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日記9

雷、雨、風、恐ろしい強さだ。ベランダのものが飛んでいかないように色々と配置換えをした。着ていた甚平は水が絞れるくらいに濡れた。雨水はびっくりするくらい冷たかった。濡れることを厭いながら、それでも動けたのはなんでだろうと考えてみる。ありきたりながら、結局は「自分以外の何かのため」と思えばこそ、行動できるのだなあと感じる。

5年前、まだ山梨に住んでいたころの生活について話をした。仕事が終わり20時。それからパチンコ屋へ直行して22時半まで遊戯。その後0時までゲーセン。それからラーメンやら牛丼やらを食べて帰宅。そんな生活をやっていた。この話をすると、当時の同僚からよく笑われた。

「そんな生活やってたらおかしくなるぞ」

「俺にはとても真似できないね」

仕事だけして、1日が終わっていくのが、形容しがたく、悲しくて悲しくて、とんでもなく納得できなくて、それであがき回る、散財する、それでもどこへも行けなくて、このむなしさをどう埋めればいい?みんなはどうしているんだ?と、そんな具合に疲れ果てていた時期、貴重な20代の時間が湯水のように流れ出ていくことにひたすら焦燥感を覚えていた時期。

それは決して通過儀礼などではなく、異端であった。誰もが通る道では無い。誰もがそんな生活に身を堕とすわけではない。いろいろなことが後々になってわかっていく。

今でもあの時の生活が懐かしく、慕わしく思い出される時がある。もう一度あの日々を送ってみたいと思う日がある。今日はそんな日だった。

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