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ダンシングロード 1

いままで⼈⽣で⼀番⻑い旅の、それもはじめの頃の経験…
【ダンシングロード】カンボジア5号線のお話です。
これはあくまで2000年12⽉当時のお話で おもしろおかしくは書いていますが、すべてホントの記録です。
でも、現在は道路事情は⼤分良くなっているそうです、
カンボジア道路⾏政の⽅々と、もしこれからいらっしゃる⽅の為に、
その点だけはお断りしておきますね。
たいした内容でもないのですがダラダラと書くので
4回ぐらいになります では、始めますかね。

〜〜〜part1〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
東京のアパートを引き払い
12⽉はじめに出発して 2001年ユーラシアの旅といいましょうか
“深夜特急ごっこ”といいましょうか 始めたのはいいのですが
早速、はじめに降り⽴ったバンコクに“沈没”しておりました。

 しかし、それではまずい
インドに向かうのは2001年正⽉あけからにするにしても
“旅“ まずは東南アジア、そうだ、アンコールワットに⾏こうとなりました。

 メンバーは同じ宿で知り合った⽇本⼈⼥性Sと当時の連れHと僕の3⼈ アジアの旅先輩、Sに勇気づけられ、⾏動開始!
(いゃS嬢も本⾳はキッカケがないと1⼈でズルズル年越しをバンコクでして、やはり“沈没”して しまうのがヤバイと思っていたようで…)

 朝ごはんを10Bで美味しい⼈気のワッタナーラーメンを
Mrワッタナーの屋台で流し込み
⽇本⼈、森さん経営のカオサンにあるMPツアーへ出向いてみました。
ゆるゆると、事務処理をするところなどがもうタイ⾵で
しかし、説明を聞けば⽇本語で教えていただけるところが ありがたい
⽇本⼈経営のお店
 アンコールワットのある街シェムリアップへアクセスを丁寧に教えてもらいました。当時、地雷撤去は都市部や有名観光地はだいぶ進んできたカンボジアではありましたが、まだ、あまり、いい話もきかないお国柄
始めは空路で往復、いけたらフノンペンものぞく?程度の企画でした。

 ところが噂にきこえた、アジア3⼤悪路のひとつ カンボジア5号線の話に
ワクワク帰りぐらいは陸路でぇ〜! が始まったのは⼥性2⼈の意⾒でした
チャレンジャ〜じゃ~のぉ~… と、⾔うことで。

 当時の僕は“⽯橋を叩いて渡る”どころか 当時の僕は ⽯橋を叩いて渡る どころか “叩きすぎて壊してしまい渡れないくち…だったですが
僕もその線でお供…と決定。
⽚道空路、5730Bの航空券のみをその⽇の午後には⼊⼿…と、 あいなりまた ダンスフロアーへの招待状がそろいましたね〜
  つづく…

カオサンの通称”お寺通り”の道端で・・・


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