移り変わるマリンブルー

体調の話の前にいくつか。


そんな初心者丸出しの私も3ヶ月立てば何か変わると思ったが、実質あんまり変わりなかった。新郎の下の名前を呼ぶのにもう少しかかったし、自分の下の名前を呼ばれ慣れるのにも随分時間がかかったからだった。多分電話とか何回途中で切ってしまったか分からない。


更にどうでも良いが、ベタに観覧車でした初チューはBGMの打ち上げ花火が終わった丁度、てっぺんまで登ったゴンドラだった。

恥ずかしすぎて寄ってきた新郎を全力で避けようと、椅子からずり落ちて逃げたし、その後も慣れるまでそういう雰囲気になっては椅子からずり落ちて逃げた。
そう何回も続くと新郎も笑っていた。

因みに無事に観覧車のてっぺんで流れたBGMが止んだ後は、fake town babyが流れて死ぬほど笑った。私の携帯の選曲は雰囲気もくそもないしその後はアクエリオンが流れるのだった。



の割に、新郎と1年付き合った頃には、不思議ともう3年経った気がしていたし、周りからも同じような事をよく言われた。

とは言いながらも流石にそれまでは初心で、1年記念なんかは私と真反対のロマンチスト新郎が、退職前にお揃いの何かが欲しいとショッピングモールに連れ出しお揃いの指輪を買いに行こうとした時はめちゃくちゃ断った。


オソロ文化がない私にとっては恥の拷問でしかない。すまない新郎。


だがここで、せめて何か買うと絶対食い下がらないマンが出現した為、なぜそこ...と思いながらもふと目に入ったのは時計。


そういえば、最近時計が壊れたのだった。


「あ!!それだったら!!時計が丁度!壊れて!!もしそれならお揃いとかでも!」

時計なら完全お揃いはないし、日常で難なく使える。

とテンパったものの、時計も高価だ。焦る迷う。


「じゃあ時計一緒に買うから。欲しいもの選んで」と言われた矢先、値段を見てしまうのが癖である。

さほど高価でないもの...と見ながらも、新郎は気にせず最新のG-shockを見ている。マジか。

あーでもサクラクレパスの色好きなんだよな、可愛いなぁでも電池か〜ソーラーが良いなぁ...これも色良いんだけどな...ソーラーはこっちか、ちょっと青濃いかな...でもいいなぁ。あっソーラーでこんだけ値段あがんのか...うーん


と悩むに悩むのだって、心では割と早くに決まっている。ソーラーの青が鮮やかなやつだ。

「決まった?」


ピャッと驚いてあの、えーと、あー....これ、可愛いかなぁとか...思ったり...と完全に挙動不審である。


「それでいいの?」


「可愛いけど電池で...切れるかもで、ソーラーもこっちどうかなぁとか思いながら...いや、でもこっち、こっちで、こっちが良いかも...?」


色は電池の方が好きだけど、完全にソーラーの方が長く使えそうだ。でも、可愛いしこっちの方が値段がマシだ。決めといてなんだが相手に高価なものを買わせるなど。



「こっちの方が良さそうやけど?」

ソーラーの方を指差される。機能はそっちなんだよなぁ.....!

