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他人の土俵に上がり込む人

こんな事があった。
私の毎日書いている駄文にコメントがついていたのだが、こっちの記事に「○○は違うと思うけどなぁ」とケチをつけつつ、何か自分語りしてる長文コメントだった。
正直読んでて気持ちのいいものじゃない。

他人のnoteを読んでいて「うーんその考えは違うんじゃないかな?」と思う時は確かにある。
だが、わざわざその人の記事コメント欄に自分の意見を書いてまで否定しようとは思わない。
文章を書いたその人の中では正しいからだ。それがたとえ一般的に間違っていたとしても、その人の中では正しい。ならいいじゃないか。
サンタクロースを頑なに信じている子供に向かってわざわざ「いや、サンタさんはいないと思うな〜」とか言ってる奴の印象がいいわけないじゃん。

そんな時は、同じようなテーマの新しい記事を作って自分の考えをつらつら書く。アンサー記事ってやつだ。
別に相手の名前を出したり晒したりはしない。同じようなテーマで文章を拵えるだけだ。
相手をdisる意図ではなく「自分はこう思うな」という考えを述べるだけである。

そもそも他人が一生懸命やっている土俵にわざわざ上がりこんで、そいつへのリスペクトの欠片もなく「俺はそうじゃないと思うけどなーーー!!!」なんて主張したところで、まともに聞き入れてもらえるわけがない。
例えばアーティストがライブしてるステージに勝手に上がりこんで「こいつはこう歌ってるけど俺はそうじゃないと思いますーーー!こうこうこうだと思いますーーー!!」なんて叫んだところで、聞き入れられるか?
警備員につまみ出されて出禁になるのがオチだ。
仮にその主張が正しいとしても、いちいち他人のステージを借りてしか自分の考えを発せない奴の意見が支持されるわけなかろう。
これはTwitterなどの公式や有名アカウントへの”クソリプ”にも言える事なのだが。

そもそもこういう奴の行動原理って「何でもいいから自分の事を認識してほしい」っていう、自己承認欲求でしかないんだよな。
他人に噛み付く事でしか自分の存在をアピール出来ない可哀相なモンスターってわけだ。

動画とか見て「ここ違くない?」とかぼやいてる感覚なのかもしれないけど、そうじゃない。
その画面の向こうにもちゃんと人間がいて、お前のぼやきは発信者にダイレクトに届いちまうんだよ。
自分に置き換えて想像すれば分かりやすいんだけど、自分の主張がよくわからん奴から偉そうに直接あれこれ突っ込まれたらウザいっしょ。

「そんな他人の粗突っ込んでるだけの人生楽しいか?もう少し楽しい事探せば?」とか言いたくなる。まあ言わないけど。
こちとらそんな奴にいちいち構ってやるほど親切な人間じゃないし、よそで勝手にやれとしか思わない。
こうして今日の記事のネタにさせて頂くだけってね。

そんなわけでそっとコメントを消しましたとさ。
あとで自分の記事読み直す機会があった時にまた不快になりたくないもん。

正直自分の考えを勝手に排泄してるだけで他人とのコミュニケーションあんま求めてないし、そもそもコメントなんて滅多につかないし、コメント欄閉じちゃってもいいのかもな。

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