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小説VS漫画 リレー作品:第10話 癌口(小説)

「こんなものがあったのか……ハハハ……」
 ガラス一枚、その向こうに、「空っぽのボク」がいた。もう二度と見る事は出来ないと思っていた。気が付けば涙が溢れだしていた。その涙は歓喜、後悔、怒り、様々な感情が入り混じって濁っているかのようだった。実際流れてきた涙を右手で救いあげ、目の周りを覆っている包帯をずらして良く見ると、灰のような粒子が混じっていた。
「ハハ……久しぶりに見たな……そっかこの涙は……」
 ――ボクは勘違いしてたんだな……。
「ねえ、ちょっと僕の左側のポケットを漁ってくれるかい?」
 ボクの後ろで髪を掻き上げて、気まずそうに外に出ようとしている彼に声をかけた。その声は少し震えているのだけど気付かれただろうか?
「なんで手枷をはめてる側に物を入れるんだよ」
 そう言いながら彼はボクの左側のポケットに手を入れた。悪態をつきながらも言う通りにしてくれる彼にボクは苦笑しながら、
「だから意味があるんだよ」
 と、返した。

 ――――――

 ハット男に言われた通り、左側のポケットに手を入れると、指先にチャリっと冷たい感触が当たった。一瞬冷たさにびっくりして反射的に指をぴくりと震わせると、ハット男は「ハハ、怖くないよぉ」と、小さい子に諭すような口調でおどけてみせた。それに少し苛つきを覚えながらポケットの中身を取り出す。
「なんだこれ?」
 指の先には錆びた鍵がつままれていた。それを見て眉間に皺を寄せると、ハット男が渇いた笑い声を発すると右手で手枷が嵌められている左手をトントンとたたいて「ここ、ここ」と示した。示されるままに屈みこんで左腕の手枷の手首側を見ると、鍵穴があった。思わず鍵をそのまま差し込みそうになったがふと気になる事があって手を止める。
「なあ、これを外したら俺に危害を加えるとか……」
 そこまで言いかけたところでハット男は「そうするならもっと早くやってるんじゃない?」と返した。
 両手が使えないとと自信がなかったとか、そういった細々した言い訳は思いつくが、自分で鍵を所持していてその気になれば自分で自由に出来たのだし、ここで襲う理由もないのか?
 そして一瞬だけ見えたハット男の涙、そして震えた声を誤魔化そうとする様子に少しだけ同情しないでもなかった。だがそれを決して態度や口には出すのはやめておいた。
 不安ではあるものの、左腕の枷に鍵を差し込み回す。少しざらついた感触と共にカクつきながらも鍵はカチっと気持ちの良い音が響いた。それと同時に枷から外れたハット男の左腕がだらりと下にたれた。
「おっと、久しぶりだからあまり力が入らないな」
 そう言いながらも指を握ったりしながら感触を確かめているようだった。しばらく確認するとハット男は無言のまま、鉄仮面にも手を伸ばした。

 ――――――

「おっと、久しぶりだからあまり力が入らないな」
 ボクは自由になった左腕の感触を確かめていた。一体どれほどの時間自分を縛り付けていただろうか? 何年、何十年? 何百年? 時間の感覚はとっくの昔に消えてしまっていた。それでも長い時間だという事は分かっている。その長い、ひたすら長かった時間、自ら縛り、自らを縛られ続けた枷が今、外れたんだ。
 カチャンという音が手首から血液を伝い、脳まで響く。もの凄い感情が身体を震わせた。
 言葉を発しようにも今この場で、この感情を現す言葉が見つからず、空気を吐きだす事しか出来なかった。
 そしてもう一つ自分を縛り続けてきた鉄仮面にも「両手」を伸ばす。硬い動きをする左手をフォローするかのように右手が動き、首筋の留め具を外した。
 抱えるように鉄仮面を持ち、ゆっくりと下におろしながら外していく。以前は呼吸するたびに錆びた鉄の匂いが混じっていた。その嫌な臭いは今はもうしい。鼻から静かにそれでいて大きく空気を吸い込む。薬のような臭いとどこか生臭い臭いが混じったこの世界独特の空気は決して心地よいものではなかったが、生まれ変わったかのように気分はスッキリしていた。

