濁し。

「ちょっと来て」と言われて呼ばれた部屋に行く。






いや、さっきお話は終えた所だ。何だろうと施設長の部屋に行くと、そこにいらっしゃった人物を見てすぐに勘づいてしまう。時刻は就業10分前。荷物乗せたいんだが。


「いやぁごめんな忙しいのに時間もろて、いける?」何て関西丸出しのご婦人は紛れもなく、私を呼び出した息子の母親である。一応遠いが上司に当たる。

さて、この人に呼び出された理由なんて一つしかないだろう。


新郎が辞める前に「辞める時に勧誘されるらしいから断りや」と聞かなければ慌てていただろう。感謝している。


長丁場になる覚悟をして「失礼します」と部屋に入ると、「まぁお疲れさん。ほんま今までよう頑張ってくれたな。ええ子やで。これな、買うてきたから食べな。あげる。」

いやそれここの提携の菓子じゃん。死ぬほど食べたわ賄賂かよこれいらねぇ


遠慮したが持たされてしまったお菓子も、意思に反すればこんなに食べたくないと思うものなのかと思った。さて、どう穏便に抜け出そうか。

「この子はな、ほんま一生懸命真面目に頑張ってきたんや。同僚ちゃんもすごいけどな、この子はコツコツここでやってきたんや。ほんま優しくてな、入居者も家族さんからも話聞くわ。」

なんてどこかの定型文みたいな褒め方を息子にされたと思えば

「せや!私もこの子はほんまええ子で優しくてな、ちゃんと挨拶もしてええと思ってたんや。あの後輩の子はこじゃれとるやろ、あの感じ好かんのよ。」

いや今度お世話になるシンデレラなんだがやめたってくれ


あと同僚の事も言うなよ


近所の井戸端会議に突っ込まれた様に勿体ない勿体ないとお化けでも出んのかと言いたい位にあまりにも誉めちぎるので、「ありがとうございます。ここで働かせて頂いたからこそ学んだ事が沢山あって、私としてもありがたい限りです」なんて今言いたい気分でもない事を丁寧に言えてしまう。

「ほらな、こういう所!」

と調子良く笑っている。ここで飲まれてたまるか。
来るなら来いよ宗教勧誘。
うちのばあちゃんも一回撃退してるからな、私も出来んだろ、多分。

にしてもツボを売るとかはないみたいだ。そこはいけそうかな..?


「でな、あんたが良い思たから声かけよと決めてたんやけどな」


来た、近いな。椅子に座ったらと言われたが、隣には座りたくないからドア前にしゃがむしかない。足が辛い。


「実はな、私ら集まりみたいなんがあってな、そこに悩んでる事とか、これからどうしたら良いとか相談によう言ってるねん。話を聞いてくれる所やねん」

「そう、ほんでな、話を聞いて、こうしたら良いよとか、良い方を教えてくれるねん。うちの息子もそっち選んだらな、こんなんなってんで」

いやあんさんの子どもの人生も決めとんのかい。


「...それは、凄いですね。良い事があると嬉しいですもんね」

とりあえず同調してみよう。長期戦覚悟したし。


「な、その良いよって言われた方に進むと、良い事があるねん。そっちを選んでくれるねんで。絶対怪しくないで」

「あんたはここの為によう尽くしてくれた。だから良い事がある様に一回だけでも、絶対こなあかん訳でもないしお金もいらん。他にも入ってる人おるしな、これ怪しいやつちゃうねんで。勧誘ちゃうからな。今はまだ日程決まってないけど、来てみいへんか?」


..そんな怪しくないって言われると怪しむけど。


というよりも、くさいかもしれないが私は良い方に導いてくれるとしても、自分でやりたい事は決めたい人だった。

自分の人生を他人に決められるなんて絶対嫌だ。


...とは言え、信仰という精神的支えがあるからこそこの人達はここまでこれたのかもしれない。そこは否定してはいけないし、多分悪気はない。

「施設長方は、その導きがあるから、今まで努めてこられたんですね」

「そう!な!やっぱこの子で良かったわ〜」


...正解の解答はしたが帰してはくれないか。
ならもう少し踏み込むか。


「私もここでお世話になった身です。何らかの形で恩返しは出来たらと思ってますが、」

「いいよいいよそんなん!」

「もし差し支えなければ、その所属されている団体名を伺っても宜しいですか?」


別にこの質問は一見普通のはずだ。一瞬空気は変わるも、婦人は

「ああ、ごめんな、名前はちょっと言われへんねん、特別な所でな」



やっぱ宗教やんけ!!!!!、!!!



