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3.ギムレット


 ホテルスボミーインのエントランスで見知らぬ女性と口づけを交わすキバナさんを見た。

「こんばんは」
無視して通り過ぎてもよかったのだが、無性に腹が立って女性と別れた彼に声をかけた。
「おぉマリィ。奇遇だなこんな所で」
「随分堂々としてますね」
溢れる嫌悪を抑えきれず、言葉に少し毒が含まれてしまう。
対する彼はいつもと変わらない余裕を纏ったまま飄々とした態度であたしを見据えている。
「なんのこと?」
呼吸をするように嘘をつくなこの人。
「いえ別に」
「友達思いだな、マリィは」
「なんのことですか」
イラついたので同じように返事をした。

死んでしまえばいいのにと思う。
ユウリの中から、消えてしまえばいいのに。
どうしてあんたはそうやって自分勝手にユウリを傷付けて、それでも許されて、
ユウリに選んでもらえるんだ。
あたしの方がずっと、ユウリの事が好きで、あんたなんかよりずっとずっと大事にしているのに。

嫌いだ。
大嫌いだ。

本当に本当に心の底からあんたの事が嫌いで、憎い。あんたなんか、居なくなればいい。
堰を切って流れ出しそうな罵倒と八つ当たりをなんとか飲み込んで踏みしめた足に力を込める。
今この人に当たってしまえば、あたしの長年の我慢は水の泡になってしまう。

「丁度いいや、マリィこの後時間あるか?」
「ありません」
「まぁそう言うなって。ジムリーダー同士たまには飲みにでも行こうぜ」
ユウリも呼ぶし。
彼女の名前が出るだけでつられるあたしも、随分扱いやすい。


 ローズタワー改め、ダンデさんが改装したバトルタワーの中層にある会員限定のバーで、
カウンターで隣に浅く腰かけるキバナさんはモヒートのミントを手持ち無沙汰にくるくると回している。
全面ガラス張りの窓から見下ろす23時過ぎの街にはネオンが煌めいて、冬の残滓を微かに残して春の到来を喜んでいるみたいだ。

「ユウリは」
ユウリも来るというから付いてきたのに、何故あたしはわざわざバトルタワーまで来て
何よりも憎いこの男と2人でアルコールを嗜んでいるのだろう。
「いやぁ、ユウリちゃん今日はホップくんと4日間泊まり込みで遠征調査行ってたこと忘れててなぁ。
 マリィちゃんは本当にユウリと仲が良いね」
この男。
絶対にわざとだ。
「今日はネズも構ってくんないしさ、ちょっとだけ話そうぜ。お兄さんが奢るから」
「一番高いお酒ください」
からからと笑う彼は、普段とは打って変わって外行きのカジュアルなスーツを少しだけ着崩し、
いつもは束ねた黒檀のような黒髪を下ろして微かな酒気を孕んだ瞳を細めている。
厳粛な空気の流れる店内にはゆったりとしたジャズが響き、退屈そうに佇むキバナさんがひときわ異彩を放っていた。
こういう所が、女性に人気のある所以なのだろう。
ユウリとの関係を抜きにしても、どこか癇に障る人間である。
同じ空気を吸っていると思うだけで吐き気がするのは、彼に対する拒否反応だろうか。

「マリィってオレの事嫌いだよね」
「そうですね」
「えーショック」
対して傷付いてもいないくせにそんな事を言って楽しそうに笑う。
「昔は全然そうでもなかったのになぁ、いつからだっけか」

アニキと仲の良い彼とは、まだあたしがトレーナーになる前から知り合いだった。
うちに来てはアニキと楽しそうに話し、幼いあたしの事もよく面倒を見て可愛がってくれていたことを覚えている。
昔はもう一人の兄のようにあたしも懐いていたけれど、
ユウリと付き合ってから、彼もユウリも変わってしまった。

「あ、笑わないのは相変わらずだけどな。
 最近ジムはどうなのよ。エール団の奴ら、あんまり見かけないけど」
「余計なお世話です。
 彼らは少し前に『マリィが大人になったんだから、お前達も成長しなさい』とアニキに怒られて、
スパイクタウンの景観向上に向けて頑張っているみたいで」
「あー、言いそう。あいつシスコンだもんなぁ。だから近頃スパイクタウン、治安良くなったって声が聞こえんのか」
「そうですね」
「お前はまじめだから、ジムリーダー任されたからって無理しすぎるなよ。
 試合のスケジュール見たけど、詰め込み過ぎで驚いたよ。トーナメントに参加するのは良い事だけど、
オーバーワークはポケモンにも、それこそお前にも負担が大きいだろ」
普通に話している分には、昔のままの優しいキバナさん。
「ユウリもチャンピオンだからって、やらなくていい事務にまで最近手を出しているし、どうしてこうお前らの世代はこうワーカーホリックが多いのかね」
ユウリの名前が出た際に言葉に含まれた愛情の空気と、同時に滲み出す隠し切れない嫉妬と依存があたしに流れ込んで吐き気がした。
「ホップもビートも忙しそうだしなぁ。ルリナなんかジムリーダーとモデルの他に自己プロデュースのブランドも立ち上げたみたいだし、オレ様サミシイ」
彼自身、言葉に含んだ感情に気付いてバツが悪くなったのか、わざとらしく茶化して見せた。
「キバナさんも忙しそうですよね。ユウリの気を引くのに」
「おーおー言うねぇ」
少しも動揺を見せずに、女性受け抜群の、何でもないのに常に誘っているような独特の目尻の下がった瞳を弓なりに歪める。
「あんたがいつかユウリに見放されるの、楽しみに待っとーね」
「お、久しぶりにその話し方聞いたけど、ご無沙汰なのと見た目とのギャップとで更に可愛く感じるなそれ」
「ちっ」
ユウリと同じ事を言うな。
全身に虫唾が走り、煽るような視線を振り払い睨み付けてから、出されたばかりの白く濁ったカクテルを飲み下した。
少し甘くて仄かに鼻に抜けるライムの香りと、つんとしたアルコールに加えて焼けるような熱さがじんわりと沁みる。

