安倍元首相の訃報に際して

(まず、この日記は思ったことをメモ書きしている日記のため、拡散されるような想定で日記を書いていません)

本日非常にショッキングなニュースが飛んできました。これほどに驚いたニュースはここ数年なかったんじゃないかなと思っています。
安倍首相の評価は良いところ悪いところ色々思っている方がいらっしゃると思いますが、憲政史上長期政権を樹立した方ですから、国民にとって色々と記憶のある、そんな方だと思っています。
以下、安倍元首相について色々語っていきますが、私自身の政治思想色は(反共主義者であること以外は)薄めに書いています。(親しみのある、といった文言もあるけど私にとってというよりはみんなにとってのニュアンスで書いています)

小泉政権での活躍

安倍元首相は1993年にあった第40回衆議院選挙で旧山口1区から立候補し、初当選をしました。この選挙後、非自民非共産からの8党からなる細川内閣が誕生し、自民党と日本社会党(当時の名称で、現在社会民主党)からなる55年体制を終わらせたことで知られています。
この選挙に立候補することになった理由は、父である安倍晋太郎氏が1991年に癌で亡くなってしまい、後継として立候補したからです。奇しくも、晋太郎氏が亡くなった年齢も同じ67歳です。
細川内閣、羽田内閣と、非自民非共産の枠組みが多くの党の合同により揺らぎ、社会党やさきがけが連立を抜けた後、安倍氏は「リベラル政権を創る会」のメンバーに参加し、自民党、日本社会党、さきがけの3党連立による村山内閣を実現し、自民党は与党に復帰することになりました。
その後の安倍首相は、小泉内閣での抜擢が印象に大きく残っています。当時当選3回であるにも関わらず、内閣官房副長官に抜擢されました。その後、北朝鮮訪問に行き、北朝鮮に対し厳しい態度を示すことによって、拉致被害者の帰還を実現しています。過去の救う会代表の西岡力さんの発言を聞くと、安倍父子は拉致問題について耳を傾け熱心に対応したからこそ、この帰還が出来たという話をしており、安倍氏の大きな実績として知られています。
その後も自民党幹事長を経験したり、内閣官房長官を経験と、当選回数が少ない議員ながらも幅広い活躍をし、小泉純一郎元首相の任期満了による、2006年の総裁選に挑み総裁になることができました。

第一安倍政権

第一安倍政権は正直短かったのであんまり覚えていないのは確かです。(そもそも私は当時高校生で政治に関心もあまりなかった) 印象としては「美しい国」という保守色の強い国家像を掲げたことがあります。また、閣内でスキャンダルが多く、それが求心力の低下に結びついたという印象です。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E9%96%93%E7%AB%A0%E7%94%9F#%E3%80%8C%E5%8E%9F%E7%88%86%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%8D%E7%99%BA%E8%A8%80  に記載がある久間章生氏の「しょうがない」発言が有名ですね)
参議院選挙で大敗を期し、体調不良も重なり1年ほどで辞任を表明しました。
その後、後任の福田首相も短期政権になり、麻生氏の時にリーマンショックが発生し、うまく対応できなかったこともあり民主党を中心とした鳩山内閣へ政権交代になりました。

首相への復帰

2012年の総裁選、この頃はまだ自民党は野党でしたが、民主党を中心とした内閣の支持率は低く、一度衆議院解散すれば自民党に政権交代することは明らかな情勢でした。その総裁選に首相経験者でありながらも、しかし所属している派閥である清和会にはすでに立候補者(町村信孝氏)がいるにも関わらず、安倍首相は分裂する形で立候補することになりました。
派閥から分裂する形ではあったものの、公約として掲げた「アベノミクス」には多くの支持が集まりました。多くの著名人が安倍の再選を支持するとして賛同することもありました。麻生派など他派閥から支持を得たこともあり、1回目の投票で過半数には届かなかったものの、石破茂氏との決戦投票で総裁に再選されることになりました。

首相再登板

こうして、総裁になった安倍氏、この時点ではまだ首相ではなかったものの、2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で自民党が圧勝し、ついに首相に再登板をしました。これが長期政権の始まりです。
再登板後は金融緩和を進め、アベノミクスを推し進めたことで、民主党政権時代は最悪だった日経平均などの株価も大きく上昇することになりました。
かくゆう私もこの影響でかなり金を稼ぐことができたので、安倍元首相には感謝しているところがあります。
その後、モリカケ問題や桜を見る回問題など、多くの疑惑が発生しながらも、経済的の政策のおかげもあり、特に若い世代が自民党支持者が多かった影響もあり、多くの選挙で勝利を重ねていき、自民、公明、維新(、国民 現在の国民民主党は退任後にできたためカッコ書きにしました)含め改憲勢力が議会の2/3を占めるところまで来るようになりました。
安倍首相は結果存命の間に実現は出来ませんでしたが、「21世紀に相応しい形に憲法を変えたい」という形で憲法改正の思いを憲法記念日など憲法にまつわるタイミングでは度々口にしていました。改正できるまでは死ねなかったと思います。とても無念です。

