エンキドゥは冥界で死んだのか?『ギルガメシュ、エンキドゥと冥界』を読み解く

標準バビロニア版のギルガメッシュ叙事詩は全部で十二枚の書板で構成されているわけですが、ウルクの威容を讃賞する場面から始まる第一の書板から、不死を求める旅を終えギルガメシュがウルクに帰る第十一の書板までで大きな物語は一区切りとなります。

第十二の書板はいわば番外編です。ギルガメシュが冥界に落とした物を取りにいったエンキドゥが冥界に囚われ、その魂だけが戻ってきて、ギルガメシュに冥界の様子を語るという筋書きになっています。

この第十二の書板には、より古い、シュメール語で書かれた元ネタがあります。ギルガメシュ叙事詩の他の書板にも元になったシュメールの物語がそれぞれあるのですが、十二の書板は特にシュメール語版をそのまま引き写してアッカド語に訳したような形になっています。

このシュメール語版のテキストは「ギルガメシュ、エンキドゥと冥界」と呼ばれています。英オックスフォード大学の電子コーパスでも翻字原文英訳ともに公開されています。ちなみに「 Gilgameš, Enkidu and the Nether world」を略してGENと呼ばれたりもします。

創世神話

このGENの冒頭に短い創世神話が書かれています。この部分はギルガメッシュ叙事詩には引用されていないのですが、この創世神話こそ、天地の初めのときにエレシュキガルが冥界を贈り物として授けられたというくだりが書かれている、私達エレシュキガル信者にはとっても貴重な資料なのです。たった一行ですけどね……。まあでもその一行のことを調べようとGENの本を読んでたのですが、その中でエンキドゥの死と復活について面白い解釈があったのでご紹介しようというのがこの記事です。ついったーに書こうと思ったけど長くなるからこっちに。でも文字数制限がないとだらだらしちゃって、前置きだけでこんなになっちゃった。

『ギルガメシュ、エンキドゥと冥界』とシュメールのギルガメシュ・サイクル

本題です。今回紹介する御本はこちら。

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タウソン大学のアルヘナ・ガドティ博士(と読むのか?)の「『ギルガメシュ、エンキドゥと冥界』とシュメールのギルガメシュ・サイクル」です。400ページ以上ある大部の本で、斜め読みしか出来てないのですごい解釈違いをしちゃってるかもしれないんだけど、こういう書評もあったので参考にしながら紹介しますね。

博士論文を元にしたこの本の論点は大きくふたつあります。ひとつはギルガメシュ関連のシュメール文学はそれぞれ独立したものではなく、ひとつの「サイクル」の中にあるとすること。バビロニアで「ギルガメシュ叙事詩」としてまとめられたものとは別に、この「サイクル」は「ギルガメシュ、エンキドゥと冥界」「ギルガメシュとフワワ(A版)」「ギルガメシュと天の牡牛」「ギルガメシュの死」の4編からなり、この順序で読まれるべきものであるとガドティは考えています。

もうひとつは、冥界に捉えられたエンキドゥの帰還に対する考察です。ガドティは、エンキドゥは死んだのではなく冥界に閉じ込められただけだと解釈します。ギルガメッシュ叙事詩第十二の書板ではエンキドゥが「幽霊zāqīqu」になって帰ってきますが、その元になったシュメール語版にはそのような記述はないというのです。