「そうだなぁ、ずっとこんな事してたら見捨てられちゃうなオレ」
微塵も思っていない様な事を口走って、彼もお酒を一気に流し込んだ。

ユウリとは正反対の、上手な嘘吐き。



『ジムリーダーキバナ、またもや色恋騒動』

それから2日後の週刊誌の表紙にはでかでかと、彼の浮気の報道の文字とパパラッチの撮ったあの日の女性と抱き合う様子が載っていた。
欲求の満たし方が、まるで子供だ。
時間だけ重ねた大人で知名度がある分、余計にタチが悪い。
ユウリの傷付いた時の下手な作り笑いが、容易に浮かぶ。

「キバナさんもよくやりますよね。何回も撮られてるのに少しも懲りずにこれまた堂々と」
デスクに座り、繊細な花とアマージョの金細工が施されたティーカップを片手に雑誌を流し読むビートが興味なさげに呟く。
フェアリータイプの育成方法についての話を聞くため訪れた彼のオフィスには、紅茶の甘い香りが広がって、荒む心を少しだけ落ち着けてくれた。
「特定の人、作らないんですかね。彼の考えていることは僕にはよく分かりません
 まぁ関係ないですが」

キバナさんとユウリが交際していることは、あたししか知らない。
女性人気のすこぶる高いキバナさんと、チャンピオン業に少しの支障も出したくないユウリは、関係の一切を内密にしている。

「ビートにはそういう人は居ないの?」
「僕はそういう感情には疎いので。ポプラさんにはしきりに女性をあてがわれるんですがね」
要らないと言っているのに最近はますます酷くなってきて、と苦笑した。
「逆にマリィさんはどうなんですか?」
「ずっと好きな人は居るよ」
「へぇ、意外ですね。
 こう言うのも失礼かもしれませんが、貴方は僕と同じかと思っていたので」
「うん、それは多分間違ってない。人種としては一緒だと思うよ」
雑誌を見終えたビートがあたしに見るか?といった様子で差し出すのを首を振って断る。
「そうしたらネズさんも喜びますね」
「どうかな、想いを伝える気はないから」
「あぁすみません。でもなんだか貴方らしいですね」
「そうかな」
はいとても、と目を閉じて穏やかにビートは微笑んだ。
他人に対して深く詮索をする事のない彼は、一緒に過ごしていて心地が良い。
加えてしっかりと自分の考えの軸を持っていて、率直な意見をくれるので話していると考えがまとまる。

「それにしても珍しいですね、フェアリータイプのポケモンを育てるんですか?」
「うん、ユウリが傷付いた野生のラルトスを保護したんだけど、
一緒に手当てをしているうちにあたしに懐いちゃったから、もうゲットしちゃおうと思って」
「ラルトスですか。
 人間の気持ちを敏感に察知するポケモンですからね、貴方の何かに惹かれたんでしょう。
 でも貴方は手持ちに確かオーロンゲが居ましたよね、最初のうちはあまり近付けずに様子を見た方がいいでしょう」
始まりは成り行きだったとはいえ、流石はアラベスクタウンのフェアリータイプジムリーダー。
その後も細かい部分までアドバイスを貰った。

「人の気持ちを、か」
「何か思い当たる節がありましたか」
「うん、どうだろう」
果たしてあたしのどんな感情を察知したんだろう。
この汚い感情のどこに、惹かれる部分があったのか。

「貴方のプライベートに踏み入るつもりはありませんが、あまり深く思い詰めないようにした方がいいとは思います」
「?」
「自分では気付いていないでしょうけど、顔、酷いですよ。クマもすごいです」
「ん、ありがとう。ビートは優しいね」
あたしがそう伝えると彼はつんとそっぽを向いてしまった。


ユウリが入院したという連絡を彼女の母親から受けたのは、
彼女がホップとの遠征から帰ってきた翌日の、
春の陽気に不釣り合いな程どんよりと厚い黒雲が、青色をすべて覆い隠した昼下がりの事だった。

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