企画「純愛バトル」の活動報告

はじめに

東大純愛同好会です。
5月1日に「純愛バトル」という企画を行いました。この企画の目標は、サークルのメンバーがそれぞれ持つ「純愛」についての考えを共有することでした。
あらかじめ各自準備してきてもらったスライドを基にして、それぞれ考えを発表し合うという形式で、イベントは進行しました。

今回の記事では、簡単にはなりますが、そのイベントの活動報告を行います。
最後までどうぞよろしくお願いします。

提示された考えの紹介

純愛バトルの中で提示されたものを大まかに分けると、「一般的な純愛の像」を確かめようとするものと、「理想としての純愛の像」をそれぞれ独自に提唱しようとするものの二種類がありました。以下、順に紹介していきます。

一般的な純愛の像

「純愛」を定義することは簡単ではありません。この言葉を用いて形容されるような愛や恋愛はみな一様ではなく、定まった傾向や共通点があるというわけではありません。
参加者の一部は、そのような状況に対して、世の中で共有されている「純愛」のイメージを分析することに重きを置いて、自分の考えを提示してくれました。

ウルトラマンさんは、まず、純愛に対する直感的印象として「一途な恋」や「運命的な恋」や「叶わぬ恋」といったイメージがあることを確認してくれました。その上で、愛における純粋さについて、「非生物的で不安定なもの」を感じると話していました。

さきさかさんは、「特別な相手に対する反復的かつ持続的な強い好意、及び、その結果生まれる二者間の関係性」と、純愛を定義していました。言葉の意味についてそれぞれ説明すると、「特別」とは主観的に代替不可能であること、「反復的」とは一度のみならず、日々を送るなかで何度も再燃すること、「持続的」とは所属やライフステージが変化しても年単位で持続すること、「強い好意」とは社会的に大切な相手に対して抱く好意よりも強いこと、となっています。

理想としての純愛の像

一般的な純愛のイメージを分析するというよりも、むしろ自分にとっての理想の「純愛」を独自に提唱しようと試みる人もいました。提示されたもののうち、以下では三つの考えを紹介しようと思います。それぞれ、「救済」「美しさ」「他者を受け入れる」ということがキーワードとなっています。

ニドホグさんは、純愛とは、自分を「救済」してくれるようなものだとして、純愛を「代替不可能」な「無限の許容」であると定義しました。ここで言う「代替不可能」とは、浮気や金銭目的での恋愛やゲーム感覚の恋愛などと違って、恋愛対象が他の誰かでも成り立つのではなく特定の一人でないといけない、ということで、「無限の許容」とは、好感度が上昇しきった状態での許容である、となっています。
また、ニドホグさんの純愛の像に合致する例として、『最終兵器彼女』の主人公とヒロインの関係を挙げていました。

ナツさんは、「美しい」ということを純愛の要件として掲げてくれました。
また、これは別の参加者からの紹介でしたが、そのような「美しい」ものがある作品の例として、『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』における藻屑とその父の関係は狂った中に「美しさ」が感じられるとされました。

「他者を受け入れる」という観点から考える人もいました。
例えば、『まちカドまぞく』に強い思い入れを持つ太郎さんは、愛するということは、「他者を受け入れること」=「他者を承認しつつ、それによって自分の在り方を発見する行い」であるとした上で、純愛とは、「他者の全存在を自分の中に受け入れ、己と同価値か、それ以上のものとして住まわせること」であると語ってくれました。

おわりに

今回の企画の目標は、サークルのメンバーの考えを共有するということでしたが、それは十分に達成されたように思います。

そこからさらに進んで「純愛とは何なのか」ということをメタ的に議論するのはまた今度ということで。


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