zikka

今年の正月は、実家と義実家を泊まり渡った。


今年、初めの良かったことと言えば、各姪っ子にモテモテだった事だろうか。実家では兄の娘に事あるごとに呼ばれ、義実家でも泣かれる位寂しがってくれた。


そんな中、今回は正直に気づいた事や思った事をここに書いていこうと思う。


まずは実家。予想通りのバタバタではあるが、最近は言われた時間通りに行ったり、必ず間に合わせる為に気持ちを急かすこともない。こちらにも用事がある。全ては合わせられない。ごめんよ・・

案外そこらへんは諦めて来れる時においで形式で助かった。とは言いながらも、前々日の30日に11時に来てねと約束していた餅つきする際には、10時半に電話がかかってきて「来てる?じゃあもち機のスイッチ押すから11時には出来るからね」と起きたてに言われ、時限爆弾を設置された様な気分になった。

案の定、年末で車も混んでいて15分遅れたが、父がいたので何とかなっていたようだった。

時間通りに動きたい人である。流石である。


という母ではあるが、31日も今まで通り自分が一番動いていた。私はというと、覚えたての数字を使って、姪っ子に「正月にはお料理ゲーム22回と、すみっこのジェンガ23回、マリオカート13回!」と遊ぶ約束を取り付・・したので、この日が来るまでずうっとやんや言いながら爆発しかかっていたらしい。当然、一緒に遊ぶ他ないのである。
更に言うと、母もそれを急かす。大人の事情で急かすのはどうかと思う。

とは言いつつ、少し前にジェンガはしたし、30日の餅つきの日にお料理ゲームことオーバークックだけは一緒にしたので、大晦日は新作やわらかあたま塾を一緒にするだけで終わった。

回数ではない。ただ、一緒に遊びたかっただけなのである事は分かっていた。その上で、彼女が数字の度合いや意味を分かっていなくても、彼女の言葉でした約束をのんで一緒に遊ぶ事が、彼女にとって大事だと思ったし、実際間違いではなかった。

今年子どもの事を沢山学んだことと、叔母という立場は、少し自惚れではあると思うが色んな事を見つけるには良かったと思う。


一つだけ言うのであれば、私はまだ未熟ながらも日々子どもが今何をしたいのか、どう教えたら良いのか、どう伝えると分かりやすいか、何故したくないのかを考える職業にいる。基礎こそ積み重ねている途中だが、最近そう考えるのが無意識になっている事に気が付いた。当然、姪っ子に関わる時もそうなっていく。おかげで話し方も変わった。

勿論全部が上手くいく訳ではないし、失敗する時もあるが、この歳になってようやく客観視が垣間見え出した自分にとっては、子どもの立場からみた大人の立場もよく考える様になった。


私から見て実家はいつもせわしない。悪い事ではないけれど、落ち着かない。私がいた時よりは大分と変わったが、大体母が動いている。

この間、育ちが良い人は何をしているかという本を読んだ。母に教えられてきたことや、自分が自然にしてきた事がのっていた。丁寧に、人の為に動くのは良い事かもしれない。でも、それは人のためと思っている自分のためだと気づかない内は、そう思っていない人からするとしんどい。

言語化するとこんな感じだろうか。

みんなが集まった時の彼女の嬉しそうな顔は、前と変わらなかった。何かにいつも必死に見える、その顔も変わらない。
この人は、これからも変わらないのだと思った。

うちはよく言えば素直である。悪く言えば思った事は言うし、極端であるし、すぐ顔にでる。所作がカバーしているだけで、感情のコントロールが不安定である。

故に、家族で集まっていると誰かから生まれたイライラは伝染するし、不満もぶちまけられる。焦燥感も一緒である。が、今の私からすれば「ああ、今こうなんだな」位であるのはありがたい。多分兄嫁もそんな感じである。

今年はそんな家族(特に父母)の間をどうにか出来たらと淡い期待を抱こうとはしたが、話が急に変わったり、かわされたり、行きつく先が同じであったり、薄々と「話を聞く気がないのでは」と思う。

一番思ったのは、大富豪みたいなゲームをやっていた時。


分かっていて、親が話している時に自分が切り札を宣言する。勿論、話しきるまで止まらないのも知っているからそのまま宣言する。

「じゃあ始めようか」


聞いていたのは兄と新郎だけというのも知っていた。

人が話し始めたのにも全く気づいてなかったなあ。止まる気配もなかった。


「え、なんて?」


うちの両親、こんなにも人の話を聞かなかったんだなあ。なんて。


正月の私の中での成功体験と言えば、最初に言った姪っ子にモテた事ではあるが、姪っ子ちゃんと具体的に何が良かったのかと言うと、彼女らの気持ちを言語化するのに成功した事と、新しい事に挑戦して遊びの中で「知らない」「分からない」不安から「出来る」に変換出来た事だった。