と、盛大にツッコミした後は、とりあえず時期的にコロナの前兆もあったため集会日が決まっておらず、また連絡するととりあえず婦人の電話番号だけ渡された。携帯部署に置いてて良かった。

その番号も、ポッケに入れてたけどどったかいってしまったまま非常事態宣言が始まったので助かったのだった。


部屋を出たのは30分たった18時過ぎ。就業時間はとっくに過ぎていた。




「お疲れ様です....」


部屋を出た瞬間の私は、どうにも疲れきっていた。いたたまれない気持ちで、ストレスがギリギリのメーターまで溜まり怒り散らそうにもわからなくなっていた。元々発散する様にわめいて怒れない。

避難するようにロッカーに向かうと、そこには心を許していた看護師さんがいて心底心が救われた。


「どうしたん?」

バッサリ言葉を言うお母さんのようなその人は、いつも通りに着替えている。強い人だ。

「さっき宗教勧誘に会いまして...」


「あ〜あれか〜、あんなん断りや!私も一回言われたけど、親戚なくなった時に何や言われてしんどなったからそれ以来いりませんって言うたわ」

「そうですよね................なんか、この後に会えたのがあなたで良かったです」


「大変やったな」


少し落ち着いた所で別れを告げ、部署に戻ると珍しく運動部ノリノリ先輩もいる。

「偉い遅かったな」

「宗教勧誘されまして..」


「あーそれでか...災難やったな」


最悪です...と愚痴こぼすととりあえず同僚にも気を付けるように伝える。


どうにもつけこみやすいタイプは選んでいるようだ。さすがは徳川婦人であった。にしてもこの神対応を褒めて欲しい。
一応だが、難は逃れたのである。



荷物を整理し終え、キャリーに詰め込む。車を持ってきて案外少ないことに驚く。

もう、こことはお別れ。一生来ない。




車を出して施設を後にすると、色々と思い返してしまう。


手探りで探した居場所。貰った居場所。知識。
理不尽な言葉。指示。聞いてない事。言われてない事。埋め合わせみたいな立場。毎年慰安旅行でトップか2回位カラオケ歌わされる謎。施設長の配慮丸なしの音痴な調整。愚痴大会のマダム。張り合う上司。寄り添おうとしても理解もされない業種。気分で投げつけられる言葉。いるときだけ使われる立場。本能が拒否する毎年の避難訓練のサイレン音。高圧的な態度。無茶振り。しまいにはいらなかった発言。宗教勧誘。

いつだって部署を出るとしんどい思いをした10分1ミリ位、自分で探さないと良いことなんかない。

ふざけてる。ふざけてるふざけてる。


自分のしてる事は全然楽じゃない。相手を常に見ながら弾いて歌う。目線は、呼吸はどうか、今の表情の意味は?言語は?使った音は今のこの人に添っているのか?誘導する和音を鳴らすのか?楽器はどれを使うのが良いのか?症状的な目線から見てどうか?目的は?選曲は?このタイミングで良いのか?テンポは?今の声かけで良かったか?その声かけは届いているか?理解出来ているか?
悩みながら弾く。2人に増えれば2人分。30人なら30人分。正直1回1回物凄い神経を使う。


楽しいだけじゃない。人と話しているのは暇じゃない。情報収集と、共有のためだ。

入居者と話すのは、季節感と現在の社会情勢の共有と、個人の感情や悩み、過去を発散する場所を作るためだ。

私はあんたらの仕事の埋め合わせをしてるんじゃない。日中活動?やってないじゃん人いないしな、いや私レクリエーションやってんじゃないんだわなのにこっちにはもっとやれと?こちとら計画立ててリハビリテーションの活用しながらやってんだああ、私に今資格があるならもっと強く言えるんだろうかいや変わらない。

ここは楽に働くための苦労をしない。もう意味がわからない。

働きに来ていない。稼ぎに来ているからだ。


ああ、人の愚痴をいうものではない。わかってる。分かっているんだけど全部、今この最後だけは良かった事なんて一つも思い浮かばない。


ふざけんな。



「ふざけんなよ!!!!!!!」



勤務して4年になろうとしていた最終日。



生まれてはじめて、溜まりにたまっていたものを吐き出す様に、大声を出して罵詈雑言し泣きながら車で勤務地を後にした。




しばらくして落ち着くと、もう運転する気力もなくなってどこかに駐車した。


新郎に務め終わった事を連絡すると「大丈夫?」と返信が来ていた。何か気になる文章を送っただろうか。

「無理」と心のままに送ると、そこで待つように言われた。

そのまま新郎と合流した私は、泣き腫らしたままどこかのカフェでご飯を食べる事にしたのだった。



働いてからよく飲むようになったいたカフェオレは、身体をあっためてくれた。そんな季節でもなかったが、いつだって体が温まったことは近い記憶にない。

少し物を食べると落ち着いて、深く息を吐いた。

「お疲れ様。よく頑張ったね」


そう言われた言葉が沁みた。



明日からはハロワにいって、勉強して、練習するんだ。


新郎は段々喋る気力を取り戻した私の話をふんふん聞くだけで帰った。その夜は、今まででぐっすり眠れた気がした。




社会人4年目。これからと言うときに自分は常勤を辞めたのだった。




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