 ――――――

 俺はハット男が自分の拘束具を外すのを黙って見ていた。本来ならば早々に脳味噌を取り返し逃げるべきである事は分かってる。だがそれ以上にハット男の一挙一動が、必要な事であるかのように見えた。そう思うのも脳味噌が足りなくなっている弊害なのかもしれない。
 ハット男が鉄仮面を取ったのを確認し、横から声をかける。
「それで、俺の脳味噌は?」
 ハット男は俺の言葉に苦笑しながら返事をする。
「おいおい、この一連の流れで質問はないのかい……」
 実際訊きたい事は沢山あった。しかしそれに触れていいものかどうか判断しかねた為、あえて自分の問題を先に進めようとしたのだった。
 どうしたものかと言葉を詰まらせていると、どさっと座るとくつろぎはじめた。
「おいおい! こんなところでゆっくりしてたらヤバいんじゃないか!?」
 その行動に思わず声を荒げてしまう。しかしハット男はケラケラ笑いながら手を振った。
「ハハハ、大丈夫だって! ちゃんとここに入った時に鍵もかけなおしたしね。内鍵はあけるのに時間がかかるんだ。それにこの部屋は奴らにとって大事な部屋だから爆弾でも扉は開かないと思うよ」
「だからといってここでくつろぐ意味がわからない。俺の脳味噌は急がないとヤバいんじゃなかったのか?」
「君は常識って奴が分かってないなあ。まあだからこそ前に君に言ったよね? 君は誰よりも狂っている。普通はね、この世界にきたら君のように『普通』に適応できないんだよ。本当の普通っていうのは自殺したり発狂したり、それなりの反応があるんだ。脳味噌少しといってもほじくられたら死ぬでしょ。それが分かってる? それなのに生きている。まずそこに疑問を抱かなかったのかい?」
「……アッ?」
「まず脳味噌の事なんだけど、君気付いてないようだから教えてあげるね、鏡をみてごらん」
 そう言ってハット男は溜息を吐きながら帽子の中に手を入れ、手鏡を取り出した。それを受け取り自分の頭をの覗くと、脳味噌が抉られてグチャグチャになっていた頭の傷は何事もなかったかのように綺麗に元通りになっていた。
「な、どういう……」
「君の脳味噌は勝手に修復されたよ。あの毛玉みたいな化け物の唾液のおかげでね。脳味噌を取り出して傷つけたままだと素材にならないからね。ボクが急がないとって言った理由はね、君の頭の中に脳味噌を戻すためじゃなくて、君の脳味噌を使って『ボク』のような存在が生まれてしまうかもしれないから言ったんだよ」
「意味が……分からない」
「いいかい? 君は凄くラッキーだったんだ。本来あの毛玉は脳味噌を一部だけ盗むなんて中途半端な事はしない。全部、全部抜き取るんだよ。でも君は一部だけ盗まれて終わった。そこに素材を傷つけないように治癒効果のある唾液が塗り込まれて奇跡的にも無傷でここにいる。脳味噌まできっちり元の形に戻ってね。それで盗まれた脳味噌がどうなるか分かってるかい?」
「……確かあの毛玉の素材に」
「たしかにそうだけどそれは一つの例にすぎない。脳を全部使ってあんなくだらないペットじゃ割に合わないと思わないかい? もう一つの例が科学者達を守る衛兵だ。素材になる人間の脳味噌を使っているから本人の自我はそのまま残り、その癖して身体は徐々に化け物になって科学者達のために働く衛兵になる」
「そんな……」
 話を聞いている内に俺は自分が初めて殺人を犯した時の事を思いだしていた。あの眼鏡をかけた男は言っていた。
――人に擬態した化け物を見た。――ずっと笑っていた。
「……ずっと笑っていた?」
「おや、遭遇したことがあったのかい? そうだねあの化け物は人に出会えば笑うんだよ。やっと殺してもらえると思ってね」
 その言葉を聞いて背筋が冷たくなった。自らを殺すであろう存在に出会って笑うという感情が理解できなかった。それほどまでに苦しかったという過去を想像できなかった。
「ショックだったかい? でもこれだけじゃないんだ。そこまで悲惨な目にあった後に何を見ると思う? 自分の空っぽになったオリジナルの身体を乗っ取られるんだ。あの科学者達は子孫を残せないから、空っぽになった人間に自分の脳を移植して、徐々にあの醜悪な姿に変化させる。自分の身体が偽物の化け物の身体になったのに、本当の身体は科学者の物になり奪われ醜い姿に変化する。酷い話だろ?」
「頭が……おかしくなりそうだ」
「ハハハ、この話を自分から頭がおかしくなりそうだ何て言えるなら君はやっぱり異常だと思うけどね。むしろ正常な感覚を取り戻しつつあるんじゃないの。まあいいや、それで次はボクの話だ。ボクはずっと昔、君と同じようにこの世界に迷い込んで脳味噌を盗まれた被害者の一人だ。……と、言っても君のような幸運を持っていなかったら八割方盗まれたんだけど。ボクが自分を縛り付けていた理由は、ボク自身が科学者に変化する事を恐れていたからだよ」
「待て! じゃあお前の中身は科学者になるぞ!」
「僕もそう思ってたよ。まあ順に話していこう」
 そう言うと一つ咳払いをしてハット男は渇いた声で語り始めた。

