変なパッションを押し付けたい。
こんな人間が何か書いています。
私は今、生きることが仕事です。
ここ数年間ずっとそうです。
沢山の不安がありました。不安が不安を呼び込んで、今現在が辛くて辛くて、しょうがなくて現実逃避を沢山しました。逃避した分現実は変わらず、更にそれが不安を呼び込みました。
どう生きていけばいいのか考えすぎて、よく分からなくなったりしました。
絶望で胸が詰まって、それを誰かと共有する方法もなく、自分の愚かなプライドも捨てきれず、暮らしてきました。
自己嫌悪と行動の反省という負のスパイラルを何度も繰り返して来ました。
見た目も考え方も随分と変わりました。
生きている事だけで、それが素晴らしいことだと思わなければやっていけません。
そう信じて生きています。
さて、何か言えることはないかと探して、書いています。不快になられる方がいらっしゃいましたら、本当に申し訳ありません。
くまもとの皆様へ(追記:被災された皆様へ)
4年前の地震も、今回の大雨も、本当にタフな状況だと思います。何も力になれていなくて、本当に悔しいです。生活が激変すると思います。住まいに変化が訪れると、人は考え方までも変わってしまいます。
生活の本拠が壊されるという衝撃は、ありえないほどの影響がある人もいるでしょう。そして少なくとも、良い方に変わる事はないでしょう。家が壊されているのだから。商売を営む方は、その商売にも影響があるでしょう。学生の方は学業にも影響が出るでしょう。ご家庭を守る方は、その生活の立て直しに労力が非常にかかるのでしょう。
改めてこんな事を確認しなくても、きっと目の前にそのような状況が広がっているのだと思います。想像しようと努めていますが、想像しきれません。
不安が沢山在ると思います。
不安に対処することについて
私は全く同じような状況にはいませんが、最初に申し上げたように沢山の不安と戦ってきました。何もできないなりに、不安に対処する方法をいくつか書きますので、もし使えそうなものがあれば、是非使ってみてください。
・現実逃避をすること
現実逃避は不安と戦う上でとても強力な武器だと思います。現実逃避という言葉が使われる場合、「現実」として認識されているのは辛い状況であることが100%です。楽しい「現実」ならば逃避する必要性がないからです。だからこそ、現実逃避は意味があります。
なぜなら「現実」とはただの事実だからです。目の前にある光景、自分の健康状態。それが我々の現実です。それ以上の範囲は全てが「想像された評価」であります。そしてそれも我々にとっては「現実」です。そこまで想像をすることで、我々は少し先の事を考えたり、過去の事を反省しています。
でも、それが全てではありません。だからこそ、逃げていいのだと思います。一時的に自分を悲しい「想像」から切り離して、もしくは同じような気持ちである事を「想像」したりして、少しでも心を休めてほしいです。
現実逃避は良いことです。現実逃避を悪いことだと思わないでください。やらなければ生きていけない最低限の事を行ったら、あとは逃げていてもいいです。まずは心身の健康を優先させてあげてください。お願いします。
・不安ややるべきことを書き出すこと。
どうしていいかわからないけれども不安が沢山ある。この状態が一番ストレスフルです。敵が見えてきません。全て文字に書いてみてください。避難所などにいらっしゃる場合、周りの人に話してみても良いと思います。そうすることで、
①自分の抱えている問題について整理することができる。
②自分の不安を可視化できる。
③自分が今このタイミングでやるべきことが何か、優先度の高い問題がはっきりする。
意外とメリットがあります。不安な時は妙にそわそわして、落ち着きません。特に子供たちは初めてのことづくしで、色んな事を思っていると思います。もしそのような状況にある人がいれば、ぜひすすめてあげてほしいです。
・体を休めること、体を動かすこと
人の心に影響を及ぼすもので、大きなインパクトがあるもの、それは自分の身体の状況だと思います。身体を休めてください。場所を見つけて軽いレク的な遊びでも良いので身体を動かしてください。
