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柄谷行人はホントに「外部の人間」だったのか?

笠井潔と柄谷行人は一時期接近し、対談本まで出版している。笠井の柄谷評価は、『外部の思考・思考の外部』所収の論考にみられる。その評価は、一言でいえば柄谷が「外部の人間」だということだ。

「外部の人間」とは、秋山駿の「内部の人間」(内部にひきこもる近代的自我一般のことだろう)をうけたもので、内在しながらも不在の〈外部〉(これは内部にたいするものではない)に祈る主体のことだ。

笠井は、『内省と遡行』や『隠喩としての建築』を高く評価し、自身にひきよせながら論じている(なかばオルグである)。たいして笠井は、のちに(たとえば東浩紀との書簡本で)『探究』以後の柄谷を切って捨てている。しかしこの線引きが正しいかはかなりあやしいと思いはじめた。

柄谷が論じる〈外部〉があったとすれば、それははじめから『探究』における他者のようなものであったろう。それは、マルクスの価値形態論の顚倒にみられるものとしてはじめから提示されていたのではないか。

笠井のいう「〈外部〉の思考」はたぶんフーコーの「外の思考」と重なるものだと思う。『外の思考』においてフーコーは「私は嘘つきである」(ゲーデル的脱構築!)ではなく、あくまで「私は話す」(メタ言語の不在としての〈外部〉の存在の暗示)ということに〈外部〉をみいだし、ブランショを論じている。後者を〈外部〉の思考とするなら、前者は東浩紀がいうような限定された意味での「否定神学」だろう。

柄谷は『隠喩としての建築』や『内省と遡行』でさんざん構造主義を批判するわけだけれども、それが肝心のラカンを射程に含んでいるかといえばあやしい。ラカンをちゃんと批判するべきだったのではないかと思うが、どうだろう?たいする笠井はラカンにはけっこう好意的で、『吸血鬼と精神分析』では矢吹駆と対決させたり、『例外状態の道化師』では名前をだしていないが、あきらかに影響をうけたのだな、という記述がみられた。

これはわたしのことになってしまうが、紅茶泡海苔氏とTwitterのスペースで話したさいに、彼はゲーデル的脱構築はセカイ系ではないか?とおっしゃった。そのときはまだ柄谷にたいする評価が定まっていなかったので、歯切れ悪く、それよりも笠井の大量死の問題のほうが重要ではないか、と答えた。わたしは基本的にセカイ系=〈外部〉の文学とむりやり規定しているので、以上の理由から、柄谷ははじめからそういう問題とはズレていたのではないかと現在は考えている。


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