 ――――――

 ここは?
 肺の中に生暖かい空気が流れ込んでくる。視界に広がるのは現実から遠く離れた狂気の世界。薄暗い中で芋虫のように蠢く臓物と、血溜まりに悦ぶ蛆。一歩先の地面は赤黒くブヨブヨしていて、生肉のようにも見える。足元から後ろに続く石造りの下り階段との境目が、現実との境界線にも見えた。 脂と血の臭いが容赦なく肺に流れ込み、胃袋がひっくり返りそうになる。鼻と口を押えてもまるで意味がなかった。頭がぼんやりとしてきて目が霞み、そのままボクは意識を手放した。

 夢を見た。喧噪を掻き分けて通りを抜けて広場にでると、そこでは子供たちがかけっこをして遊んでいた。ボクにもあんな時代があったなあと寂しくなる。両親が死に、兄弟もいなければ親戚もいなかったボクは独りでぼんやりと生きていた。
「……生きてる意味がない」
 ぼそりと呟いた声は誰に聞こえるでもなく自分に返ってくる。目的もなく刺激のない人生は色を失い、ボクはある一種の絶望を味わっていた。
 溜息を吐いたがその音は斜め向かいから聞こえてくる甲高い声に掻き消された。視線を向けると広場の隅で何人かのドレスを来た貴婦人が、日傘を差しながらキャイキャイと何事か談笑していた。最近よくみる顔ぶれであり、この広場に来ると大体ああして噂話ばかりして盛り上がっているのをみかけていた。
 どうやらこの時代に退屈しているのはボクだけではなかったようだ、と苦笑しながら暇つぶしに聞き耳をたてる。しかし、不審の目を避ける為に、少々離れた場所で聞き耳をたてていたので断片的にしか聞こえなかった。
「ふむ……ここではない世界かあ」
 情報をまとめると、この街のどこでも良いので目を瞑ったまま階段をのぼり、強く死にたいと願えばここではない別の世界へ行けるといういかにも胡散臭い話であった。
 そんな下らない噂でも僕の心は少しだけ昂ぶった。やるだけならタダなんだから少し試してみよう。そんな軽い気持ちで、広場にあるたった四段しかない石造りの階段を目を閉じてのぼった。その際、常に思っている死にたいという感情を強く想いながら。
 そしてのぼりきると、不意に空気が変わったのを感じた。先程までの喧噪が嘘のように静まりかえり時折、生ゴミをあさるような湿っぽい音に。晴れていた事もあり爽やかにふいていた風は生暖かく。
 あまりに突然な変化に思わず目を開けると――。

