結局はなんなんだろうか、考えます。

前回自分の気持ちを言えなくなるきっかけとして生い立ちから、トラウマの話をしました。

今回はその続きを話していこうと思います。

自分の気持ちを素直に言うと大変な事になるというトラウマを経験し、言ってはいけないことがあることを理解し、余計な事を言わないようにはしていましたが、子供だったし言ってしまうことも会ったと思います。すくなくとも"上辺"ではありませんでした。

大きな理由としては住んでいた環境なのではないかと考えます。

前にお話した通り私は養護施設で育ちました。
施設での暮らしは一般の生活とはまるで違いました。

朝は6時50分起床。
7時から15分間の掃除。
7時20分朝食。
7時45分登校。
学校が終わると寄り道なしですぐ帰宅。
17時から15分間の掃除。
17時30分お風呂。
18時夕食。
19時から20時30分まで勉強。
9時就寝。
休みの日は学校がないので朝は登校時間まで同じルーティン
8時から9時30分まで勉強。
12時に昼食。
13時から17時までスポーツ活動。
そこからはまた同じルーティンという暮らしでした。

この生活に関しては皆んな不満をもってはいるものの誰も文句はいえない状況にありましたし、ルールとなってる以上守らなければならない事です。
なのでこの生活スタイルが何か私の考えに影響しているわけではなさそうです。

となるとやはり人間関係だったろうと思います。厳しいルールの中で少しでも楽しい時間を過ごすためにはより良い人間関係を築くことはは大分重要なポイントだったと思います。

やはり施設の中でもスクールカーストのようにカーストがありトップに目をつけられれば終わりです。
小学生の頃はよく分かってなかったので好き勝手やっていた方だと思います。

しかし中学生になるとある程度空気をよむこもも覚えますし、周りにあわせて行動することが増えました。

そんな時私の同級生のすごく仲の良い友達だった子がトップのお気に入りになります。そこからが、地獄でした。

ずっと仲の良かったはずの友達が、みるみる変わってしまいました。
いままでは同等だったはずなのにすこしでもきやすく話しかけると舌打ちされたり調子にのっていると周りに言いふらし、全員から、無視されたり休日のスポーツ活動の際集中的に狙われたりといったような、一時期確実にいじめの対象と化してしまいました。

よくある話でトップの子とその取り巻き以外はぐるぐるローテーションで同じ目にあっていました。

しかしそれもトップの子が卒園したことによりいじめのような事は大分落ち着きました。だけど私はされた仕打ちが許せなくてその後もその子と仲良くなるような事はありませんでした。でも、敵になるような事もありませんでした。
穏便に生きたかったのです。

しかしこの考え方こそが自分自身を"上辺"にしたのではないかな?と思います。

理由としては敵にはなりたくないという所が重要です。敵になりたくないから今までとは違何にでも同調する、余計な口出しはしない。そもそも自分の考えすら持ってないみたいな状態にどんどんなっていきました。

私は同い年で同等だ、と心の中では思いつつも母に覚えたような恐怖心をその後に対しても持っていたのだろうなと、感じました

しかし、決まっているルールから逃れることはできません。すくなくとも卒園するまでは。

日々の生活スタイルを見て分かるように私たちは同じ時間に全ての生活をします。1人になるのはトイレぐらいでした。

この状況の中で自分の意見を言うという意識が無くなってしまったというのが事実としてあります。
自分の考えを言えないのは、頑なにいわないのはこの事が大きく関わってる事は間違い無いと思うのですが、いざ言おう!だってもう施設じゃないしと思っても気がつくと相手に合わせた"上辺"の状態になってしまっています。

私は卒園して社会人になり"上辺"と言われる機会が増えました。何を考えてるのか分からない、自分の意見はないのか、なんで話さないのか?と問い詰められることもしばしばです。
社会人になってもう4年目を迎えます。もう4年目です、その子ももう居ませんなのになぜ意識しても自分の考えがいえないのか言わないのか、これはもしかすると精神的なものなのかもしれません。

このままでいいのか、あらためて結局なんなんだろうか、て事を考えるいい1年になるといいなとおもいます。