「ソーラーあった方がありがたいけど、派手じゃないですかね、それにこっちの方がまだ」

「どっちが欲しいの?」


「.....えっと、あー..いや、あっそういや、そっちは決まったんですか?」

「うん。これとこれで悩んでるんやけどさ、」

「あ〜、だったらこっちの方が好きそう。服装とかこんな感じ多いから多分私だったらこっちかなぁ」

「そう、じゃあそれにする。........で?」

「え?」

「どれがいい?」


.........どうやら決めるまで引き下がってくれない様である。こういう時だけ頑固者め。




「こっち.......で」

しどろもどろに指を指したのは電池式のうす緑。

「でもこっちのが機能良いって言ってなかった? 」

「でも時間見れたら良いし、別に」

「........で?」



どうやら見透かされている様である。


「....これが、良いです」



「ん。じゃあこれとこれ下さい」



これを言うのに実質何分かかっただろうか。この言葉をいうだけで顔から火が出そうだった。いや噴火した。


他人に、お菓子でも申し訳ないのに、自分の欲しかった時計を買って貰うなど。でも、死ぬほど嬉しかった。これが欲しかった。

時計が綺麗に包まれて、それを新郎が持ってくる間、私はずっと下を向いてモールの椅子に座っていた。


きれいな原色のマリンブルーが鮮やかな、G-shockだった。
自分が退職するまで職場でつけない日はなかったし、今でもよく使っている。



話は変わるが、全員がそうなのかは分からないものの、よく一緒にいるグループや相棒がいるとすれば、お互いに癖が似るという話を聞く。


私が新郎といて最も変わった事と言えば、「一人で行動する視点」を得た事だろうか。簡単に言えば、今まで「家族(他人)軸で行動してきた視点」との違いをハッキリと感じる事となった。


例えば、それは母が好まないから避けるとかそういった事を「じゃあ自分は?」と考えさせられる事が多くなった。「で、自分はどうしたいの?」と聞かれる事がめちゃくちゃ増えたからだ。

従来の私の考え方には「この人はこうだから自分はこうしようその方が間違いない」といったものであり、「これは兄弟が好きだから自分はあまり食べない」という他人から考える思考は当たり前なのであったが、何せ新郎は長男の長年一人暮らしである。完全マイペースの自由人である。

と、ここで自覚する。「この歳になって自分で決められない」


と言うよりも、それを出して良いのかが分からない。自信がない。おそらくはそこの壁を新郎がぶっ壊してくれたのだろう。結構理由がちゃんとあれば今も自由にさせてくれる。勿論そこには責任もある。


そしてそうこうしている内に、この季節も良く近所遊びには飽きてきた私達が求めたのは、『旅行』である。



実は付き合って1か月も立たない内にニフレルに行ってまさかの新郎妹に会う事態が発生した私であったが、(誕生日と伺っていたので行きにお菓子を買って渡せたのはマジで神対応だと思っていたが)今回はそんなナマ易しいものではないのだ。


確実に親に止められる。


何年前か、兄弟が彼女と付き合った時に「見ときや、説得するからな」と親に挑んだ彼も別に期待していなかったので、結局何も変わらないままうつぼ家は

『結婚前に年頃の男女が泊まりにいくなどと』

といった家であった。元々じっちゃんの代から昔ながらの亭主関白である。


何故女が動かなければいけないのか。と言いながらも従妹が来たって動くのは母と私と祖母だけ。言わなければ動いてくれない。私は動かなければ言われる。男女という前に不平等は身に染みて感じていた。

新郎は小さい頃から忙しくて中々帰れない父の代わりに母親を手伝っていたらしい。亭主関白の装いはチリともなかった。

色々考えると女の子だから、と色々世間が決める事が多いし、それをよしとしたり強制する輩も男女限らずいる。そういうのは嫌いなのだ。とハッキリ思ったのは母が病気になった時と、社会人になってからだった。


一度、母親に相談する。彼氏が出来た報告は少し前に終えた。


「彼氏と東京の水族館に行きたくて」


「結婚するまではあかんよ」



と案の定言われてしまう。



一旦会話は終わった。多分、昔の私ならここで引き下がったであろう。でも、付き合ってからの自分は、前よりも自分を尊重する様になった。

というのも、いつも尊重せずに愚痴や労働を続ける存在を間近で見ていたからである。兄弟であり、この人だった。


色々調べたり考えたが、納得いかなかった。同世代の友人に意見を聞こうと相談した所、なんと電話してくれる事になったのだ。本当にありがたい友人である。

ざっとまとめると、友人も親の意見もわからなくないが、それはどうかと言っていた。若干ひいきにしてくれたのかもしれないと罪悪感もあったが、まず自分が納得いっていない。思い切って、もう一度母に聞く事にした。


「心配してくれてるのは分かるけど、普通に旅行行ったらあかんの?」



何かあったら娘が傷つく、という別の母親の投稿もこの前日には見ていた。多分、母は心配なのだ。元々心配症だ。その投稿を見た時に、怒りや納得のいかなさは消えて、お願いする事にしたのだった。にしても強気では聞いてしまったと思う。