「っっ!」
 夢から覚めて飛び起きると、ボクの身体に大きな毛玉のようなものがはりついていた。その毛玉はボクが起き上がった事に驚いたのかびくりと飛び跳ねて散り散りになっていく。ボクは自分の身体を立たせようとするが目がくらくらして力も入らない。何か言葉を発しようとしても呂律がまわらなかった。
 額に暖かい液体が流れた。何となしにそれを左手で拭いさると、左手が真っ赤に染まった。それが血である事を理解した時には再び意識を手放そうとしている瞬間だった。

 次に目を覚ましたのは白い部屋の中だった。人が何十人も入れるような広い部屋だった。さっきよりも意識がはっきりしていて身体の調子はこれまでにない程に好調だった。そしてボクの周りには様々な人種の人が何十人もいた。彼らは自分の身体の調子を確かめるかのように、思い思いに身体を動かしていた。ボクを含め全員が服を着ていないにも関わらず、彼らは気にした様子も見せなかった。不審に思ったボクは目の前の中肉中背の男性に声をかけようとした。だがボクは吐きかけた息をグっと飲み込むことになった。
「ギョぺえェエえ!」
 突然全員が叫び声をあげた。耳を削るような不快な叫びはしばらく続き、それぞれ満足したかのように、奥に見えていた扉のようなものから出ていく。
 何が起きたのかを理解する暇もなく続け様に変化はおこった。室内に残っていた、一人の人間? は、その場で蹲り苦しみはじめたかと思うと片腕が痙攣しはじめた。腕の痙攣はどんどんと激しくなっていったかと思うと、脇の下あたりから水かきのようなものがついた粘膜で黒く輝く新しい腕が生えてきた。そして顔からは唇を突き破りクチバシが飛び出す。そして皮を破るようにして真っ黒な化け物が全身を晒した。肩にぶら下がったままの人間だった残骸はグニュグニュと波打うつと肩の上に集まり最後は人の顔の原型を残したまま球体になって落ち着いた。
「ぎョペぇ♪」
 と嬉しそうな鳴き声を発してベチャベチャという足音をたてながら部屋から出て行く。
  声を発する事もできず呆然とボクはその光景をみていた。叫んだり気を失ってもおかしくないはずの光景なのに、どこか冷静にその姿をボクは見ていた。

