剰余価値は存在しない

現代貨幣理論の命題の一つは、「剰余価値は存在しない」ということだろう。当然のことだが、誰かがΔGの利潤をえたとき、一方でΔGの損失(-ΔG)をこうむる。だから、ある主観での剰余価値(あるいは損失)は存在するとしても、構造としての剰余価値などどこにもないのだ。

だから資本制は剰余価値に秘密があるのではない(資本「主義」にとって、剰余価値の神話が必要だとしても)。たとえば、柄谷行人『マルクス その可能性の中心』などはなんの説明にもなっていないのである。柄谷の説明では、商人が共同体間を移動したとき、どこからともなく貨幣が湧いてくるということになってしまう(前段の剰余価値の否定は、貿易にも当然あてはまる)。



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