身体を休める=動かない。ということだけではないという事に意外と気づいていない人は多いです。身体を揺すってみたり、好きな音楽をかけて少しはねてみたり、その場でできるものでも10分くらい、気持ちいい範囲だけで身体を動かしてあたためてあげてください。ご高齢の方は自分だけで動かすのが辛いという方もいらっしゃると思います。余裕がある方がいらしたら、近くにいる人にお声掛けなども勇気がいりますが、大変な助けになると思われます。
・むりくり自分を褒めてください。
不安な時に、人は自分を責めがちです。でも、人間は本来何をやってもいいのです。生きていれば。私はクズでカスみたいな人間です。人に誇れるような事は何一つやっていません。同年代のすごい人が活躍しているのを見て、悔しさで胸がいっぱいになることもあります。
それでも、自分を褒めて暮らしています。お前はお前で素晴らしいと、自分に言い聞かせています。不安を消そうとする必要はありません。不安が当たり前です。
不安に押しつぶされそうな人が楽になれれば、と思って上に3つほど対処法のような何かを書いてみました。そんなことしかできないのかと思って、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいですが、それでも自分は何かしらの行動を起こした自分を褒めようと思います。認めようと思います。
このノートを書いているうちに、いままで不安な時に、ネットサーフィンをして対処法を調べたところで効果があったことがあまりなかったことを思い出しました。でも、人から肯定されることは不安に効果がありました。そして、自分で自分を肯定することも同時に効果がありました。
だから、これだけを拾っていってください。
もしあなたが不安でしょうがなくて、不安になっている自分がいやでいやでしょうがなくて、どうしようもなくても、それでいいです。どうにかしなくていいです。
きっと大変な現実が目の前にあって、やらなくてはいけないことが山積みで、それでも自分のやれる事が少なくても、それでいいです。それでいいです、というのはしょうがないからそれでいい、という意味ではありません。
素晴らしいです、という意味です。
まずは生きていてください。どうにかこうにか生きてほしいです。私のために。私が悲しくならないために、日本の人、世界の人に生きていてほしいです。
一緒に同じ時代を生きる仲間が少しでも生きていて、共につらい状況を経験しながら、もし現実に会うことがあれば、一期一会を味わいながら、共に生きていてほしいです。
だから、あなたがどんなにつらい状況にいても、その中で何もできなくても。なにかやっても効果が見えなくても。全力で肯定していてほしいです。
人は勝手に反省をします。気づかなくても道からはずれれば心は苦しみます。だから、そこに自己嫌悪や反省を重ねる必要はないです。
今日一日を生きて終えたことを共に喜びたいです。一日を生きることが、こんなにも大変なのかという日を、共に過ごしていきたいです。
夜も満足に寝られず、昼はやるべきことが沢山でも、逃げてもいいです。立ち向かってもいいです。必死に立ち向かえる人は褒められますが、9割の褒められない人は、自分を沢山褒めてほしいです。
褒められないからといって、自分の活動や行動が無価値だと思うのを避けてほしいです。いや、それを避けなくてもいいです。
無価値な行動を起こした自分。行動を起こさなかった自分を全て褒めて、上手に褒められない自分を認めてください。
どんな手を使っても褒めたり、認められることがないような感情なんだとしても、それを許してください。
ここまで言っても、そんな気分ではない、それもまたアリです。
最後に
私は親に感謝をしています。周りの人間や、周りにいない人間に感謝をしています。なんだかよく分からないけれども、本当にそう思っています。そしてこんな良く分からない文章をここまで読んでくださったあなたに感謝しております。
一人でこれを書いていて、変に気分が盛り上がってきて変な宗教感が出てきてしまいましたので、ちょっとまとまりませんが文章を終えようと思います。
どうか、皆さんがほんの少しでも安らげますように、もしくは、安らげなくとも安らげますように。祈っております。
(雨が降り続け、くまもとだけの話ではなくなったので、少し追記し、見出しなど追加しました。「変なパッションでかいたけれど、何かを押し付けたいわけではありません」というタイトルも変えました。少しでも多くの人が、安らかに眠れますように。)
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