 ――――――

「多分この時既に僕の変異は始まってたんじゃないかな」
 ハット男はそう言って俯いた。
「それで何故か理性が残ってた僕はそっと抜け出して隠れながらこの施設の中にいたんだ。そこでさっきも言った通り脳を使って化け物をつくったり、自分の脳を移植してるのを見てボクはあいつらの事を学んでいったんだ。それと同時に自分の頭の中にはボクの脳じゃなくてあいつらの脳が入ってるんだと理解して、あまりにもおぞましい事実に耐えきれずこの施設から逃げたんだ」
「でもどうして今でも理性があるんだ?」
「ボクの考えではボクのすべての脳味噌を取り除かずあいつらはこの身体に脳を移植した。まあ移植は全て機械任せだし気付かなかったのかもね。で、毛玉の治癒唾液である程度回復していた僕自身の脳があいつらの脳を逆に支配したと思ったんだ」
「それこそラッキーじゃないか」
「そんなことはないよ。ボクは自分がいつ化け物になるのかずっと怯えていたんだ。この世界をさまよっているとたまに人間に出会った。そいつらに襲われたり襲ったりして生活していたよ。あ、この拘束具もお手製だよ。鉄仮面はクチバシが出てくるのを抑えて左腕は変異するのを抑えるためにね。これはちょっとした豆知識なんだけど、変異するのは利き腕からなんだ。まあ抑えたところで変異する時はすると思ってたから気休め程度だったけど、いつの間にかボクの中で人として自分を保つための大事なストッパーになってたようだけどね」
 ハット男は地面に転がっている鉄仮面に顔を向けながら少し笑っていた。
「でもそれならどうして拘束具を外したんだ?」
「必要なくなったんだ。ここまで話しておいてなんだけど、ボクはこれまで大きな大きなそれはそれは大きな勘違いをしていたんだ」
 そう言うとハット男は培養液の中に入っている一人の人間を指差した。それは先程ハット男が見つめて涙を流していた人間だった。そしてその顔はどこか見覚えがあった。
「それボクのオリジナルの身体ね」
「は?」
 ハット男の顔は拘束具をはずしたものの、いまだに包帯で目を隠しているため全てが見えている訳ではないのだが、鼻から下の部分をみるとたしかにそっくりであった。
「いやあまだ残ってるなんて驚きだなあ。ストックとして保存されてたんだろうけど、どうやらボクの身体は不人気だっようだね。まあ多少顔の違いはあれど、それはボクだったモノだよ。中身はここだけどね」
 そう言ってハット男は自分の頭をつんつんとつついていた。
「いやねえ、ボクも自分の身体を見つけてびっくりしたんだよ。てっきり自分は身体がオリジナルで脳が科学者に侵されてると思ってたんだけど、そのまるっきり逆だったんだ。つまりボクはあいつら科学者を守るために造られた化け物のほうだったんだよ。大昔にこの身体で泣いた事があってさ、その時の涙に変な物が混じってたんだけど、その時は身体が変異しているもんだと思ってたんだ。顔がちょっと変わってたのも同じように変異した弊害かと思ったけど今なら分かるよ。まず身体が造り物だったんだねえ! 久しぶりに自分の本当の顔をみてびっくり仰天だね!」
 ハット男の話を整理すると、自分の身体の中にあいつらの脳を移植され醜悪ペンギ……科学者に変異してしまうと思っていたが、実は逆で身体が造り物で脳味噌は純粋に本人の物ということだった。
「ちょっと待てよ! どっちにしろお前は敵じゃないか!」
「いやいや、思い出してよ。科学者側のいいなりである化け物だったらここに潜入したり君を助けたりできないって。科学者以外の生物を見たら強制的に攻撃するように本当はできてるんだからさ」
「え? じゃあお前はどうなってるんだ?」
「ハハハハハ! それはボクもこの事実に気付いてから不思議に思ってたんだ。さらに言えばボクが意識を取り戻した時に、他の化け物と一緒の待機部屋ではなく、何故か身体を入れ替えた科学者達と部屋の中にいた。その事実を鑑みるに、ボクは『間違われた』のだと思う」
「間違われた?」