私は実際子育てをした事がないからお母さん大変さは多分想像している何百倍も上だと思う。先日買い物に一緒に行った時はすみっこキャラの売り場を見つけると忽然といなくなるし、離れないので意識を逸らしつつどうしたものか困り果てた。しかし、全く偉そうな事は言える立場じゃないけれど、時々来るはぐれスライムの様な存在の叔母である私だからこそ、切り込める所があると思っている。

実家の姪っ子ちゃんは少し頑固ちゃんだけれども、わんぱくで「みんな一緒」が大好きであるぽっちゃり天使である。「分からない」「自信がない」事に関しては人見知りモードも発動するし完全に拒否だけど、ワガママな部分も家ではある分、外ではめっちゃ良い子で通っている。あと、人をよく見ていてとても慎重派である。


昔、自分が母に怒られてきた時の、その時言われた言葉が母の中で変わるはずもない。よく実家に来る姪っ子にとっては、やはりばあばの言葉はよく聞くだろうと一応観察していたが、なるべく自分の小さい時の嫌な思いをさせたくなくて時々介入する時がある。言われてしまった後は「こういう事だったのかもしれないね」「ちょっとこうしたかったんかな」とか。

だって、はよ食べ、こうして貰い、したろうか?、せっかく作ったのに、そんなこと言わない、こうしいやばっかり言われてたら、疲れないか?ばあば

あれ、うちってこんな高圧的に感じてたっけ

いやあ、そうだなあ、だから自分はこれに合わせようと必死だったんだ。

てかせっかく作ったのって、本人から頼まれてないパターンあるよな?


という訳で色々思い出すが、ここからが問題でその雰囲気が出ると、そうだそうだと言わんばかりに同じことをいう大人が実家の場合は現れる。そうなったら追い込み作業の末、「嫌!!!!!!」か泣き叫ぶ子供の出来上がりである。勿論その時の気分によって180度変わるときもあると思っているが。
実際その状況になった時に、敢えて姪っ子の隣にしゃがんで大人を見てみた。ものすごい圧すぎて、思わず姪っ子に「みんな一緒の事言うからびっくりするなあ。こうしたかったんかな」と言うと、頷いていた。

遠くでない限り、こどもに立ってものを言うのはオススメしない。


じゃあ、こうさせるにはどうしたら、

じゃないんだ。


それは大人の都合であって、じゃあ子どもが何で早く食べないか考えてるのかな、と思えば・・・その余裕を作る環境がまず必要なのだと思う。周りの協力が子育てには必要である。ってか必須だと思っている。


本来は、それがじじばばになると思うのだが。

今年のご飯は
「こんにちは、今日は〇〇ちゃんのお口を探しにやってきました。さて、どこかな・・ここかな?」

なんて遊んでいれば「もう一回やって」と半分はあっという間に完食してくれたので、残りは新郎が「ここにお口があるよ」と言わんばかりに口を開けると、姪っ子持ち前の負けん気で食べてくれる。

食べたくなる方法を、考えてみたら良い。


それでもダメな時も勿論あるから、一旦置くとか、色々工夫するのにママパパも奮闘されている日々だと思う。


もう一つ。今回、初めてジェンガをした。躊躇なく自分が決めた色のジェンガを引き抜く潔い彼女であったが、ここで問題が起こる。

すぐに崩れる。

「次これしよ」彼女の中に、『出来なかった』がチラつくと、疎遠になろうとする。失敗したくないから、自分の出来るものを選ぶ。褒められた経験のあるやつを選んでくる。

が、このままでは「これは出来ない」が彼女にこびりついてしまう。と思ったので、自分も一回失敗して「あーーー!悔し!!もう一回いい!?」と了承を得たうえで一緒に立て直して貰い、ツンツンしてすぐに動いたブロックを見せながら「あ、これならいけそう!」とやりかたを見せてみる。


すると、「わたしやる!」食いついてくれた。来たぜ。


上手にブロックを抜いて上にのせ、「やった!!」と一緒に喜ぶと、「ツンツンしてすぐに動くやつはいけそうかもね!」なんていうのを聴いて、再びジェンガをしてくれた時には嬉しかった。この子の中で、むずかしさはあっても「出来た」になった。疎遠しなくなったのであった。


その日は姪とお風呂に入って、ご機嫌の彼女に「明日早いから、今晩早く寝ないとね」と言うと、「そうやな」と言って案外すんなりママと二階に行ってくれた。


次の日、晴れて無事に実家を脱出出来たのであった。御世話になりました。


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