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若い人ほど勝っている

 たとえば自治会の集まりや職場など、年の違うグループがあるとしよう。年長者がリーダーになって下をみることが多い。リーダーのタイプによるが、俺が俺がの我流リーダーは、何をするにしても自分が正しいと考える。話しを聞いてグループをまわすタイプのリーダーは、薄い信念を問われることがある。年齢だけでリーダーを決めるのは危険だ。

 次いでありがちなのは、リーダーに選ばれる人物の職歴。公職に就いてきた者は格上げされる。経歴から地方自治に関わる有識者とつきあいがあり、手続きの煩雑な案件に通じている。その理由はもっともだと理解できる。経験による知識の上書きはとても大切だと思う。古いバージョンの知見で固まっている方は論外だ。

 若い人の方が優秀なんだというのは、その時点の優劣を計る言葉ではない。生まれてきてから現在までの社会とのかかわりから、わたしなど老いたものより潜在的な能力が開発されている。それはそうだ。思い当たる節はいくつもある。

 昔なくて今あるものを挙げてみた。昔というのは拙者の小学生時代だからおよそ半世紀前の事。

  • PC(パーソナルコンピューター)

  • インターネット

    • ユーチューバー

    • SNS

    • 電子書籍

    • ネット通販

  • スマートフォン

  • VR(ヴァーチャルリアリティ) 

  • 温水洗浄便座

  • コンビニエンスストア

  • 消費税

  • 電子決済

  • 電気自動車

  • 自動運転

  • ドローン

  • AI(人工知能)

 まだあるよといわれるだろうね。僅か50年でこれだけある。産業革命と呼ばれ、18世紀の大英帝国で起こった技術革新は重工業がメインストリートに並んだ。20世紀後半から今に至るまで、半導体が革新的な発展を迎えた世界はコンパクト化し、人工知能が席巻する日常は映画「ターミネーター」や「マトリックス」で描かれたものだ。

 その時代に今の子どもたちは生きている。生まれた時が50年違うだけで環境がまるで違う。
・タブレットやスマホで通話、SNSができる
・消費税を計算して端数の小銭が払える
・ググって調べることができる
・非接触型カードで決済できる
・ゲームコントローラーの操作速度が尋常ではない
・英語や外国人に抵抗が小さい

 この子どもたちが社会に出て40年間経験を積み上げるとする。幼少期に得たポテンシャルが比べ物にならんほど複雑なうえに、生きてゆく知識、グローバルな見識、開発が繰り返される技術を毎日、毎日、浴びて暮らすのだ。拙者と同じ年になるころ、今の子どもたちの方が絶対に勝っている。

  ある著名な人の語録。

「後から生まれてくる人の方が優秀なんだよ」

 20年前くらいに聞いたか読んだ言葉。周りに年上が少なくなり、年下に囲まれることが増えてきた40代。瞬間にして、その意味を悟ることになる。尊敬できる年下がそこら中に居た。

 先週、真向いの俵山小学校の先生に招かれ、3,4年生複合クラスの2時間目の授業にでかけた。花柄摘みをひと月ほど前に体験してくれた子どもたちから、しゃくなげの事をもっと教えてとリクエスト。事前に素朴な3つの質問が届いた。

  1. どうして俵山にしゃくなげがあるのか

  2. どうして小学生が花柄を摘まないといけないのか

  3. どうしてわたしはしゃくなげの世話をしているのか

 ど真ん中に直球を投げ込むわけにはゆかない。対するのは優秀な9歳と10歳。ど真ん中は弾き返される。わたしはアウトコースにスライダーを投げて彼らの雰囲気を見たかった。野球経験の浅い打者はそのボールを初めてみたことだろう。初球を見送った彼らを見て、教科書には書かれることのない個人の感情の変化と高揚を答えにした。どれだけ理解されたか分からない。彼らにとって理想の答えじゃなかったはずだけど、話せてよかったと思う。

 残った授業時間、しゃくなげについて研究したことをプレゼンしてくれた。もう一度確認しておくが、9歳と10歳の小学生だ。長門市でも生徒一人に1台のタブレットがある。キーボードでローマ字入力ができる子もいれば、タッチパッドで直観的に扱う子もいた。プレゼンはグーグルアプリの「スライド」を利用していた。タブレットを黒板の横にある大型液晶モニターにHDMIでつなぐ。彼らはひとりひとりスライドを見せながら、しゃくなげについて調べたことを発表した。

 この年になってパワーポイントを知るが、使う機会はまず無い。片や小学生は授業で使い、みんなに話しかける。びっくりする前に敬意を払って「すごいね」としか言えんかった。デジタルを使うスキルは疑いなく私の世代を凌駕する。想像力と適応性の伸展は無限だ。彼らと30分過ごし、若い人ほど優秀なんだと反芻していた。

 長老が長けているとすれば、考え方、モノの見方、それを持ち球と例えるなら、ダルビッシュ投手のようにいくつも使えるものを備え、リクエストに応じてそれを作ることができる。それは経験だけでは備わらない。考える力が試される。若い人に勝るものはそれしかない。