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みんな違ってみんな覚えてない [R6.5.10]

この前コミュニティで文章の認識を話す理解をした。

皆文章や文字を文字として理解しているらしい。は?

これを読んでいる貴方は意味が分からない人と意味が分かる人で別れていると思う。その2種にラベルするならば視覚思考者、言語思考者らしい。前者は情報を処理する際に絵を使用する人間であり、後者は言語そのものが直感的に理解出来る人間らしい。

私は視覚思考者だ。文字を読む時には漢字一つ一つを絵として変換しなければ脳が認識出来ない。例えば「意味」であれば意味の文字をひっくり返してそれを覗き込んでいる人間が想像できる。「視覚」であれば目を通じて四角い絵画を見るフリー画像の様なイメージに変換して理解している。これらを統合すれば海外ドラマで定年した刑事が犯人を追い詰めるため周辺人物の写真を貼りそれを糸で繋いでるシーンを想像してもらえれば分かると思います(視覚思考者特有の説明下手)

それが日々使う漢字であれば簡略化して想像できる。「日々」と言うワードであれば7列の四角が並べてあり左右に色が付けてある。極度に抽象化したカレンダーがイメージ出来て脳のメモリが節約出来る。

そう、この視覚思考は非常にコスパが悪い。非常に高度言語化された識字率の高いこの日本社会で視覚思考は不利極まりない状況なのだ。文字を読むにしてもかなりの時間を労するし、個人的ADHDなので聴覚情報に弱くこの世は生きにくい事この上ない。世界を変えるしかない。文字を破棄して文明をリセットしろ!

ちなみに地図が読めない人間は言語資格者、読める人は視覚思考者らしい。私はめちゃくちゃ地図読めるし一度行った場所は大体覚えてるし太陽が出ていれば現在地が分かる程度の能力を持っている。さぁ境界の隙間を探しに行くわよメリー!


視覚思考者の中でも色々なパターンがありイメージを写真で想像する人、簡単な図で想像する人、そして私は動画で想像する人だ。前述した絵やイメージの話は忘れてたも。……いや?文字を絵やイメージにして思考し、絵やイメージを動画にして思考しているとしたら、仮説として視覚思考者は次元を上げて自分の存在に近い考え方しているんじゃないか?(視覚思考者特有の論理飛躍)あんまり信憑性無いな、何故なら私は音楽が脳内で動画として変換されるので次元昇降は特定の例を掲げてマイノリティの脳内ブラックボックスの角でぶん殴っているみたいなもんだからな。仮説仮説~~~!

この情報を知った時に私は本を読む遅さ、説明する下手さ、喋る時の言葉の詰まり様のメカニズムを知って脳が開きパーツの解像度が上ったイメージ映像が出力された。そしてもう一つの謎が解明された、私が人の名前等の固有名詞を覚えられない事だ。全て視覚情報で読み取りそれをイメージ化する為人名となるとフックが無いのだ。そして以前の日記で書いたように私は人を色で判断する、もう一つ輪郭でも判断もする。だから顔のパーツの様なへのへのもへじの集合体にはめっぽう弱いのだ。だから名前を聞いた時に全然普通に通り過ぎる、偶然同じ名前の人間を以前認識した事がある場合のみフックが確立されてやっと覚えられる。なんでこんな脳構造にしたんだよ。

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