再度退任

コロナ禍になり、コロナ対応で支持で落ちつつもあった2020年9月16日 突如として辞意表明を行い、日本中が驚きに包まれました。理由としては、持病である潰瘍性大腸炎の薬が効かなくなってしまったことによる体調不良が述べられています。
首相として毎日働くには負担が大きいことによる退任によるため、今日までは衆議院議員をその後も続けました。その後、清和会所属ではないものの、安倍元首相と関係の良い菅義偉氏が首相になり、菅氏は1年で首相を退任した後、安倍元首相と同期当選で、父が60代と、若くして亡くなって後継になった共通項のある岸田文雄氏が首相になりました。(安倍元首相はこの総裁選では高市早苗氏を支援していたが、安倍政権下外相を長くしていた岸田氏とも関係は良好です)

安倍派の登場

首相退任後は特に内閣に入閣もせず、自民党の組織のトップになることもなく無役で過ごしていましたが、清和会のトップ細田氏が議長になり退任したタイミングで、安倍元首相は清和会に復帰し、清和会のトップに就任しました。(細田派から安倍派になりました)
こうして、安倍派として90人を超える自民党第一派閥のトップとして活躍を続け、裏から岸田政権を支えていきました。

人柄について

安倍首相については私はもちろん実際に話したことはないですが、人望があるからこそここまで登りつめたと思っています。決して祖父の岸首相から数えて3世議員になるからトップに登りつめた訳ではなく、人柄の良さあってこそだと思います。安倍元首相が出演した番組を見ても、とにかく安倍元首相は話が面白い。政治家の話はつまらないという印象を変えることが出来る、そんな印象を持っています。
なので、正直私としては、政治家を引退した後、ツイッターやyoutubeで自由気ままに会話することを望んでいました。実際youtubeであべ晋三チャンネルが出来た際は、twitterでも「うざかった議員ランキング見たい」など色々な声もありましたし、さすがに政治家であるうちは難しいにしても引退後に色々な思い出話を話して、こんな面白い政治家がいるんだなとさらに若い人にも政治に興味を持ってもらえる、そのようになって欲しかったのに、もう見れないことがとても残念です。
第二次安倍内閣の初期の頃はよく「お友達内閣」などと揶揄されて評価されていた。決して派閥に偏っている訳でもないのに安倍元首相と仲の良い人が多いと揶揄されていました。これは、安倍元首相は話すとみんなお友達になってしまう人柄の良さだからこそお友達内閣なんだろうなと解釈しています。実際はあの米国第一主義だったトランプ氏や、今は戦争を起こすまでしているプーチン氏と渡り合えるほどのコミュニケーションスキルを持っている稀有な方でしたから。
ちなみに、私が好きなエピソードはこれですかね。(この生田さんのチャンネルの安倍さん出演回は色々な裏話していて面白いです)

首相退任時に該当インタビューで街の人に感想をインタビューするとき、「日本のお父さんみたい」、「みんなのパパ」と言われていたのが印象的でした。インタビューを受けた若い世代の方(今当該動画確認したら20歳だった)にとっては、中学生の頃からずっと安倍首相だったわけで、小学生の頃はニュースに関心なかったということも考えるとずっと安倍首相の印象しかなかったわけです。安倍首相自身に御子息がいないこともあり、このインタビューでの言葉は強く印象を受けました。長い間首相をしてかつ親しまれる存在でもあった安倍元首相が、もういないことが信じられないですね。

訃報に際して

本日7月8日、今回の参議院選挙ではまさかの日本維新の会との激戦区になった奈良県での急遽の応援演説でこのようになってしまうとは想像もつきませんでした。まず日本は世界的に見ても銃規制が厳しい国で、かつ殺害される人数は年の日数よりも少ないほどなのに(おおよそ年間300人程度のため、殺人があったら必ずニュースになります)。ただ日本は長く戦争もなく、徴兵制もなく、戦争のような非常時の教育もないので平和ボケが続いていることは確かです。このような事件が平和ボケからの意識の改革につながっていくのかもしれません。安倍首相自身は非常時のことも頭の片隅にあったことからこそ憲法改正意欲が強かったと思っていますので。
多くの政治家と同じようなセリフになってしまいますが、日本は民主主義により政治の意思表明ができる民主主義国家です。決して暴力主義ではありません。ですので、このようなことは決して許すことが出来ないです。これは政治思想が異なってももちろん言えます。私は反共主義者であることは隠していないけど共産党の方が襲われても同じことが言えます。

明日7月9日、参議院選挙前日ですが、自民党含め各党は民主主義を守る、その思いで、通常通り選挙活動をすることになりました。特に自民党にとっては今回の事件をどのように演説で扱うのかによって10日当日の有権者行動が変化するかもしれません。また、弔い選挙という形で自民党に票が集まってしまう可能性もあるかもしれません(1980年の当時の大平首相が選挙期間中に病死したことが類似例)。また、安倍首相はみんな友達になる協調性のある実力者だったので自民党内に変化が訪れるかもしれません。今回のこと自体予想だにしないことですし、今後何が起こるかは予想もつきません。とにかく今はご冥福を祈ることだけと思っています。
おまけ:テレビでは銃撃シーンが流れているということで非常にショックを受けると思います(私はテレビ見ていない)
昨日の安倍元首相ということですがとても和やかなシーンですね。

最後に:今回の日記は数字(年数)などを軽くwikipediaの記事を軽く参考にしながら思い出を語ってみました。

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