小説の種
『穴』
「埋め合わせするから」
なんて台詞、大っ嫌い。
そんなことを言う男に限って、吐いた台詞さえ忘れてるから、その穴が埋まったことはない。
あぁ、あたしはもう穴だらけよ。
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『この大空に翼を広げ』
爽やかな青に羽を広げたような雲。
そんな空を見上げて、あぁ、秋がやってきたのだなぁ、と思う。
あの雲のように、わたしもこの空に溶けて飛んでゆきたい。
目を閉じて、強くそう願うと、次第に地面から足が離れてゆくような感覚になったけれど、地球の引力はそう簡単にわたしを手放したりしない。
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『SNS』
そこは真っ白な空間だった。
彼の人柄を表すような白。
滑らかな陶器の乳白色。
うっすらと朱がさす薔薇の花弁。
冬の朝、一番に吐く息の一瞬の白。
彼は鍵をくれた。
私はそれを使ってここへやってきた。
真っ白な空間にメッセージが浮かんでいる。
彼からだ。
「ここは汚れてしまった。次の場所へおいで」
そして、URL。
私はそのアルファベットの羅列をクリックする。
彼と私が汚れず語れる場所が既にこのネットワークの世界にないことを知りながら。
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『生かすために殺す』
「給料が入ったら髪切る」
アパートの錆び付いた階段を昇りながら、前をゆく衛人に言う。
「え、切っちゃうの」
衛人は大袈裟に驚いて振り向いた。
ロングヘアが好きなのだ。
「いや、伸ばすために切る」
「なにそれ。
“生かすために殺す”みたいなこと?」
「そうそう」
“生かすために殺す”
なかなか面白い言葉だな、と思う。
「世の中、そんなことも多いのかもね」
「え、何」
「なんでもない」
この小説の種たちが芽を出すのは
来年の春とは限らない。
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