「まず人間の脳味噌は科学者が造った化け物の身体に移植される時に、脳味噌をいじられてから移植されるんだ。自分達に逆らわず他の生物を攻撃するようにね。でも科学者たちの脳を空の人間に移植する時は特別な事はせずそのまま丁寧に移植されるんだよ。もしかしたら僕は本来科学者がやる移植と同じ移植を施されたのかもしれない。間違えたんだ」
「なっ! そんなのことあるのか? もしそうだったらラッキーどころか奇跡じゃないか!」
「ハハハ、もしかしたら君よりラッキーかもね! でもこれは本当にそうなのかは分からない。今思いつくのはこれってだけだからボクが君を襲わない保証はないよ」
 そう言いながらハット男は頭にかぶっている帽子の中に手を突っ込み何かを掴んで目の前に差し出した。
「だからほら、これをあげるよ」
 目の前に差し出されたのは拳銃だった。
「ちょっ……これどこから」
「ああこれ? ずっと前にここに迷い込んだ日本という国のヤクザ? っていう奴が襲ってきたから奪い取ったんだ。化け物の身体って意外と万能なんだよ。強いし硬いし僕の知らない言語も話せるしね。多分本来は自分の意識と関係なく相手を殺させて、その上で相手の命乞いやら何やらを嫌でも理解させるためなんだろうね。…………まあそれはいいとして、これを君にあげるよ。それでもしボクが君を襲いそうになったら撃ち殺してくれていい! あぁ、もちろん怨みはしないよ! 中身まで化け物になってまで生きたくないからね」
 早口でまくしたてながらハット男は拳銃をグイグイと胸元に押し当ててきた。だが拳銃よりも気になる言葉があった。
「なあ、お前はこの世界に来る前に死にたいって思ってたんだよな。でもお前は化け物になってまで生きたくないって言ったが、今こうして自我がある限りは生きたいって思ってるのか?」
 俺の質問にハット男はおどろいたように拳銃を押し付けていた手を止め、口を半開きのままこちらを向いていた。その様子に慌てて言葉を足していく。
「変な質問しちゃったかな、生きたいって思うのは普通だよな」
 フォローのつもりで言葉を足しただけのつもりだった。だがハット男の反応は意外なものだった。ハット男の顔にまかれている包帯が濡れて滲んでいったかと思うと、吸収しきれなかった液体が雫となり、頬を流れて顎を伝い服や地面に落ちていった。
 思いがけないハット男の様子にどうすればよいか分からず、口を開いたり閉じたりしていると、ハット男はいまだに泣きながらも大声で笑い始めた。
「ハハハッ! そうかあ、ボクは生きたくなってたのか! 気付かなかった! ハハハハハッ! 全く気付かなかったよ! アハハハハハハハハハハハハハハハハ! 本当に、気付かなかったなぁ…………」
「お、おい! あまり大声を出すとあいつらが……」
 その時、扉の奥から「ギョペエ!」と汚い鳴き声がいくつも聞こえてきた。
「どうすんだおい!」
 そう言いながらハット男から拳銃を奪うように取り、扉から離れていく。その後ろをハット男は笑いながら付いてきた。
「アハハ、生きたいのは普通か! 君の普通には驚かされるなあ! いやあ楽しい、人生は楽しいなあ、もう人じゃないけどね!」
 そう言うとハット男は、楽しそうな笑顔を浮かべながら「こっちだ!」と言いながら先導し始めた。
「そういえば俺の盗まれた脳味噌はどうする!?」
「ああ、それもこれも全て解決しようか! まずはボクの肩にしっかりとつかまってよ!」
 言われるままに肩に両手を乗せると、ハット男は俺の両足を持ち上げた。おんぶされる形になると、ハット男は叫んだ。
「さあ、しっかりと捕まるんだ!」
 ハット男は俺の身体をしっかりと固定すると、驚くようなスピードで駆け出した。目の回るような速さに少し気分が悪くなる。それを知ってか知らずかハット男は鼻歌を歌いながら、中身のない人間がはいった容器を蹴り壊し、出てきた人間の頭をしっかりと踏み潰していく。その中には元のハット男、本人の身体もあった。辺りに血や肉片が飛び散っていく。鼻の奥が鉄臭い。
「さて、あいつらの次の身体は全部壊してやった! 次は君の脳味噌だけど探すのは面倒だから強引にいこうか!」
