田舎、都会、インターネットのネズミ[R6.4.18]

インタ~ネットォ~~~大好きぃぃぃ~~!

ウェイ

勉強しようと思ってカフェに行ったらBGMが爆音過ぎて勉強出来なかった。店員も縦ノリだった気がする。

諦めてインターネットの日にした。自分を犠牲にしたトロッコ問題に答えた結果がこれだ、慄け。


コミュニティ内でキックバックがアニメ化する話題の続きで京アニ放火事件の翌日にルックバックが公開されたのが苦言を呈されている話が挙がっていた。

ルックバックは現在一部内容が変更されており変更前は統合失調と思われる不審者が主要人物の絵に対して「見下しやがって」「俺のアイデアをパクってんじゃねぇ」と被害妄想を喚き散らし斧で殺してしまう話だった。明確に京都アニメーションを放火した事件と割と犯人像が被ってしまうので投稿日が前後したのは事故だし内容に変更を加えたのは当然だと納得できる。問題に上がったのはここから

Xユーザーのこじまさん: 「ルックバックについてジャンプ+を批判した時のツイがいいねされて上がってきたんだけど、気持ちは変わってないです。当時作品が批判されたと記憶してる人もいると思うけど、作品の出来よりも発表日が7/19日、つまり事件の起こった7/18深夜であり、事件を「消費」したことは問題だと今でも思います。」 / X (twitter.com)

なんかリンクが上手くいかないな、まぁいいか。てやーっ!
うむむ……まず私の立場から話すか。スタンスは全ての創作物の味方であり、作品から受ける影響とは作者が感じた感覚の追体験であるのでそれの良し悪しなどは関係なくただ純粋な影響という存在であると私は思っている。

心の揺れを今までの人生に重ね、そしてこれからの人生にどう活かすかは受け手の人生の責任だと思う。本人ではなく受け手の過去と未来の責任であり含まれる不可抗力が増えていくほど見えない無責任の割合が増え、しかし全体の責任は本人の肉体を超える事が出来ないのでどうしても体内で不可抗力の無力感と自己責任のグラデーションが起こり拒絶反応が発生する。抑えきれなくなると溢れ出て他人を批判してしまう、要は無力感を紛らわす為に人を攻撃してしまうのだろうか?なんか文章が纏まらないけどこんな感じ。

この感情を正義感とはき違えた輩がどんどん世の中に溢れ出し批判して創作そのものの幅を広めるのだ。もちろん勝てば正義、負ければ悪の世の中なので相手にせず戦わないのが一番なんだけどね。

「消費」とは何か考えてみよう。使ってなくすことらしい。シンプルで良いね、この場合はコンテンツとして消費される事を指すが裏に隠されてるテーマは商標利用や承認欲求である。他人の得に敏感で自分の持ってないモノに嫉妬してしまう人間のサガを自覚できずにいる。自覚した所で正義の拳で正当化してしまうのが関の山なのだろう。

なんか眠たくなってきたな。今日は終わって良いですか。頭働かないわ
ガハハッ



Don`t look back in anger


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