「..別に行ったらあかん事はない。あんたを信じてない事はないんやけど、何かあったら心配で」

と、言われた。母は、本当に心配していただけだった。


時期が良かった。この人は、余裕がないだけで言えばちゃんと聞いてくれる人なのだ。

病気になって前のように働きづめでなくなった彼女は、以前より落ち着いて見えた。



旅行に行く条件として泊まるホテルの住所と連絡先を伝え、帰る際には連絡する様に約束した所で新郎に相談し、先に新郎と親を会わせる機会を作る事とした。

なので、確か新郎に家に来て貰った。緊張させてしまったと思う。そうして無事初めての旅行に行く事になった。東京観光である。
唯一ビビったのは、「結婚する気ある?」と母が聞いた事だろうか。しっかり「はい」と答えてくれた新郎には感謝している。はやない?まだ1年ちょいよ?

実質母が心配する様な事は何もなく、緊張しながらも超絶楽しんで帰ってきた。兄弟ではなく、自分が家の思想から一歩踏み出せた瞬間だった。


それからは遠慮なく、何度か車中泊も含めて水族館を巡ったりエヴァ関係も含め色々遊びにいった。


関係はないが、カヲル君崇拝がバレたのも付き合って数ヶ月後である。「何となくそうかなって」と言われた時は血の気が引いたが、バレてしまえばまさかの理解者であった。
これが本当にありがたかった。

それと同時に、以前よりも好きなものを好きと公言する様になった。家族・親戚・友人・まさかの新郎が家族まで巻き込むことになるとは思わなかったがみな推しに寛大である。生きるよりありがたい。


「ぼくはここにいていいんだ!」

が完全に芽生えた瞬間である。




旅行を楽しく終え、その日も熱く、もう春夏秋冬ってないだろ、と思うほど汗がでた。1年を経て付き合っていることをバラしてからは割と部署で気軽だったのだった。季節は秋。


が、勿論のこと仕事は変わらない。

真冬でなければ職場は基本半袖で行動している。普段は根暗な自分ではあったが、仕事上現場では一番元気でなければならないポジションだと思っていた。いつだって、ニコニコしたり素直である必要があったし、その方が上手くいった。


恩師はその方が良いと言った。そうかもしれない。

でも、着実に自分を蝕んでいる感覚はあった。そのある日の事であった。


看護師さんに「大丈夫か?」と言われた後、「大丈夫です〜元気!」なんて言ってエレベーターの扉を閉めた途端、身体が急に怠くなって立つのもしんどくなった。


ふらふらと部署に帰り、台車を置くと今度は吐き気が物凄く急いでトイレに向かう。あ、これはヤバイ。

そう思った時にはきれいに便器にキラキラした描写が収まっていた。


最近、食べる量は少ないのに吐くに吐けない状態は続いていた。やっと出た安心感と、不快感よりも先に出た「感染予防対策」のポスターを思い出しながらすぐに掃除・消毒し血の気が引いたまま部署に戻る。少しスッキリしたかもしれない。終業まで、あと1時間。


「顔色悪いけど、大丈夫か?」

そしてすぐに運動部ノリノリ先輩はこういう事に気づく。


「あ、大丈夫です。さっき吐いたんですけど、掃除と消毒は自分でしました。ちょっとスッキリしてます」

「そうか・・ちょっと水飲んどき。」

運動部ノリノリ先輩に促されて毎日欠かさず飲んでいる水を飲むが、ちょっとしか飲む気がおこらない。と同時に、猛烈な身体のだるさに襲われる。


「ほんまに大丈夫か?」

もう一回聞くけど、と言わんばかりに目を見て言われる。

一旦ためらうが、ここは正直に答えないといけない様だ。待たれている。


「ちょっと・・しんどくなってきました」

「せやろな。そこの椅子まで行ける?座って一回休み。水分とっときや、血圧図るな」

適格に指示をくれる辺り流石本職だなと思いながらふんわりした椅子に座る。丁度黒しゃべり先輩が部署に戻ってきて、「どうした」と言って事情を先輩同士で共有すると「今開けて口つけてないから飲み」とポカリをくれる。ポカリってこんな美味しかったっけ?

