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#思い出 ウズベク女子は強い

先日、ウズベクで一般的なSNS、Telegramで見知らぬアカウントから連絡が来ていた。前のメッセージを遡って見ると、ウズベクの語学系大学院の学生さんだった。アカウント名が変わっていたから、最初気づかなったようだ。内容は、「修士論文の発表を行い、良い点数を貰いました!」というとても明るいニュースだった。

これがどれだけ素晴らしいことなのか、上記のメッセージだけだと分からない。彼女は、未就学児を2人抱える若いママである。ウズベキスタンでは大学に入る年齢(18・19歳くらい)がすなわち女性の結婚適齢期に該当する。親の意向が絶対的な保守的イスラム社会では、必然的に既婚子持ち学生が珍しくなくなる。多くの場合、大学に行っている間は勉強に専念できるとしても、基本的に家事育児が免除される訳ではない。日本では、何となく大学に行って、目標もなくぶらぶらしている(私の場合ですが)その時に、ウズベクの優秀な女子の多くは、親が選んだ男性と結婚し、夫の家で姑とともに生活し、嫁として家事育児をバッチリこなしながら、なんとか時間を捻出して立派に勉学に勤しんでいる。

現地で同じく学生指導にあたっていた日本人によれば、地方出身の女子学生の多い学部では、嫁入り先の郊外の何時間もかかる山奥の家から毎朝バスなどを駆使して通学している学生もいるとのこと。それでも、彼女たちは勉強したい。もちろん、辛い家事育児や、姑との人間関係から開放されたいという理由も大きいとは思う。ちなみに、ウズベクでは既婚女性の悩みのトップは「姑」であると現地の女性から聞いた。他人と一つ屋根の下で一生暮らさねばならないというのは相当なストレスだと思う。姑さんは、自分がされてきた嫁いびりをまた自分の嫁にもしているのかもしれない。負の連鎖はどこにでもあるのである。

しかし、私は、帰国直前に冒頭の学生と会ったときの言葉が、忘れられない。私が貸した重い法学の本を大事そうにリュックに背負っていた彼女が、帰り際にまたリュックに本を丁寧にしまいながらなにげなく言った言葉。

「私、本が好きなんです。本当に、本を読んで研究するのは面白いです。」

彼女は、とてつもない美貌を持っていて、嫁ぎ先も将来に何も心配のない豊かな家庭とのことである。幸い、家庭内人間関係にも恵まれていて、私の職場に来る土曜日は姑さんが子供の世話もしてくれていた。大学院までいって必死に勉強しなくても、一生幸せに暮らせそうである。しかも、彼女はその大学院の一期生で、まだはっきりとしたカリキュラムができておらず、修士論文のテーマも「上から降りてきた」、聞けば相当な無理難題であった。法学のテーマであったので、私に相談が来た。最初は、面談時も話が噛み合わず、日本語も流暢ではなかったので、あまり期待もしなかった。しかし、数ヶ月して再度面談した際、前の問いかけを必死に考え資料を読み込んできたことが明らかにわかる、レベルの高い質問をしてきた。たどたどしさはあるが、話をしていてとても知的な好奇心が刺激されるいい会話だった。「この子、すごいんじゃないか…?」と思った。

面談の回数は多くはなかった。しかし、日本語、しかも法学分野の語彙で、前例のないテーマの論文をウズベクで書くことはどんなに大変なことなのか。ウズベクの研究の蓄積の現状をある程度知っている身からすれば、この国で、しかも専門外の法学について資料を収集して論文にまとめ上げるのはすごい能力だと思う。最後に、今書いている論文ですといって見せてもらったが、日本の裁判制度についてウズベク語で書いていた…。それ、超貴重な資料になるよ!と驚愕した。繰り返しになるが、あくまでも彼女の専門は、法学ではない、語学である。

ウズベキスタンにおいて、日本の主婦のそれよりもずっと重たい家事育児の負担からは逃れることができない。そんな制約の中だからこそ、新しい知識を得て形にする知的な活動が彼女にとって本当に貴重で喜ばしいものなんじゃないか。彼女のような優秀な人でも、ウズベク社会では組織の上にいくことはきっと難しい。でも、少なくとも子供に大きな影響を与える母親が高度な教育を受け、子供に良い家庭環境を与えるという連鎖は、とてもポジティブな影響を社会に与えるはずである。ウズベキスタンで優秀な女子を多く育てることは、目に見えない形で何十年後の国の発展につながると実感した思い出である。

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