見出し画像

いたたまれない気持ちの正体

花澤香菜さんという声優さんがいます。物語シリーズの「千石撫子」やはたらく細胞の「赤血球」など(これくらいしか知らないのだけど)数多くのキャラクターを演じておられる人です。

その花澤香菜さんが、「鬼滅声優」と紹介されることに対して、いたたまれない気持ちになると述べたとある記事を見つけました。というのも、まだアニメにおいては、花澤香菜さんの演じるキャラクターの登場シーンが少ないためのようで。声優さんは基本的には、アニメなどの作品で必要とされる人財だと思います。なので、それほど出番が未だ多くないキャラクターの声優として紹介されるという事態が、どうしようもない気持ちにさせるのでしょうか。

しかしそこにはもっと深い何かがあるような気がします。「鬼滅」とつけておけばいいという意図と、鬼滅の刃という作品が名利名聞を得ている状況が上手く組み合わさっているのだとは思いますが、鬼滅の刃という記号が消費されすぎて、あまり意味が無くなっているような気がします。そもそも「鬼滅声優」とはなんでしょうか。ワタシはこれが「鬼滅の刃の声優」とイコールだとはなんとなく思えません。それは「鬼滅の刃」という特定のアニメ作品に携わる人という意味以上に、「大衆が金を使ってくれるところにいる誰か」に近いような気がします。言葉の一般意味ではなく、なんとなくそこから派生する企投的意味の方が強い感じがします。気のせいかもですが。

そこでは、花澤香菜という方自身よりも、「鬼滅声優」という記号の方が大事です。当然かもしれませんが。例えば、これを僕のヒーローアカデミアに置き換えてみましょう。未だアニメに出てきていないキャラクターに、「兎山ルミ」というキャラクターがいます。鬼滅の刃の柱ほど出番はないかもしれませんが、仮に「ヒロアカ声優」として、まだ少ししか出番の無い人が紹介されているのは、やはり奇妙です。おそらく、「声優」の部分は重要ではないのだと感じます。「鬼滅」という幾重にもくれ返される記号を絞れるだけ絞って、甘い汁を吸い尽くしてしまおうということでしょうか。

そして大衆に受けなくなったら、ポイ。消費するだけ消費して、味がなくなったらゴミ箱 (?)いきという、なんとも現代らしい消費のあり方ですね。しかし「鬼滅声優」として花澤香菜さんが早々に紹介される光景は、やはりおかしなものに見えます。先ほどからも言っていマスが、何かを紹介するということは、その内容や内実や行動の紹介を伴うべきだと思うからです。つまりどういうことかと言うと、記号(肩書き)だけが先行して、中身が全然ともなっていないということはないでしょうか。鬼滅の刃に出てくるキャラクターとしての仕事が本格的ではないのに、「鬼滅声優」“である“という状態だけが注目されている。中身のない箱が賞賛されている、「無」が賞賛されているようなものでしょうか。

花澤香菜さんの「いたたまれない気持ち」というのは、「鬼滅(の刃)」という言葉が独り歩きしている状態への違和感のようなものを、軽く言語化したものなのだと思います。「いたたまれない」というのは、「そこに居づらい」ということでしょう。これは、アニメ版の鬼滅の刃という作品における位置がまだ定まっていないこと、花澤香菜さんの声があてられているキャラクターのシーンが少ないことによるある種の「空虚感」のようなものの表れなのではないでしょうか。

おそらく、鬼滅の刃のアニメが今後も放送されるなら、そして花澤香菜さんが声を演じるキャラクターが登場する機会が多くなれば、その「いたたまれなさ」は徐々に消えていくのかなと思います。でもやっぱり、僕のヒーローアカデミアの方がスキ。



今日も大学生は惟っている。

サポートするお金があるのなら、本当に必要としている人に贈ってくだせぇ。