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野田さんの中原さん

改札を出て枯葉の落ちる歩道を坂道へ向かい歩いていると、前方に小柄な若い当世風サラリーマンの格好をした男性がいた。しばし彼の後方を歩きながら電車で読んでいた中原中也さんに思いを馳せていた。正確には『中原中也 わが青春の漂白』を書いた野田真吉さんという詩人/映像作家のことを考えていた。友人から常々聞いていたその名前はどの書店でもみかける中原中也という名前に比べると、古書店でも探しがたい固有名詞だった。友人があまりにも彼の話をするので名前だけはなんとか覚えたもののこれまで著作や作品を見たことはなかった。ところが、大先輩でもあるその友人が本を渡してくれたので遂に読み始めたのだった。

そもそも野田真吉さんについては『ふたりの長距離ランナーの孤独』という題の実験的記録映像を残しているという位しか知らない。しかし、この『中原中也 わが青春の漂白』によれば中原氏と若くして知遇を得た著者は、とても近いところから、この現代においても広範囲に影響力を持つ大詩人と交流を深めていたことがうかがい知れる。


『中原中也 わが青春の漂白』

この本を手にして最初に読んだのは「最後の訪問、あるいは中也の死」と題された書籍終盤のページだった。「初対面」や、著名な訳本についての「訳詩集 『ランボオ詩抄』」という項があるにも関わらず、そのページを捲った。死についてのページを最初に読むとは少々下品でずるいことのような気もした。しかし、自主的に今読もうと選んだ本ではない分、しっかりした取っ掛かり以上の握り、簡単には滑り落ちない取手のようなものを当初分として欲していたのだった。

電車の中で読み終えた部分を反芻するように半ばぼんやりしながら改札を抜けた。前を歩く若いサラリーマン風の男性に続いて坂道へ向かった。秋の冷たい風と姿の見えない小動物が枯葉を揺らしていた。その向こうに雲と闇の空があった。



──突き出しの玄関の煉瓦をまたぎ、両膝の上にのせた両手で頭をかかえるようにして、うつむきこんでいる和服の中原の姿を発見した。─中略─ 高原は屋根の上の中原に「中原さん、・・・中原さん」と声をかけた。──

    p.208 『中原中也 わが青春の漂白』 野田真吉著 泰流社



坂道

ぼんやりしながら風景を眺め、ふと我に返ると視界に違和感を感じた。それは、先ほどまで前を歩いていたはずの若い男性の姿が消えたことだった。消えて、彼のいたはずの場所に今は別の初老の男がいる。その男はニット帽を被り、マスクをつけてしゃかしゃかとしたナイロンの服にビニール袋をぶら下げるようにして歩いていた。こちらの足音が気になるのか、時折半身だけ振り返るたびに彼のマスクが垣間見えた。

途中に横道はなかったので若い男性と彼が入れ替わったのが不思議だった。後からよく考えてみれば、一箇所だけ駐輪場があったのでそこで交差したのだろう。それしか考えられないのだけれど、面前で行われたはずの出来事に気が付かないというのにはあまりに近く以外だった。

しばらく初老の男の後ろを歩いていると、不意に彼が立ち止まった。歩道と車道を分けるガードレール側に身を半分開いてこちらを見ている。秋の寒風とは別の何か少し不穏な空気がそこにあった。男は微動だにせず目尻でこちらを捉えたまま地蔵のようにじっとしていた。彼の横を通り過ぎ、少し歩速を早めて坂の続きを下った。歩道は街路樹のために歪に盛り上がり分断されているところがあった。大人でも手を回せないほど太く生育した幹には、内に何か別の生物を閉じ込めたような大きなイボ状の膨らみと、暗い穴がのぞいていた。

目的地へ着くと湯気の立つ夕食が用意されていた。蕪と鶏手羽のスープが優しく骨身を暖めてくれた。

「外気が冷えてくると蕪が美味しくなるね」

他にいくつか読みかけになっている本をそのままにして、しばらくは中也を、野田真吉さんを知りたいと思いながら柔らかい蕪に息を吹きかけた。




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