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5月をまたぐ


窓辺で揺れるサンキャッチャー



すごい速さで5月が過ぎていく。

遠くの山々や出勤コースの街路樹が眩しくひかり、 時折爽やかな風が袖と前髪を撫でていく。
新緑の時期に降る雨のことを「緑雨」と呼ぶことを知ってから、春の雨も苦ではなくなった。
軒下を滴る雨音と湿った廊下を歩く人の靴底が「キュッキュ」と鳴る音に心が満たされる、そんな日もある。
私はこの新緑の季節が1番好き。

仕事が安定してきた。
人の目を見て話を聞けるようになり、もはやデフォルトになっていた早歩きも、(あ、ゆっくり歩こう)と気づいて修正できるようになった。
相変わらず周囲からの優しさも受信しまくっている。そのおかげで口角を上げている時間も増えた。

仕事が安定するのに比例して、生活にもゆとりが生まれた。
新居の寝室にある南に面したちいさな窓に、ちょうど23時ごろ満月が昇ってくることを知った。
この時期の夜はさほど寒くないから、ベランダに出て満月を見上げると気持ちがいいことも知る。
仕事のない週末は車で少し遠くまで行く。ぴーんと水を張った水田にぱやぱやと細くて若い苗がお利口さんに列をなす景色とか、山の緑と青空のコントラストとか、厳かな神社の境内を流れる小川とか、静かな喫茶店の窓辺で揺れるサンキャッチャーにキュンと来たりしている。

やった。私、生きている。
心が渇ききって目には光が宿っていなかった4月を、私、乗り越えたかもしれない。やった。
毎日のようにそう実感する。心の中でもう1人の自分と堅い握手をしたい気持ちになる。



5月っていう季節は、いつだって私にとってひとつの章となる。

今年の5月の話をしよう。
GWにあの街に帰った。
3月まで暮らした愛おしい海街に、逃げるように帰った。
ヘトヘトな顔した私を見てみんなが労ってくれた。
海に浮かぶ夕焼けの色と波の音に身を浸し、港の空気を吸ったことで、萎れてヘナヘナな私の背筋がシャキンと伸びた。久しぶりに胸いっぱいに空気を吸えた。

89歳の林さんは、大切な友達とその孫(私の10年来のマブダチ)を交えた夕食会に私を招いてくれた。みんなで撮ったデジカメの写真は後日、マブのおばあちゃんが手紙と共にうちに送ってくれた。 みんな目を細めて顔をくしゃくしゃにしているその写真を新居の壁にそっと貼る。89歳、90歳、83歳、27歳、27歳のとっておきの笑顔。
手紙には「私共の世代は、紙に印刷してアルバムにして参りましたので、その習慣をお届けしてみます」と丁寧な字で添えてあった。 お金では得られない大きな幸せがここにある。

林さんと道の駅ドライブもした🍨



おじいと柴犬は、まるで昨日もあっていたかのように公園のベンチに座って待っていた。気づけばもう1人のおじいも顔を出し、公園で合流するいつものメンバー(私、おじい2人、柴犬2匹)が揃う。
このメンバーで初めて会ったのがちょうど1年前の5月の終わりで、ちょうど同じ公園だった。お利口さんな柴犬に近づき「触っても良いですか?」と話しかけたのが全ての始まりだった。3人で何度も何度も自販機の缶コーヒーで乾杯をしたし、2匹はいつも穏やかな目をして夕日に目を向けるか、とろんとした顔で夕方の潮風を浴びていた。
マカエンだって書けないよ、こんな「缶コーヒーで乾杯」の歌。

背中で語る



夜は知り合い夫婦が始めたゲストハウスに泊めさせてもらう。
宿に着く時間だけ伝えていたらなんと屋上にBBQセットを用意してくれていた(なななんとプロジェクター付き)。
2人とも昼間のイベントでお疲れのところを、わざわざ私1人のためにおもてなしをしてくださった。その粋な愛情に、ひと月ぶりに見るその豊かな表情に、涙が出そうになる。
日が暮れるのと同時に食材を運び、3人でしっぽりとお肉を焼いた。
引っ越してからの私のこと、私がこの先頑張りたいこと、別れの春と出逢いの春がこの街に新たな風を吹かせていること、奥さんが大切に育てているたくさんのバラのこと。3人でたくさん、たくさん話した。
22時ごろかな、ふと天頂を見上げると真上の北斗七星に気づいて、そしたら奥さんが「星めぐりの歌」を歌ってくれた。あぁ、この時間をずっと覚えていたいよ。と願いながら星を見上げた。大丈夫、私はそのことを今でもずっと覚えている。
翌朝、30分かけて旦那さんと川べりをお散歩し、開店時間を迎えたパン屋さんでモーニングをした。屋上に寝っ転がって読書もした。新天地では味わえない豊かな時間。このまま時が止まっても構わない、そう思える時間だった。

ゲストルーム、窓が好き


私が元気になれたのは、この時間のおかげかもしれない。
私のことを受け入れてくれる街、私を分かってくれる人、そこに帰ったことが1番大きかった。
ありがとう。
落ち込んだりもしたけれど、私は元気です。
魔女宅のキキと同じことを思うよ。



1年前の5月はたしか、ゼロかヒャクかの思考である人との関係性についてあれこれ考えていた。
あの街で気ままに暮らしながらも、(この人と私、うまくいくんじゃない…??!)と夢を見たり、連絡がこないことにいちいち心臓を痛めたりしていた。
「このままくっつくかもう離れるか」の両極端なシーソーゲームを勝手に行い、夏の初めに「離れる」に傾いたのをきっかけにパッタリと連絡を止めたような。

一度は終わったと思った関係だけど、終わったと思ってたらまた連絡が来たりして、人のご縁って面白いよなぁと1年越しにそう思う。
人との関係性は、ゼロかヒャクかでピシャリと判断できるものでもない。今はゆるりと繋がる時期なんだ。縁が途切れる時は途切れるし、必要があればまた関わりあう時が来るんだ。って、1年経って学んだ。
「お疲れ様です!最近元気してましたか?」はその関係性のリスタートを飾る魔法のことばだってことも。



2年前の5月のことも鮮明に覚えているけど、体たらくで、自分を守るために人の幸せに傷をつけるようなことしていたからあまり言いたくない。
必要悪を経験した5月だった。
「5月が終わるから」という理由でそこから足を洗った。
もう満足かな。おかわりは要りません。


1年って、人が変化するのには十分なくらいの時の流れなんだ。
きっとそれは環境の変化っていう外的な影響だけが原因ではなくて、自分の内面がゆっくりまろやかに変化をし続けるもの。
木の根が何百年もかけてうねうねと地中に伸びていくように。顔の皺が何十年もかけて少しずつ増えていくように。

私、目に見えるものだけじゃなく目に見えないものも大切にしていきたいよ。
季節の変わり目に敏感でいたい。
人の些細な変化に気づける側の人間でありたい。
そういう、ちいさなことで良い。派手で煌びやかなことは別に望まないから、そんな自分でありたいよ。



5月はあと2日で終わる。
来年の5月はどんな章になるんだろう。
ここからの一年で私はどう変化していくんだろう。
願うならば新しい街に居場所を見つけていたいな。
身を寄せられるサードプレイスを見つけたい。
年齢を問わず友達を作りたい。
そうして、自分のことも周りのことも大切にできる私でありたい。


すごい速さで5月が過ぎていく。



noteのお供はハイボール



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