物神論の肥大―絓秀実『革あ革』について少し

絓秀実の六八年論の理論的骨子はラカンであり、なかでも物神論が大きくとりあげられている。なぜ、物神論がかくまで肥大するのか。

それは商品貨幣論を、あくまで絓が保持しようとするからではないか。マルクスの価値論を、商品に憑かれることとして救出すること。これこそが、『革あ革』をつらぬく絓の意想だろう。

しかし、六八年の帰結は、金本位制の崩壊にある。商品貨幣論が崩れさった先の世界こそが、ポスト・モダンではなかったのか。ラカンからいえば、ファルスを対象aと混同することこそが商品貨幣論にほかならない。

岩井克人の形態Z、浅田彰のクラインの壺はモダニズムの理念ではあっても、モダンの構造を撃ちえない。柄谷行人にあっては前者の文学的修辞がはぎとられ、いまだに金本位制が持続しているのだという信じられないような言説にまでいたっている(『世界史の構造』)。

柄谷ふうにいえば、金本位制とはたしかに近代の統整的理念であった。だから、昨今の柄谷の言説はたんに思弁的に金本位制を復活させようとするものでしかない(交換様式D!)。しかもそれは金本位制の実在(という誤認)にささえられたものなのだ(つまり、金本位制という構成にたいする統整としての交換様式D)。

そして金本位制の崩壊とは、前衛党の崩壊と同義であり、ここにいたって市民社会は終焉している。

ここらへんの議論についてはのちに詳しく書く予定です。

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