31文字で百字分の表現力
ちょうどぼくが短歌を作り始めたころ、話題になった天声人語がある。俵万智さんが国語教育について語ったという内容だ。
高校生の国語の教科書で文学が選択科目になるという。個人的な体験になるが、ぼくが学校で学んだ国語では、文学であっても「文章を読むチカラ」を強調されてきたように思う。でもそれは、それなりに意義があるもの、と考えていた。
この天声人語は、次のように続く。
この俵さんの指摘の意味がなんとなくわかってきたのは、短歌の実作をはじめて3年たった今になって、である。例えば、拙作にこのような短歌がある。(今と当時と筆名が違います)
短歌の読みは自由であるけれど、あえてぼく自身が頭に描いた場面を書き出してみた。これで132文字。俵さん、短歌は、ぼくの拙い歌でさえ、少なくとも百字分の表現力がありました。
短歌を読むときに求められることのひとつは、その歌がうったえてくる場面や感情について、どの様に展開できるか、ということだと思う。批評は、そうして展開したものを、できれば誰にでも理解できる丁寧さで、言語化することだと感じている。
短歌を「読んで」いくために、ぼくは、頭の中に刺さっている「ピン」をどうにかして外さねばならなくなったようだ。
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