その他、GENに登場するハルッブの樹についての詳細な検討もあり、これも読み応えがありそうなのですが、まだちゃんと読めていません。

さて、エンキドゥの死と復活についてです。まず、GENのあらすじは、だいたいこんなお話になっています。(冒頭の創世神話と最後の冥界問答は除きます

『ギルガメシュ、エンキドゥと冥界』のあらすじ

女神イナンナは嵐によってユーフラテス川河畔から引き抜かれたハルッブの樹を見つけ、テーブルの材料にするために自分の庭園に植えました。十年ばかり経って樹は大きくなりましたが、そこに蛇とアンズー鳥が住み着いてしまいました。女神はギルガメシュに頼み、蛇と鳥を追い払って貰いました。ギルガメシュは木を切り倒して女神に献上し、自分のためにはプックとメックという遊び道具を作りました。ギルガメシュが広場でプックとメックの遊びに興じていると、それらが冥界に転がり落ちてしまいました。エンキドゥが取りに行こうというので、ギルガメシュはエンキドゥに冥界の掟を教えました。冥界では綺麗な服を着てはいけない。体に香油を塗ってはいけない。棒を投げてはいけない。サンダルを履いてはいけない。妻にキスしてはいけない。妻を殴ってはいけない。子にキスしてはいけない。子を殴ってはいけない。冥界に入ったエンキドゥは、これらのことを全てしました。全部漏れなくしたのです。そして冥界に囚われてしまいました。ギルガメシュは大いに嘆き、嵐の神エンリルに助けを求めました。エンリル神は応えず、次にギルガメシュは月の神ナンナに助けを求めました。ナンナ神も答えなかったので、ギルガメシュは知恵と水の神エンキに助けを求めました。エンキ神はギルガメシュの願いを聞き、太陽神ウトゥに命じて冥界への穴を開けさせました。穴からエンキドゥの死霊が現れました。再会した二人は抱き合い、接吻し、語り合い、そして悲しみに浸りました。

エンキドゥが(少なくともシュメール語版では)死んでいないこと、そして生きて戻ってきたという解釈について、ガドティは次のように説明しています。

死んだのではなく捉えられただけ

まずはエンキドゥがギルガメシュの言いつけを破り冥界にとらわれるシーンについて。

227: ナムタルは彼を捉えなかった。アサグは彼を捉えなかった。冥界(クル)が彼を捉えた。
228: 彼は人間たちの野の戦場には落ちなかった。冥界が彼を捉えた。
229: ……をしない神魔ネルガルは彼を捉えなかった。冥界が彼を捉えた。

これらの文をガドティは「ここでナムタル、アサグ、戦場、神魔ネルガルはそれぞれ死の別々の顕示を表現しているが、けして直接的には言及しない。なぜならエンキドゥは死んでいないから(p.55)」「この三連句は、エンキドゥが一般的な死の使い――例えば老齢、病気、死のさだめ、そして戦争など――によってではなく、冥界自身によって捉えられたという点を強調している(p.84)」と説明します。

戻ってきたのは「死霊」ではなく「風」

続いて、エンキ神に命じられたシャマシュが冥界への穴を開け、そこからエンキドゥが帰還を果たすシーンについて。

ギルガメシュ叙事詩第12の書板では次のように書かれています。

85 The Young Hero Samas, [...] son of Ningal,
 ニンガルの息子、若き勇者シャマシュは
86 opened a chink in the Netherworld,
  冥界に裂け目を開けた。
87 He brought the shade of Enkidu up from the Netherworld like a phantom.
 彼はエンキドゥの影を亡霊のように冥界から連れて来た。
アンドリュー・ジョージ  "The Babylonian Gilgamesh Epic: Introduction, Critical Edition and Cuneiform" 2003 より (訳 筆者)
勇者で,男らしきネルガルはこれを聞き,
見よ,冥界に穴を開けた.
エンキドゥの死霊が,
霊風のように冥界から出で来たった.
ギルガメシュ王の物語(訳: 月本昭男 )より

この87行目はアッカド語でutukku ša Enkīdu kī zāqīqi ultu erṣeti uštēlâと書かれています。「彼はエンキドゥのウトゥクをザーキークのように冥界から連れ出した」と訳せるのですが、このウトゥククが魔物または死霊、ザーキークは幻、幽霊という意味なのです(p.86)。ギルガメシュ叙事詩では明確に、戻ってきたのはエンキドゥの死霊(ジョージによれば影)だと記述されているわけです。

ガドティは、このウトゥクはバビロニアの書記がシュメール語で書かれたGENをアッカド語に翻訳するときに文字を読み違えて挿入された語だと考えています。

GENの当該行は243行目で、シュメール語でこう書かれています。
si-si-ig-ni-ta šubur-a-ni kur-ta im-ma-da-ra-ab-e11-dè 

この文の読み方は学者によって様々です。

il suo servo, come una folata di vento, venne fuori dagli Inferi.
彼のしもべが突風のように、冥界から出てきた。
Pettinato (1992, 337) (訳 DeepL)
Comme par un coup de vent, son serviteur remonta du pays des morts.
まるで突風が吹いたかのように、彼のしもべは死者の地から立ち上がった。
Tournay/Shaffer (1994, 262-263) (訳 DeepL)
by means of his phantom he brought his servant up to him from the Netherworld.
彼の幻の力で彼のしもべを冥界から連れて来た。
アンドリュー・ジョージ  "The Babylonian Gilgamesh Epic: Introduction, Critical Edition and Cuneiform" 2003 (773-4) (訳 筆者)
The spirit of Enkidu, like a phantom, he brought up out of the netherworld.
エンキドゥの霊を、幻のように、彼は冥界から連れ出してきた。
Frayne (Foster et al. 2001, 138) (訳 筆者)