運動部ノリノリ先輩が血圧を測ってくれると、数値を見て「あのな、今うつぼさんは全力疾走した後の状態やねん。多分脱水症状やと思うけど、施設長に言ってくるから今日は帰って病院行き。実家やんな、お父さんかお母さん連絡取れそう?」

「えと・・自分で大丈夫です。すみません。落ち着いたら自分で帰ります。病院も。母は焦らしても嫌やし、父も時間かかるので・・」


「じゃあ、彼呼ぶ?」

「え?あ、いや、いいです、仕事やと」

「多分お母さんも身体あれやし頼りたくないんやろ。ほんじゃあ彼に頼ろ、連絡するで、いいな?したで」


無慈悲に弁解の余地もなく通話ボタンを押された先に、聞き慣れた声がする。


ちなみに言うが、この時は私と新郎が付き合っていたとこの先輩に暴露した1週間後とかだった気がする。

「ヘロゥ?」


「どうしたん珍しい」


「いやああなたの彼女さんがね、どうやら脱水やと思うんですけど、どうやら迎えを親御さん頼むのに頼りたくないらしくてね。」


「あー・・わかった。行くわ」


ピッ


と切られた顔は先輩に一番ふさわしいのかもしれないドヤ顔が映っていた。かくして、施設長に「父親が途中までくるので送ってくる」と説明した運動部的ノリノリ有能先輩のおかげで、新郎新婦と3人になる初機会をここで作ってしまったのである。

「貸しイチっすよ」とかどこぞの漫画で聴いた事のあるセリフを口にした先輩の車から仕事を途中で切り上げてきた新郎の車に乗り換え、ぐったりしてそのまま病院に点滴しに行く事となった。
「お礼言わなあかんな」と父母が言っていた辺り、新郎は顔を見られない間に好感度が上がった様だった。私の体力は下がったのだが。

それでも、点滴の間となりで座っていてくれたのは心強かった。父母は頼れなかった。家族に頼る事は、出来なかった。でも、色んな人に迷惑をかけてしまった。点滴をしながら、迷惑かけて不甲斐ない自分に泣いたって「大丈夫」と肉厚ふわふわな手が否定をさせてくれなかった。


翌日、無事1日で復帰して各方面謝罪やお礼を終えると、何事もなかった様に出勤した。毎朝、公園を走り抜けながら駅に向かっていたのだった。



昔から比べると、自分の人生は充実してきた様に今は感じられるが、ある時多幸感が怖くなって、それを新郎に言った事がある。それと同じくらい、罰があるのではと思っている、とも話した。

肉欲は素直であり本能的である。でも、一番心が伴わないと埋められないものなのではと感じている。それ故か、賢者タイムというのは寂し気ではなかろうか。個人的には。


何となく、ある日に心から私が言ったことを覚えている。


「もしこのまましんどくて、死んだみたいに何もなくて、何にも感じれなくなって、考えなくなって、やる気もおこらなくて、真っ暗になったって、それはそれで感情が死んでも楽かなと思ってたんです。何も感じなくて良いから。でも、あなたと会って、私の捨ててきた言葉を拾ってくるから、痛かったり、辛かったりするけど、嬉しかったり、色んな感情が生まれてきて、今は生きてて良かったなと思います。」


俺も、出会うまでは生きている心地がしなかった。ただ働いて寝ての繰り返しだった。と返ってきた。


多分私たちは、お互いを救済しあう為に付き合ったのかもしれない。それは行き過ぎると依存にもなりえない。

だとしても、自分は今、こんな自分でも良かったんだと生まれて初めて思えたこと。誰でもない自分が必要とされた事。そして、心から思っていた事が、泣きながらでも他人に言えた事・認められた事が何より印象深かった。



否定されない環境が増えていくと、自分で考えて、希望を言って、叶えていく。自分にとってそれは素晴らしい事だった。

素晴らしいと言えば、もうひとつ私にとってとてもありがたい事がある。今まで否定されてきた創作を友人が普通に認めてくれた事だった。

というか、不思議と自分の回りには創作に長けた人が多かった。刺激も多く、クオリティが高いから変な競争心もさほど出ない。最高の友人たちである。

今採譜や創作や色々子どもに戻ったように始めているが、本来はもっと前からしたかった事だった。結婚してから夢が叶っているし、やりたいことをしている気がする。後は安定した職かな・・うん。

