほどに」のハガキ。
もう、ほんとにあれよね、こき使うように出来てるのよね,この意識は。

そんなことでぶつぶつ言いながら収録ボタン押したら、出たのさ。

昨日ね、次女と滅多な話をしていたのだよ。
お母さんは虐待を受けてここまで育ったのさという告白をしていた。
娘は、まさかそんな話があったのか!!と知らなかったのだ。
それよりも、母のわたし生い立ちなんぞに興味なんかなかったのだろうよ。
まだ30という早いうちからこんな話ができたなんてラッキーだよね。

わたしは自分の母親に出来なかったから、逆に羨ましいね。
この年になってやっとお母ちゃんのしんどさ分かってるきたかな。
親との問題の愛着障害とか色々と自分でなんとか乗り越えてきたもの。
それってすごいよ、ほんと。

2015年から今日まで、落ち着いた環境で、邪魔の入らない状態を作って、自分と一生懸命向き合って乗り越えたね。
そのわたしを外側から守ってくれているのが夫氏。感謝。

この時娘と話した内容は「病気は人をコントロールするための道具として使うものよ」なので、別記事にて展開しようと思う。イツニナルヤラ(笑)

しかし、娘にしたら驚く内容だったかもね。
優しいおじいちゃんの顔しか知らんからさ。
ま、でももう時効よ。死んでるしね。
わたしは親父とおかんの娘として生まれてきてよかったし、自分は自分で良かったと心の底から思えてるよん。

迷いも,違和感もなし🆗

で、今度は「矛盾を受け入れる」に移行したのね。
次なるミッションはこれだ!やね(笑)

なにせ正義の味方でね、曲がったこと嫌い、筋道違ったら「それって違うよね」と必ず質問して壊す。
これはもう得意技レベルで、どこに行っても何をしても「破壊」する。
なので、その場にいられずに、離脱。
結局仲間も手に入らず、いてもいい場所、チームにも所属出来ないできた。

「発達障害の人には世界はどう見える」の文中にあったのだが、そういう気質もその中に含まれるんだって。
当てはまりすぎてウケる。
そして、脳の回路のせいだから、特質なんだよ、どうにかしなくていいし、どうにもならんのよ、いい感じでお付き合いするのがベスト!ってね。

そんなこんなが区別できて、そうなのねって言える人とお付き合いするのだ(笑)

脱線。

そっか、感情のベッドだ。
「矛盾」のベッドを整えればいいのだよ。

noteの書き方も、日に日に楽になってる。
それはこの「感情のベッド」のおかげ。
それすらも「気にならなく」なっている。

今度はその絶対に受け入れてこなかった「矛盾」さんが「わたしも〜」と出てきたのだね。

まずもって「自分を生きる」のが何よりも先決。
発達障害の特性の中に「エゴセントリック」があった。
自己中心的思考だそう。
なんだ、これもそうなんだ、世の中の人が「人のために〜、役に立つことを〜、社会貢献ができてなんぼ〜」な発信をされいてるのをみると、そうあらねば、いい人にならねば、そうでない自分はだめなんだとなって苦しんできた。

でも、これも脳の特質なんだよ。
みんな同じじゃないんだよ。
出来なことで自分責めなくていいんだ。
って思えたしね。

だから、こうあろうとか言う記事は、人を苦しめてるんだよーって思うね。

わたしはそれよりも「自分を題材にして経験を話す」、それも自分の言葉で、思った通りに書く。

書き方とか、なんだとあるだろうけど、出来ないもんは出来ないのだよ(笑)。

優しくなかったら,ごめん。
分かってなくて、ごめん。
色々と,ごめん。

でも、わたしはこれで精一杯。
楽しく書くためには「自由」であること!!!

制限なんて要らない。

ってことで(笑)
この記事はこの辺で(笑)

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