いろいろな訳があり、アッカド語の叙事詩とシュメール語のGENの言葉の違いについても議論がありましたが、コンセンサスとしてはここで現れるエンキドゥは叙事詩と同様にその死霊に過ぎないとされてきました。

ほんとうにそうなのでしょうか。ガドティは改めてシュメール語の文面からその解釈を検討します。

シュメール語の文には叙事詩にあったウトゥクにあたる言葉が見当たりません。代わりに、šubur-ani、「彼のしもべ」と読める言葉が書かれています。この違いをガドティは、バビロニアの書記がšuburをudugと読み違えたとします。シュメール語のウドゥグ、すなわちアッカド語のウトゥクです。

この本には楔形文字の形状は書かれていないので、古バビロニア時代の字形でお見せしましょう。

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こうやって見るとあんまり似ていないような気もしますが、楔形文字はこんなにはっきり刻まれてないことがほとんどだと思うので、間違えることもあるのかもしれないですね。ガドティは、叙事詩の時代にはエンキドゥをギルガメシュの「しもべ」ではなく「友」と見ているのもšuburを読まなかった理由としています。

また、先頭のsisigという言葉が、アッカド語のZāqīquにあたります。ただし、他の楔形文字文献での使用例を見ると、アッカド語のザーキークは幻や幽霊という意味で使われている一方、シュメール語のシシグは旋風、そよ風、あるいは夢の神の名前という意味で使われているのです。デンマークの学者ベント・アルスター(Bendt Alster)は、この語を「夢の神または夢を見させる幽霊としての風」と定義しています。ガドティは、ここではエンキドゥを冥界の裂け目から押し出す風だと考えました(p.283)。

これらを総合して、ガドティはこの文をこのように訳します。(p.91)

242. He (Utu) opened a chink in the Netherworld,
 彼(ウトゥ神)は冥界に裂け目を開き、
243. By means of his (=Utu’s) gust of wind, he sent his (=Gilgameš) servant up from the Netherworld
 彼(ウトゥ神)の突風を使って彼(ギルガメシュ)のしもべを冥界から引き上げた。

このように、GENにはエンキドゥが魂だけで帰って来たという記述は見当たらないのです。先に書いた多くの翻訳の中にも、同様に霊や幻という言葉を使わず訳したものがあります。にもかかわらず多くの学者がエンキドゥを死んだものと扱っているのは、叙事詩のアッカド訳に引きずられた固定観念だとガドティは警告します。(p.90)

ガドティは「ジャン・ボテロ(1984)が示す通り、メソポタミア人は、死後に個人に残されたものについて非常に明確な概念を持っていた。ギルガメシュがエンキドゥの骨や亡霊を抱いたとは考えにくい。もっと可能性が高いのは、エンキドゥが生きているからこそ、二人は抱き合ったり、キスをしたりすることができたということだ」と結論づけています。

「彼ら」はウルクに帰った

ウルで発掘された粘土板(Ur6)には、表面にGENの物語の抜粋が、裏面には他の写本にはない18行の文章が綴られていました。表面はひどく破損していたため、最近までこの文章はGENとは結び付けられていませんでした。(p.305)

1 彼らは帰った。彼らは帰った。
2 彼らはウルクに帰った。
3  彼らは街に帰った。
4 彼は斧と槍、武具を身に着けて入った。
5 彼は喜んでそれらを宮殿に入れた。
6 若い男たちと娘たち、クラバの高官や婦長たちは
7 彼らの像を見て喜んだ。
8 ウトゥが寝室から出てくると、ギルガメシュは誇らしげに頭を上げた。
9 彼は彼らに指示した
10 「私の父と私の母は、澄んだ水を飲むように!」
11 その日はまだ半分も終わっていなかった...彼らは王冠に触れた。
12 ギルガメシュは葬儀を執り行った。
13 9日間、彼は葬儀を執り行った。
14 若い男たちと娘たち、クラバの高官や婦長たちは嘆きを上げた。
15 喋りながら、彼はギルスの市民を湾岸に抑え込んだ。
16 「私の父と私の母は、澄んだ水を飲むように!」
17 戦士ギルガメシュ、ニンスンの息子、あなたの讃歌は素晴らしい。
Ur 6 (p.103)

