眠れぬ夜
「眠れないなら、眠れない夜を楽しめばいいよ」
毛布を引きずって子供部屋から助けを求めてやってきたわたしに母は優しく言った。
そして、涙目だったわたしの目から雫がこぼれたのだった。
眠れない夜、泣きたい夜は今でも母のあの優しい声を思い出す。
すっかり大人になったわたしの手には毛布ではなくワイングラス。どれだけ泣きたくても、赤い雫に溶かして涙を飲み込むのが上手になった。
昨日を境に今夜からは夜が長くなるばかり。
この季節が巡る度、言い知れぬ寂しさが忍び寄ってくる。
「泣いた方が、いいのかな…」
暗闇にただ不規則に点滅するだけのテレビの液晶画面。時折映るわたしはまるで小さな子供のように見えた。
あの夜、わたしは母の胸に迎えられてひとしきり泣いたのだった。
優しかったあの母は、もういないのだけれど。
少し湿気たクラッカーにガーリックハーブのクリームチーズを塗る。クラッカーはふたくちで消え、ワインで流し込まれた。
少しずつ酔いが回り始める。
思考にかかるモヤが濃くなり、寂しさがいくらか遠のく。
扉を一枚隔てた隣の部屋では、彼がパソコンのモニターと向かい合っている。
サブスクのチャンネルで映画を観ているのだろう。
飲み物を取りに部屋を出てきた彼は言った。
「また調子良くないの?早く寝なよ」
早く寝なよ。
そして、彼はまた部屋に戻り、扉は閉ざされた。
彼は、わたしとは違うストーリーを観ている。
わたしは残りのワインを飲み干した。
ぎゅっと毛布を握りしめて。
END
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