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終活

年間に100名以上の看取りをしていて、
随分改善されたものの日本人は終活が下手なのではないかと思っています。

Footprints

One night I dreamed a dream.
I was walking along the beach with my Lord.
Across the dark sky flashed scenes from my life.
For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand,
one belonging to me and one to my Lord.
When the last scene of my life shot before me
I looked back at the footprints in the sand.
There was only one set of footprints.
I realized that this was at the lowest and saddest times of my life.
This always bothered me and I questioned the Lord about my dilemma.
"Lord, you told me when I decided to follow You,
You would walk and talk with me all the way.
But I'm aware that during the most troublesome times of my life there
is only one set of footprints.
I just don't understand why, when I needed you most, You leave me."
He whispered, "My precious child, I love you and will never leave you
never, ever, during your trials and testings.
When you saw only one set of footprints
it was then that I carried you."

ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。
一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
私は砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。
このことがいつも私の心を乱していたので、
私はその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。私があなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において私とともに歩み、
私と語り合ってくださると約束されました。
それなのに、私の人生の一番辛いとき、
一人のあしあとしかなかったのです。
一番あなたを必要としたときに、
あなたがなぜ私を捨てられたのか、私にはわかりません」
主はささやかれた。
「私の大切な子よ。私はあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みのときに。
あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」

私の実家は浄土真宗です。
祖父の兄はずっと仏教を研究していたし、
私の父は「ひろさちや」と親交が深かった
おかげで色々な学びを得ることが出来ました。
しかし、私は中高がカトリック系の学校で、
聖書研究部に所属し、聖堂の隣に寝泊まりして学んだこともあります。
多感な時期に貴重な経験となりました。

Footprintsは厳密には作者はわかっていません。
しかし、ホスピスを学ぶときこの詩は忘れることができません。

死を目前にした患者さんの前で
浄土真宗の学びを披露してもなかなか納得は得られません。
もちろん響きそうな方はおられるので披露しますがなかなかです。
しかし、Footprintsは多くの場合救いになります。
わかりやすさ
受け入れの状況の差だと感じます。
智慧と救いは違うのです。
人間とはエモーショナルな生き物です。
私は平時には浄土真宗、
そうでないときはカトリックを信じるかもしれません。
浄土真宗は哲学で、
カトリックは宗教なのかもしれません。

今の日本では「死」を忌み嫌い、隠すため
「死」がとても特別なことになっています。

浄土真宗でも生老病死はもちろん苦しみの一つとしてとらえられいます。
日本以外の国では死が当たり前すぎて、
特別なものではないという認識があると思います。
終活とは生まれた時から始まるものです。
生命力にあふれる20代や30代では実感はないでしょうが、
40代になると意識をし始める人も居ると思います。
しかし、
葬儀に参列することも無くなってきた現代では特に日本では
「死」を意識することはさらになくなってきたのではないかと思います。

誰にでも必ず訪れる「死」
それを意識したときに終活が始まるのだと思います。
価値観というのは内的要因と外的要因からなります。
昨日と今日で価値観が異なることは当然です。
看取りの現場にいると人の心の移ろいをひしひしと感じます。
私はその時の伴走者でいたい。
ACP(Advance Care Planning)とはそれを示すものです。
医療の現場ではSDM(Shared decision making)という概念があります。
高齢独居世代が増えていく中で、
センシティブな内容を誰と共有するのかという問題が生じます。
法的には「一審専属権」という言葉があります。
個人の自由意思は正当に主張されている場合はそれが尊重されるべきです。
この世に生を受け、
死がある以上、
それに備えるのは摂理にもとずくものと言えます。
これを怠った故に
延命され、
長期入院や介護が必要となり、
本人や家族が望まない結末に至る悲劇を常にみています。
高齢者の生死に関わる救急搬送ではACPの確認が取れることは重要です。
自分がどう自分の終い方をしたいのか、
家族にも話したくないことでもあることも事実です。
しかし、これはDxで解決できると考えています。

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