「どうする気だ!」
「爆破しちゃえば全部消えるでしょ?」
 それに答える暇もなくハット男は科学者達が控える扉と正反対の方向にある扉の中へ駆け出していく。
「部屋の中は変わってたけど、この場所はやっぱ昔と変わってないね!」
 部屋の中は見るだけで目がまわりそうな程に、よく分からない機械やら配線やらボタンで四方が囲まれていた。
 俺は吐き気をこらえながら肩の上からハット男に問いかける。
「……この部屋は?」
「あいつらの最終手段さ! ようするにこの施設の七割を爆破するための設備さ。もちろんさっきの空の人間達が置かれている部屋は、保護されてるから残るはずだ。だから全部破壊したんだけどね」
「なんでそんなの知ってるんだ!」
「昔何回かあいつらが使ったんだよ。外の生物が抑えきれないくらい侵入しちゃってね。その度にあいつらはすぐに復旧しちゃうんだけど、今回は次の身体もないし、ほっとけばその内あいつらも滅びるんじゃないかな」
「例えあいつらが残っても、その内寿命で死ぬわけか」
「そうそう、ついでに君の盗まれた脳味噌も化け物に使われていようが、保存されていようが全部なくなるし完璧だね」
 と言いながら心の準備も出来ていない俺をおんぶしたまま、ハット男は機械をいくつか操作した後に、一際大きなボタンを押した。その瞬間、地面がひっくり返ったのではないかと思う程に、大きな爆音と衝撃が走り、ハット男の背中から転げ落ちてしまった。
 頭を強く打ってしまい、後頭部を抑えたまま転げまわっていると、揺れはゆっくりと静まっていった。
「終わったよ」
 あまりにあっけなさすぎる言葉に驚いた俺は、痛みを抱えたまま起き上がり、部屋の扉をハット男に開けてもらった。するとそこには先程と変わりなく血と肉片が散らばったままの部屋があった。出来るだけ足を汚さないように、大きな血だまりや肉片を避けながら、その部屋も出る。
 部屋の外には何もなかった。正確には扉の一歩先はいまだに煙をあげる黒く焦げた肉の床であり、上にはこの世界独特の汚らしい赤黒い空が広がっていた。少し歩いて振り返ると、今まで俺とハット男がいたであろう部屋の壁と天井だけ残し、それ以外は周りに瓦礫と肉片になり重なっていた。
「……マジか」
「いやあ復讐も出来たし、新しい人生も始まったし最高の気分だ!」
「それで……これからどうするかな…………」
「君は元の世界に戻りたいんじゃなかったっけ? ボクは君についていくことにしよう! ハハハ!」
 俺はポケットの中に入っている携帯を取り出し、メールを開く。差出人も宛先も自分である奇妙なメール。本文は「引き返す→飛び降りる」と以前と変わらぬままだった。
 それを横からハット男が覗き込む。
「ふむ……どういうことだい?」
「さあ、とりあえずヒントはこれしかないんだが……」
「とりあえず適当に歩いてみるってのはどうだい? ある程度の道案内はできるからさ」
「じゃあそうしてみようか……ところで少し気になっていたんだが、せっかく拘束具を外したのに目の包帯はとらないのか?」
「あ、これは取らない方が便利な時もあるんだよ。この世界を目だけで見ると見えない物もあるからね」
「よく分からないな」
「この世界の先輩であるボクを信じなよ」
「先輩といえばここに来たのはいつ頃なんだ?」
「アハハ! 三桁は余裕で前だね」
「三桁?」
「分からないならいいさ!」
 そう言って大声で笑うとハット男は前を歩き始めた。色々と謎は残るものの、俺はハット男と共にこの狂気の世界を歩き始めた。


 ――――――


 気が付けば視界は真っ暗だった。身体を動かそうにものしかかる重圧に思うように動けない。
――オレに何が起きた?
 肺が圧迫され声すら出せないこの状況でオレは自分の身体を冷静に分析していた。思うにオレは瓦礫の下敷きになっている。死んでもおかしくないこの状況で、オレは苦しみながらも生きている。遠くから大声で笑っている男の声が聞こえた。

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