ゼロ年代、二つの思考―笠井潔と東浩紀

わたしは昔からゼロ年代批評なるものから笠井潔が抹消されていることに深い憤りを感じてきた。というわけで、いつかはその史観を徹底的に粉砕する論考を書きたいと考えている。

個人的に、ゼロ年代思想は東浩紀と笠井潔の対立にこそあると思う。とりわけ、両者からハイデガー批判が提出されたことがわかりやすい。

東浩紀の「否定神学」としてのハイデガー批判と、笠井潔の「否定神学」からのハイデガー批判。たとえばさいきんでは、千葉雅也『現代思想入門』でも、東の―いってしまえば珍妙な―「否定神学(?)」批判が正史として扱われている。

余談だが、東浩紀がさいきんニコ生で「五〇歳がヘヴバンやらねえよ」といっていた。しかし思い返せば笠井潔は五〇歳でAIRをやっていたわけで(元長柾木はそれをみていたらしい)、笠井潔の偉大さ(?)を認識した(とはいえ会社経営している東浩紀にソシャゲをやる暇はないだろうと思う)。

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