豆腐屋の女房のはなし
今回は高知市唐人町(とうじんまち)のお話です。
現在の高知市唐人町と高知市南はりまや町二丁目あたりまでかつて東唐人町、西唐人町と二町に別れていて、長宗我部統治の時代、朝鮮半島から土佐に入国した人達が山内氏入国にともない浦戸からこの地に移り住み豆腐の専売特許を受けて数多くの豆腐屋が軒を連ねていた。
天神橋
豆腐屋の女房
嘉永二年、西唐人町のとある豆腐屋の妻が亡くなった。
豆腐屋には四歳と六歳の子があり、男手ひとつで育てるのが大変だったので、四十九日が終わると後妻を迎えることにした。
亡くなった妻は勤勉で評判も良かったが、後妻に迎えた女はとんでもない悪女で日夜二人の子供を虐待した。
熱湯を浴びせたり、火箸で足を焼いたりなどそれを見た主人が叱りつけると返って
食ってかかり、ますます子供をいじめるようになった。
子供達は泣いて我慢するほかなかった。
後妻を迎えて半年ほどが経った時分、土佐藩中の若侍達の間で、とある噂が瞬く間に広まった。
なんでも要法寺の山から夜な夜な女の霊が現れて、天神橋を渡って西唐人町の豆腐屋まで歩いて行き豆腐屋まで着くと門前で、何かを儚むように泣いては姿を消すそうな。
見たものは口々に
「あれは豆腐屋のなくなった女房だ。」
と噂した。
侍達はおろかこの話は城下町で持ちきりになった。
この話を聞いた若侍たちは
「いまどき幽霊なぞ馬鹿馬鹿しい。」
「しかし天神橋を渡るのをわしは見たぞ。」
などと口々に言いあっていた。
その時、若侍衆の中でも年長の侍が
「皆よ、昔から論より証拠とは申すもの。一度、本当か嘘か見に行ってみよう。」
という事で半信半疑の中、数名で見に行くことにした。
要法寺に着くと皆、側の石積みに腰掛けてじっくりと待つことにした。
待つことしばらく
しかし子の刻(午前0時)になっても現れない。
やがて
「やはり幽霊など…」
となかば諦め出したが、丑の刻になろうかという時に
「見ろ、出たぞ…」
と年長の侍が墓へ続く道を指さすと、白装束に身を包んだ女が歩いて行く。
若侍の中には怖気付き動けぬ者や今にも倒れそうな者まで居る始末。
その中で年長の侍のみが女の幽霊を尾けていった。
するとやがて噂の通り豆腐屋に着くと、門前でさめざめと泣き出した。
侍は幽霊に歩み寄り、
「よろしければ仔細を伺わせてはくれぬか。」
と語りかけた。
幽霊は少し驚いたふりを見せたが、やがて語り出した。
「私はこの豆腐屋の女房でしたが病にかかり、子供二人残し死んでしまいました。後妻に来た女が子供らをいじめるのでなんとかしてかたき打ちをしたいのですが…門にお札が貼ってあり入れないのです。お侍様、どうかあのお札を剥がしてくださいな…。」
この話を聞いた侍は
「なんと、子供らが…そのようなことが許されて良いはずがない。よし、あい分かった。札を剥がしてやるから存分に本懐を遂げられよ。」
そうして札を剥がしてやると、スッと家の中へと入って行った。
しばらくすると家の中で叫び声が上がり、家人たちが騒然としている様子が伝わってきたかと思うと、幽霊は門前へと出てきて
「おかげさまでようやく思いを遂げられました。これで安心してあの世へ参れます。ありがとうございました。」
と微笑んで消えた。
豆腐屋の後妻は悲鳴が聞こえ、家人が灯りをつけた時、上半身に熱湯をしたたかに浴びたようになり、下半身には焼けた火箸をこれでもかというほどに何本も押し付けられたようになり死んでいたと言う。
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