ガドティはこれを、帰還したギルガメシュが父母の葬儀を上げたものと解釈しました。ウルで見つかった別の写本(Ur4)では、ギルガメシュはエンキドゥに冥界での自分の父母の様子を尋ねています。エンキドゥの答えは、「彼らは泥水をすすっていた」というものでした(p.102)。冥界での父母の運命を知ったギルガメシュは、その暮らしを良いものにするために(清い水を飲めるようにするために)葬儀をあげたのです。ジョージ(2003)は7行目の像をギルガメシュの父母のものではないかと考え、ガドティも同意しています。

この一節にエンキドゥの名前は出てきませんが、1行目から3行目までの動詞が複数形で書かれていることで暗示されています。彼らは冥界問答のあと、ウルクに戻ったのです。そしてギルガメシュは怠っていた父母への弔いを果たしたのです。少なくともウルでは、そのように語られていたのでしょう。

そして物語は続く

もうひとつ別の写本を紹介します。メ・トゥラン版と呼ばれるものです。こちらでは冥界問答の後に三行の短い描写が続いて終わります。

27 彼(ギルガメシュ)は苦しんでいた。彼は絶望していた。
28 王は命の探求を始めた。
29 王は「命ある国」に思いを向けた。

ガドティは、エンキドゥとの問答により冥界の様子を知り、死を想像したことでギルガメシュは絶望し、「命ある国」への旅を始めたのだといいます。「命ある国(クル・ルティラ)」は「帰らずの国」(クル・ヌギア)、すなわち冥界と対比しています。

そしてこの最後の行は、実は別の物語「ギルガメシュとフワワ」の冒頭の一行とぴったり同じなのです。メソポタミアの文学では複数の粘土板からなる物語をつづるとき、次の粘土板の最初の行を前の粘土板の最後に記す習慣があります。ガドティは、これもその一例だとします(p.104)。最初に述べた通り、ガドティは「ギルガメシュ、エンキドゥと冥界」「ギルガメシュとフワワ」「ギルガメシュと天の牡牛」「ギルガメシュの死」の4編をひとつの「ギルガメシュ・サイクル」として考えています。

冒頭に創世神話が付されているのも、「ギルガメシュ、エンキドゥと冥界」がこのギルガメシュ・サイクルの先頭の物語であることを示唆しています。そうであるとすれば、エンキドゥが死んで戻らないという展開があるはずもありません。後のバビロニア人の解釈がどうであれ、このギルガメシュ・サイクルの一部である「ギルガメシュ、エンキドゥと冥界」においてはエンキドゥは無事生還したと言えるのです。そして、エンキドゥとの冥界問答によって冥界の掟を知ったギルガメシュはサイクルの終わり、すなわちその死後に冥界の裁判官として冥界を統治することになるのです(『ギルガメシュの死』)(p.111)。

おしまい

だいたいこんな感じ! まとめるのがへたすぎてずいぶん長くなってしまいましたが、伝わったでしょうか。

最初ちらっとみたときはなんだか強引な主張をしようとしているなって思ったんだけど、よくよく読むとまあなんだかそう取れないこともないような気がしてきました。GENの物語でエンキドゥが死んではいないのでは?という議論はこのガドティが初めてではなく、ダイナ・カッツ(2003)やキートマン(2007)、アッティンガー(2008)などが検討しているようです。エンキドゥが生きていると考えているのはその中でもキートマンとガドティだけのようですが(p.86)。

ちなみにこのガドティ博士の最新の論文が「本当には彼女のものじゃない――エレシュキガルの「贈り物」と冥界の支配権」というめちゃめちゃぐっさりくるタイトルですごい気になるので読んでみたい。
(“Never Truly Hers: Ereškigal’s Dowry and the Rulership of the Netherworld.”Journal of Ancient Near Eastern Religion 20 (2020): 1–16.)

あと、あと、こんだけ書いといてなんだけど、ちゃんと読めてる自信はあんまりないので気になるひとは原文読んでね!


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