それに賛同したり協力したり、一緒に遊んでくれる友達がいる事が、第二の生き甲斐である。宝物と言っても過言ではない。


これらが、私がエヴァ婚をしようと思えたきっかけであった。創作シナリオはいつだって、全て自分の頭にあったのだ。



話が前後しているが、色々ありながらも付き合った日を忘れずに月一記念日を覚えていた新郎には驚かされる。
逆に、この定期連絡と離れた距離は私にとっては良かったのかもしれない。基本一人行動が可能な我々にとって、互いの事にずっと干渉しなくても良いからだ。

無理な時は会えないとか体調が悪いとか正直に言う。それさえも罪悪感がなく、「また会える」確信を持たせてくれる安心感があったのもありがたかった。

それでも本当に自分で良かったのか、いつか飽きられないか、恐怖はずっと付きまとった。その度に元々更に不安定な精神+PMSの発端となってしまったり泣いて眠れなかったりしたが、その度に肉厚と体温が安心させてくれた。

昔からふわふわでさわり心地の良い抱き枕人形が好きだった。働き初めてから赤ちゃん返りした様に、その感触がないと眠れなくなったのだった。
故にその代用が見つかった訳でもある。新郎といる時だけはよく眠れた。


健康は気にかかるが、柔らかな触り心地の良い腹は好きなのである。これが結構気持ち良い。


メンタルの不調と生理の事を話すると、専門分野と共に学生時代に基礎知識だけ学んでいた様で、ありがたい事に理解が早かった。一回婦人科を進められた事もあった。このおかげもあり、後に退職してから命の母を飲む量は明らかに減ったのだった。



自分からするとおんぶに抱っこの様な状態で付き合っている様に思えたが、悩めば悩むほど真逆ですっ飛ばしてくる様な新郎だった。

基本自分に関係ない事には考え込まない人だった。


多分、だからこそ助けられたのだろう。




脱水復帰から時間がたつのは結構早く感じられあっという間に1年と少し、すぎていこうとしていた。冬にさしかかる時である。

あれほどストレスを感じていたマダム達と普通に話せる様になるだけでなく、冗談をいう事に抵抗がなくなった。思ってもないことを心をこめた様に言える様になったのだった。それもそのはず、時にはそうしなければいけない場面も業務にはあった。

皆が忙しい分、せめて私が提供させて頂く時間だけは、入居者の意思で、入居者の不快がない活性化する様な、安らぎの時間を作る事に没頭した。そして、それを職員に報告したり、つなぐ様に意識した。


やっとこの時間だけは、やってきた事の生き甲斐を感じられた瞬間だった。



そんな安定してきたと思われた時分、私はついに退職願を書くに至った。


私の直属の施設長からは、驚かれた。非常勤や何や、若干提案はされたがそれ以上止められはしなかったのでありがたかった。
どうせ新郎との関係を広めたのもこの人だったので、「結婚の準備期間も欲しいので」と言う事にしたのは強いカードだったと思う。

一応断りは入れておくが、その時には既に2人の中で結婚の話がちらほら出ていたりしたからだ。


この後一番の問題、お偉い施設長にも言われたが、子どもの話までされて育児休暇もあるしとか言われたが、ハラスメントが横切る位あまり良い気はしなかった。まだ結婚もしてない女に子どもの話すんのもおかしいと思う。流石ここは親子だな。

一応息子の方には許可を得たので、おそらく通常からすると早かったろうが、自分をいらないだの何だの言ったお父さん施設長に、再び面と向かう事となる。


その決意も固く、緊張はしたが色々と吹っ切れていた。他の部屋と雰囲気の違う荘厳な感じは、前と同じだ。


「失礼します。今お時間宜しいですか?」


と声をかけると、何一つあの頃と変わらない光景に嫌気が差した。


鈍い眼光が、こちらをゆっくり向いて話す。



「はい、どうぞ。」



それは、退職に向けた第一歩だった。








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