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日記6

靴下を全部同じサイズ、同じ色に統一したら、いくぶんが生きやすくなった。着る服もおおむね似たようなTシャツとズボンに統一した。これも生きやすい。考える必要が無いからだ。

「同じような服を毎日着ることは恥ずかしいことだ」という謎の固定観念を持っていた。だから毎朝、昨日はこの服を着たから、今日は違う色にしようとか、そういうことに脳みそを使っていた。

脳のリソースは限られている、というプレジデントオンラインの記事を読んだ。僕の脳の体力は本当に乏しい。そういうことを認めるのも辛かった。しかし認めてみることで、次へ進むことができたりする。

最近は仕事も多くルーティーン化させている。クリエイティビティが求められない作業というのは、実にたくさんある、という気づきを得た。だから、そういうところで貴重なスタミナを使わないようにする。身体を空洞にして、ただ粛々とこなす。

脳のスタミナが残ってさえいれば、帰宅後に文章を書くことだってできる。

自分の至らない点に気づくということ、これはなかなか辛い。見たくない、目を背けたい。その地点を乗り越えたとき、新たに自分がやるべき事が見つかる感覚が、確かにある。ギリシャのデルフォイの神殿には「汝自身を知れ」という言葉が残されていたという。原文の前後の文脈が不明だが、それがかえって優しい。日常の、人生の、あらゆる文脈に好きに当てはめることが許されるからだ。

この「気づき」にまつわる発見は、日記の効能がひとつ見つかったことをも意味する。日記でも書かなきゃこんなこと、考えもしなかった。

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