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【悪気は無くても】"ハーフ"と"ダブル"


昨日の記事に引き続き、ブレイディみかこ先生の『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読んでみての感想です。

話したい内容が多過ぎるので、感想を少しずつ分けました。この記事はその②になります。

後日まとめたものも上げると思います。


*以下、ネタバレ注意です。
本当に良い作品なので、読んでからまた見てくださっても大丈夫です!


ということで、今回は

"ハーフ"と"ダブル"

あたりの部分についての感想です。


作中で、"ハーフ"や"ダブル"といった
"両親の国籍が異なる人"を示す呼称に関して、
主人公の男の子が言います。

「("ハーフ"や"ダブル")どちらにしてもみんなと違うものになってしまうでしょ。みんな同じ『1』でいいじゃない」


おぉ…

これは胸を打たれました。

確かに、両親の国際とその人の国籍が同じ、所謂"一般的な"人を「1」とするなら、その国の血が半分しか流れていないという意味では"ハーフ"なのかもしれません。

近年では言葉を差別的だとする見方も増えてきています。

ならば、
他者に比べて2種類の血が流れているからという理由で"ダブル"と呼べば一件落着でしょうか?

呼び方を変えれば万事解決なのでしょうか。


いいえ。

"ハーフ"と"ダブル"

呼び方は違うにしろ、

「『1』の我々と貴方は違う」

という差別の宣告にしかならない 

と捉える人もいるのです。


私自身、これを読んでかなり複雑な思いでした。

なぜなら、私も悪気は無いとしても、
「ハーフ」という言葉は使ったことがあるからです。

もちろん私としては悪い意味では使っていません。

「ハーフっぽくてカッコいいね」

「ハーフなんだ!すごい!」

小中学生の頃はこんなことは言っていた気がします。


ですが、言われた相手からすれば

私が悪気があるかどうか

なんてことは知ったことではないのです。

幸いその時は相手に不快に感じたような素振りは有りませんでしたが、実際これもわかりません。

本当は内心「差別的だ」と受け取られたのかもしれません。


私は今回この本を読んで、

自分の過去の言動でもかなり地雷を踏んだかもしれないことが多いのだと思い知らされました。


こちらが
「悪気は無いからね!」と言っても、相手が差別的だと感じればそれは差別です。

"ハーフ"や"ダブル"
何も考えずに安易に使ってしまうと、自分の意図していない所で相手を傷つけてしまうかもしれませんので、皆さんもお気をつけください。




ここまで読んでいただきありがとうございました。

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こちら前回の記事です!


それではまた!

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