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UTAU

坂本龍一さんの訃報に接してから、まもなく2か月。
今年1月には高橋幸宏さんが亡くなっているので、70年代後半から80年代前半にかけてYMOを熱狂的に支持していた人たちの喪失感はいかばかりかと想像する。
40年前の私は、彼らの先鋭的な音楽を理解するにはまだおぼこ過ぎる子どもだったが(ませた同級生は既に聴いていた)、それでも今に至るまで、坂本さんにはさまざまに感化を受けてきたと思う。映画のために書き下ろした音楽、多彩なアーティストとの共同作業、歳を重ねてからのファッション、社会問題に対する提言、病を得てからの生き方等——それらが私の美意識や人生観を形成する上で重要な要素になっているのは間違いない。
彼は類い稀なカリスマであり、それはコアなファンにとってだけではなく、その周縁にいる私のような同時代人にとっても同様だった。

音楽的に雑食の私は、歌謡曲、ポップス、ロック、フォーク等——これまで邦楽洋楽問わずにいろいろなジャンルの曲やアルバムを聴いてきた。
振り返れば、新譜のときだけヘビーローテーションで、その後まったく聴かなくなってしまった作品がほとんどだが、それとは反対に、日々の慰みとして長く聴き続けているものもある。
なかでも新旧含めてよく聴くのが大貫妙子さんの作品であり、そのうち最も多く聴いてきたのが、坂本さんとの共作による「UTAU」(2010年)というアルバムだ。

私は音楽評論家ではないからうまく表現できないが、このアルバムの持ち味は、禅文化に通じるようなミニマルな叙情性だと思う。
なにしろ『坂本さんのピアノ』と『大貫さんのボーカル』という極めてシンプルな編成が潔い。
聴いているだけで心のざわめきが収斂し、脳裏には宇宙が広がる。その宇宙は『無限』であるとともに『無』でもある。
坂本さんの天才性はときにナイフのように鋭利に感じられることもあるが、「UTAU」は静謐な情感を湛える名盤。これは、坂本さんの音楽性と大貫さんの抑制された表現力との間に絶妙の均衡点を見出すことができたからだと思う。
70年代からときに共作し、離れて活動してまた共作する——という活動を繰り返しながら培われた二人の関係の円熟ぶりが伺える。

話はそれるようだが——
私が50年以上住む町は、坂本さんが育った町の東隣(徒歩15分くらい)にある。
彼が同じS区に住んでいたことは聞いていたが、それが隣町だったことは文春オンラインの追悼特集ではじめて知った。
若い頃は最寄りのC駅近くにあったレコード喫茶を溜まり場にしていたというエピソードを読み、これまで別世界に生きる遠い存在だった坂本さんに少なからず親近感をおぼえてしまった。かつてその店があったあたりは、昔も今も私の生活圏なのである。
そしてもうひとつ——これもちょっとした偶然なのだが、Wikipediaによれば、大貫さんが生まれたのは私の住まいから北へ歩いて15分くらいの隣町。私が通っていた幼稚園のある町だ。

だからどうした?と言われることを承知でこんなことを書いたのは、『あらゆる土地にはその地の空気を特徴付ける地霊(ゲニウス・ロキ)が存在する』という民俗学の学説を読んだことがあるからだ。
わが町は今でこそびっしりと家が建ち並ぶ住宅街だが、私の子ども時代にはまだ農村の名残がある長閑なエリアだった。タイムラグはあれど、若き日の彼らが見ていた景色と幼い私の記憶に残る景色には近似の部分があるかもしれない。
「UTAU」の世界が私の心象風景に深くリンクしてくるのは、既に消えてしまった風景や空気、ノスタルジーを彼らと共有するからではないか?もしかしたらそこには地霊の影響もあるのではないか?——と、少々飛躍した妄想に浸ってみる。

坂本さんの早すぎる死には、同時代人・同郷人として深い悲しみをおぼえる。
彼が作る音楽世界のほんのわずかな部分を聴きかじってきただけの私だが、この2か月弱の間、「UTAU」を繰り返し聴きながら、その不在の大きさを改めて思い知った。
やはり坂本さんは素晴らしい音楽家だった。
謹んでご冥福をお祈りします。


注: 画像は「UTAU」のTOUR BOOK+DVD

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